mixiユーザー(id:18627182)

2017年01月03日22:47

166 view

狛犬渉猟File@新春SP第1弾―狛犬巡拝ツアー東海道編

今年の正月は、《狛犬ハンティング》を中心に活動することに決めた。
で、三が日最後の今日は、旧東海道沿いに鎮座する神社の狛犬を巡拝する。しかも、10社巡拝する! て、意を決して家を出た。

10社分もの狛犬を紹介するとなると、ただでさえ長くなるので、いつもの《狛犬渉猟File》では述べている神社の御由緒や歴史などは割愛するm(__)m



《1》六郷神社
まず、旧東海道である現在の国道15号・第一京浜沿いを、ほぼ並走する京急の電車で、多摩川っぺりの「六郷土手駅」へ。
電車を降りて、第一京浜に出、しばらくこれを北上する。
と、沿道がやたらにざわついている。
「そうか!」と直ぐに気が付いた。
箱根駅伝の復路、選手たちがもうじき帰って来るのだ。
「〇〇大学」と大学名が染め抜かれた幟がそこかしこに立っている。
そんな風景を横目に見やりながら、やがて第一京浜から横丁へ折れ、さらにしばらく行くと、本日最初の目的地・六郷神社である。
旧社格では、郷社に列格する神社。つまり、この地域を代表する、規模の大きな神社ということになる。
そのため、初詣客の数もかなりのもの。本殿からまっすぐ伸びた参拝者の列は、神門のところまでも届いていた。
これは、参拝はムリ。見送ろう。順番を待っていたら日が暮れてしまう。。
てことで、初詣客の邪魔にならないように、狛犬ハンティングだけで済ますことに。

当社には、区内最古、大田区の文化財にも指定される、古い狛犬がある。
フォト
本殿に向かって左手にある木立の中、井戸の前に安置されている↑こちらのペアが、それだ。
フォトフォト
生け垣の中にあるので近寄れず、年紀銘など確かめることは出来なかったが、貞享二年(1685)の銘が刻まれているという。個性的なルックスの1対である。

そしてもう1対。
フォトフォト
本殿の前に鎮まるペアだ。
こちらは、阿形の台座裏に、「昭和十二年五月建之」の銘があった。



《2》八幡神社
混雑を避けて早々に六郷神社を辞し、続いて向かったのは、六郷神社から北東に400mほどのところにある、こちらの神社。
フォト
当社境内は、六郷神社の賑わいがウソのように、人っ子ひとり居ない(;´∀`)
これなら問題なく参拝も出来るので、神前に拝してから、狛犬ハント。
フォトフォト
戦後量産型の1対で、オーソドックスな形(ナリ)ではあるが、吽形が連れている子獅子の形状は、ちょっとユニーク♪
フォト
親獅子の前脚に、ぶら下がっている。そして、ドヤ顔( *´艸`)
年紀銘は、阿形台座裏に、「昭和六年三月竣工」とあった。
が、この台座はどうも、石材の違いなどから見て、先代の頃のモノじゃないかと思われる。狛犬本体は、もっと新しいような気がする。

また、社殿には、長押の両端や屋根の上にも、なかなか立派な獅子の姿があしらわれていた♪
フォトフォト
フォトフォト


《3》御嶽神社
先の八幡神社から、東へ300mほど。こちらも小さなお社である。
フォト
しかし、その前を守る狛犬は、年季の入った、なかなか立派なモノ。
フォトフォト
破損や剥落が、ちょっと痛々しいが。。(;´Д`)
吽形の台座裏には、「昭和八年十一月建之」の年紀銘があった。

当社の拝観を終え、第一京浜沿いに戻って来ると、丁度、箱根駅伝のランナーたちが疾駆するのに出くわした!
フォト
道の向こうへ渡りたかったのだが、交通規制がかかっており、信号も変わらない。
仕方がないので10〜15分ばかり、沿道に並んでランナーたちを見送った。



《4》熊野神社
京急「雑色駅」の北、約100mのところに鎮座する。
こちらも小さなお社だ。
フォト
「皇軍武運長久祈願」という銘が台座に彫りつけてあるだけあって、小さいながら、迫力のある表情をした1対である。
フォトフォト
年紀銘は、吽形台座裏に、「昭和十四年一月建之」とあった。



