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2016年12月01日12:26

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スマートフォン以外で

最近タイの子供達を見てつとに思うが、最近のタイの子供は本当にスマーフォン中毒だ。

多くの子供達がスマートフォンを持っていて、そればかり見てゲームなどをしている。

ぼくもかつて日本ではやったゲームウォッチやマンガなどを子供時代読みあさってきたので、それらが必要ないものとまではいわないがそれにしても四六時中やっている。

ぼくの時代は本も同時に読んできたし、友達ともたくさんあそんだ。

当時赤塚不二夫の自伝を読んで、赤塚不二夫の早熟すぎる半生にドキドキしたし、友達と一緒に山に登る楽しさも覚えた。

あのときのぼくがあったからこそ、いまのぼくは、ネットだけの生活にならず、世界の色々な場所にいってみよう、世界の色々な人に会ってみよう、そんな生活になっているのだと思う。

でもあの当時の自分に、いまのスマートフォンをあたえたらどうなるだろう。

十中八九、ぼくはスマートフォンだけしかしなかったに違いない。

スマートフォンは楽である。

いちいち友達と待ち合わせなんかする必要ない。LINEなんかのビデオコールですぐ友達の顔が見られる。

暇だなと思えばいつでもアングリーバードだとかの世界を席巻したおもしろいゲームが脳をアドレナリンでいっぱいにしてくれる。

スマートフォンだけで、ほぼ日常の退屈がまぎれるのだ。

でも、ほんとうにこれでいいのかと思う。

正直なことを言うと、当時のぼくにスマートフォンをあげていたら、そうとうつまらない人間になっていたと思う。

実際、世の中の名作と呼ばれる本達は、スマートフォンではタダで見られない。

本当の意味で感動する風景は、スマートフォンの中にはない。

何よりも、人間生きて行くには、実際の相手との交渉や、ときには感情を交えた抗議が必要になる。

ぼくは日常の生活で怒りや理不尽を感じると、現場にいき、事実をたしかめ、できればその当人と話し合うことにしている。

それらはメールや、メッセでは絶対にできないことだ。

ネット漬けになってしまうと、そんな世の中で絶対に必要なことが置き去りになってしまう。

たとえば上で言った、相手のとの直接交渉や、抗議なんかは、今ネットで卑怯な人たちがやっているように、匿名のかげにかくれて相手を誹謗中傷するような、そんなことをする人間ばかりになる。

でも世の中は、そんなことでは決して変わらない。

スマートフォンが一般に出回るようになってはや4−5年、もはや生活に欠かさざるを得なくなってきた。

でもぼくは、人間の一番多感な時期に、スマートフォンはこどもたちから何かをうばっているような気がしてしかたがない。

人間にとって一番必要なものは、スマートフォンの中にはない。

感動する物語は、ゲーム中でドラゴンを倒したりするものばかりじゃない。

世の中を動かす原動力は、特定のSNSでつぶやいたり、文句をいったりすることだけじゃない。

実際、ぼくは最近タイの子供達に、本を読むことのおもしろさや、外に出て何かを発見する楽しさを教えている。

実際子供達は初めて知る本の物語に感動してくれるし、野外の活動では元気いっぱいに行動してくれる。

大人がその気になると、子供達はちゃんと反応してくれるのだ。

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