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2016年08月21日23:38

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“普通”になってしまったローランド・エメリッヒ 『インデペンデンス・デイ:リサージェンス』

前作は、まさしく劇場で見る映画であった。
圧倒的なVFX。劇場特有の回り込む音響。
巨大なUFOと人類滅亡のカタストロフ(災害)。
監督のイマジネーションと映像技術が称賛をうけた。

あれから20年。 *1 本作は“普通”になってしまった。

前作でエイリアンに勝利した人類は、彼等の技術を解析し、
高度な文明と繁栄を得た。
だが、破壊したエイリアンの船の一隻がSOS信号を母星へ発信。
エイリアンらが、ふたたび地球に襲来する。

前作の知識が必須だ。
ホイットモア大統領の偉業と、
デイヴィッド博士の為人(ひととなり)がわかってないと映画の魅力は半減する。
では新旧の登場人物を含め「人間的ドラマが濃厚か?」といえば、
父親が死亡した、次の場面で、もう笑っている、と、 *2 薄さの極みだ。

物語全体も、人類へ無償で別の知的存在が協力するなど都合が良い印象。*3

もっともローランド・エメリッヒは映像の監督だ。
ところがこっちも当時と事情が違う。
たしかに小惑星ほどのエイリアンシップの着水や、
重力兵器で崩壊する世界名所、
母船内部のスケール、 *4 と、評価するべき映像は多い。

ただ、その壮大な映像表現はもはや、この監督の特色ではないのだ。
アメコミ作品やファンタジーなど、本作に匹敵する、
いや、それ以上の作品は沢山ある。
その現代においてローランド・エメリッヒの映画は、
もう重要なアドバンテージをなくしてしまったのかもしれない。


※1 映画のなかにおいても20年が経過する。つまりは映画のなかも現実と同じ2016年となっている。

※2 前作の主要人物が死亡したというのにだ。この一例だけではなく、登場人物の心情は「キャラクター」といわんばかりに気持の切替が早い。

※3 人類以上の圧倒的な存在に打ち勝つ作品で、こういう無償の味方は、案外、当たり前の存在だ。ただ、それらの存在がなんのために人類に協力するのか? その協力には代価が必要ではないのか? 物語のトレードオフが存在の説得力を強化するのだ。だが、本作においてそのトレードオフは存在せず、彼等はまったく都合の良い存在だ。

※4 でも、たとえば母船上空での航空機戦など、どこかで見たことのある映像だというのも事実である。とはいえ表現はつねに消費されていくものかもしれない。
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