《5》東貫森稲荷神社
「雑色駅」から電車に乗って「平和島駅」へ。
駅前の商店街を北へ向かって進んでいくと、「甘酒稲荷神社」「穀豊稲荷神社」と、立て続けにお稲荷さんの社に出くわす。稲荷信仰の篤い土地柄なのだろうか?
その先に見えてくるのが東貫森稲荷神社。「とうかんもり」と読むようだ。

稲荷神社なので、社殿の前には狛犬ではなく、神狐が鎮座するのがオーソドックスなかたち。
フォト
こちらの稲荷神社も、そうである。
ただ、当社では、境内入口の鳥居をくぐったすぐのところに、狛犬も控えているのだ。
フォト
ルックス的には、至ってオーソドックスなペア。
フォトフォト
年紀銘は、両像台座裏に、「昭和十三年十月吉日」とあった。



《6》磐井神社
「平和島駅」から「大森海岸駅」へと向かう途中、旧東海道にあたる第一京浜沿いに鎮座している。
こちらも、旧郷社に列格する立派な神社なので、初詣客が多い。やはり社殿前には長蛇の列が出来ており、参拝はパスすることにして、狛犬だけ拝観させて頂く。
フォトフォト
両像ともに、子獅子を3匹ずつ従えた、実にダイナミックな像である♪
フォトフォト
じゃれつく。背中に乗る。奔放な子獅子たちの姿に笑みが漏れる。
年紀銘は、社殿向かって右の像の背面に、「明治十四巳歳四月建之」とあった。

そして当社にはもう1対。
フォト
本殿と神楽殿の間に、江戸の文人たちが奉納したという石碑群(大田区指定文化財)を祀るスペースがある。
その石碑群を守るように鎮座しているのが、こちらの1対。
フォトフォト
破損が激しく、年紀銘はおろか、もはや表情さえ定かではない。
しかし、こうした破損品も捨てずに安置してあることに、わしはむしろ温かい気持ちになった。



《7》荏原神社
「大森海岸駅」から「新馬場駅」まで電車移動。して、山手通りを東へ100mほど行けば、荏原神社である。
こちらもやはり旧郷社。初詣客は長蛇の列をなしていた。その邪魔にならぬよう、狛犬ハント。

まず、社務所の前に、相方を失くした狛犬が1躯だけ、ぽつねんと安置されている。こちらを拝見。
フォトフォト
年紀銘などは見当たらない。ので、どのくらいの時代のモノか? 想像するより仕方がないが、戦後とか、そんな新しいモノでないのは確か。形がかなり端正なので、明治〜大正期のモノではないかと推察する。

一方、社殿前には、明治時代の石彫技術の「粋を尽くした」というような、頗る立派な1対が鎮座する♪
フォトフォト
それぞれに2匹ずつ子獅子を連れているが、吽形の子獅子は「唐獅子牡丹」の図柄を表現するように、牡丹の花を口に咥えている。
で、もう一方の阿形の方へ視線を転じてみると、、
フォト
こちらは、2匹いるうちの子獅子のうち、片割れが片割れの尻尾を咥えている♪
石工の遊び心が伺える。
フォト
それにしても、よくまあこんなに華麗に繊細に、固い石を彫って細工をするもんだ。
初詣は初詣でイイかも知れないが、これほど立派な狛犬がすぐ横にあるんだ、少しは顧みてもいいんじゃないか? なんてことを思うのだが、しかし、この見事な芸術作品に関心を寄せる人はほとんどいない。残念なことである。
それはそれとして、本像の年紀銘は阿形の台座裏に、「明治弐拾九歳八月吉日」とあった。



《8》寄木神社
荏原神社からさらに東へ200mほどのところに鎮座する。
こちらは小さなお社なので、参詣者の姿はない。
フォト
やはり人々が参詣先として選ぶのは、それなりに格があって、大きくて、霊験がありそうなところなのだろうか? 小さなお社では御利益がない?
そんなことも考える。

当社は小さな神社ではあるが、狛犬は4対も鎮座している。
フォト
まずは、社殿前の3対のうち、いちばん手前にあるブロンズ造の1対。
フォトフォト
吽形の台座裏に、「昭和六十三年三月吉日」の銘がある。

続いて、大きな2ペアに挟まれるようにして、その間にちょこんと鎮まる小さな1対。
フォトフォト
この像が当社ではいちばんの古株。両像台座背面に、「文政十一戊子年五月吉日」の銘がある。文政11年は1828年だ。

そして、いちばん社殿に近い位置を占める、いちばん立派な1対。
フォトフォト
吽形台座背面に、「大正二年三月吉日」の銘がある。
それにしても、この界隈の神社の狛犬を彫った石工たちの間では、「子獅子を複数彫る」「親獅子の背中に子獅子を乗せる」というのが流行っていたのだろうか?

最後の1対は、注意していないと見逃してしまいそうな、階段脇のスペースに。
フォトフォト
社殿に向かって左の像は、顔が半分欠けてはいるが、まだそれとなく原型をとどめている。問題は、向かって右の像。
下半身が完全に失われているため、立たせて置くことが出来ないので、ひっくり返して置いてある。
足もとにはしっかり子獅子の姿が彫ってあるのも確認でき、この子獅子も、かつては上に紹介した社殿前の1対のように、嬉々とした表情であったのだろうか? などと想像すると、何だかちょっと哀しくなった(;´Д`)



《9》利田神社
寄木神社の次は、品川神社での狛犬ハントを予定していた。
が、門前まで行ってみると、境内入口の階段下で、交通整理の警備員が参拝客を押しとどめ、入場制限をしてるではないか!
十数名ずつ境内に入れては、またしばらく押しとどめ、また十数名入れて。。みたいなことをやっている、そのうちにも、列の後方には新たな参拝客が並び、人の減る気配は一向ない。そうやって並んでいる列の両端にも、既に2対の狛犬の姿が見えていたのだが、これを写真におさめるために列をはみ出したりしたら、おそらく、警備員から注意され。。考えてるだけで、面倒くさくなってきた(;´Д`)
品川神社は、古いモノも含め、6対もの狛犬が鎮座する「名所」なのだが、これは、今回はパス! 次回のお楽しみm(__)m
そう判断を下し、ここから北東へ200mばかりのところにある利田神社の方へ足を向けてみた。
フォト
こちらはご覧の通りの、小さなお社で、人の姿もない。
けれど、やはり複数の子獅子を伴った社殿前の狛犬は、立派な出来栄えで♪
フォトフォト
特に阿形の前脚下の子獅子ちゃん。
フォト
ハムっ! つって、玉に噛み付いてる様子が愛くるしい♪
年紀銘は阿形台座裏に、「明治三十八乙巳年第九月吉日」とあった。



《10》高輪神社
利田神社の界隈は、旧品川宿だった場所である。《日本橋まで二里半》という、古い石碑もあった。
次の目的地・高輪神社は、かつての江戸市中の入口にあたる《高輪大木戸》のすぐそばに建つ。つうことで、品川宿から江戸の入口まで、歩いてみることにした。といっても、20分ちょっとの道のりである。

旧東海道沿いに鎮座する高輪神社。
こちらには2対の狛犬がいる。
まずは、本殿向かって右隣に建つ太子堂前の1対。
フォトフォト
吽形などは、狛犬というより、ただの「犬」に見えなくもない(;´∀`)
フォト
このペアも、見どころは阿形が連れている子獅子の造形かと思う。
フォト
親獅子の腹の下に仰向けに寝っ転がって、親が上げてる左前脚の先の匂いを嗅ぐような仕草。。
どういう意図があっての造形か知らん(;´∀`)
年紀銘は、両像の台座裏に「大正十五年九月吉日」とある。

そして、拝殿前の1対が古い。
フォトフォト
両像の台座裏にある年紀銘は、「宝永六年乙丑二月廿二日」。西暦でいうと1709年である。
フォトフォト
長年の風雪で磨滅したのか、それとも元からこんなだったのか? 両像とも、顔が扁平というか、むしろへこんでるように見える。。
しかし、体つきは意外と量感があるのだ。
フォトフォト



高輪神社から、かつての江戸の入口である《高輪大木戸》までは、徒歩にしてわずかに3分ほどの距離。
フォトフォト
ここを通過して、江戸市中に入ったところで、今日のわしの狛犬巡拝ツアーも終了である。

長らくのお付き合い、どうもありがとう御座いましたm(__)m
1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する