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2016年08月09日21:53

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7か8か9日目だ

この日記の続きである。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1954373405&owner_id=6231411

今から20年あまり前のこと。
夏休みだった大学生の僕は
学生寮の仲間から届いた1通のエアメールを切っ掛けに
中国は西安を目指す。

手紙をもらった日に船の予約は取ったけれども
たまたま直前にパスポートを作ったことを
その友人に見抜かれていたのかも知れない。

それまでせっせと貯めていたアルバイト代を
日本円と、ドル建てのトラベラーズチェックの両方に分けて
それを懐に忍ばせて鞄一つで
船旅に出たのである。

何回も書いたからくどくなるので簡潔にするが
神戸港を出発して2泊3日で天津に着くのであるが
そこから当日中に北京に移動する強行軍に成功する。

それから道中で知り合った日本人たちと触れ合いながら
どうにか西安への列車の券を手に入れたりしながら
観光名所もせっせと廻ったのである。

北京についてから7日目に出発する
直快特急の軟臥の席を確保して、片道28時間の西安への旅に出るのである。
この時、船の中で知り合った京大の学生2人と、
謎の日本人・堀木さんと一緒の旅だったので寂しくはなかったが
堀木さんは翌日には西安から涼州行の特急に乗り換えて
別れの日が迫っていた。

前回はまさに別れの瞬間の写真を載せたのだけれども
その前に、僕の旅の目的を改めて書いたのには理由がある。
西安に着いたら真っ先に向かう場所が既に決まっているという事である。

西安までの道のりは特急であると書いたが
驚くなかれ、今は殆ど走っていないと思うが
先頭列車はいずれも蒸気機関車である。
これが中国旅行で一番に感動した事と言ってもいい。
ザッザッザッザッという今までテレビを通してしか聞いたことなかった
機関車の駆動音が生で聞こえるのは実に感動的である。

その蒸気機関車がけん引する20台ほどの旅客者が西へ西へと向かうのである。
西遊記とはまさにこの事であるが
実際は西遊記は唐の都・長安から現在のインドの天竺に向かう旅であり
僕は日本からかつての長安、現在の西安に向かっているだけである。

北京から西安に行く道中には
列車は何回も黄河をまたぐ大鉄橋を越えていくのであるが
これが壮大なスケールである。
黄土色した、まさに濁流が激しくうねりながら岸壁に打ち寄せるのである。
どうやって橋を架けたのか??と考えてしまうほど
激しい流れである。
驚くのはその激流の黄土色の波の上を
まるで笹舟のように頼りなく揺らされながら
巨大な蒸気船が船渡しをしているのである。

窓の外に顔を出して覗き込むと
機関車の吐き出す煤が頬に当たり、
進行方向にある方の顔がどんどんと黒く汚れていく。

暫くすると列車は知らない停車駅に止まった。
一回停車すると
いったい何時になったら発車して、いつになったら次に向かうのか分からない
それは途中で何回もけん引する機関車が入れ替わったりしているからだ
平坦なところは架線が走っているので電気機関車の出番もあるみたいだが
こちらは電気では走っていないので、蒸気機関車とディーゼル機関車しか走っていない。

冷房付の特快・紫金車と呼ばれている車両は
全席指定で僕が乗っていた軟臥の料金の5倍くらいする。
因みに硬臥と呼ばれる3等寝台になると軟臥の1/3くらいの料金で
行けるようになるのだが
結局、僕は硬臥に乗ることはなかった。
だって、乗り心地が悪いんだもの

列車の中では食事はどうするかというと
食事の時間になると停車した列車の窓に
弁当売りが近づいてくるのである。
それを買って腹を満たすわけである。

僕たちは、すっかり中国の旅に慣れていたのであるが
中国では、どんな場面でも「お湯」は簡単に手に入るのである。
開水(カイシュイ)と言って、お湯がほしいと頼むとどうにか手に入るのである。
従って、インスタントラーメンとお茶の葉とコップを旅の前に購入さえしておけば
喉の渇きと飢えに苦しむことはまず無く
タバコだけは大量に買い込んで置かねばならないので
切らさないように常に買い足していた。

まぁ、そんなこんなで
楽しく西安についたわけであるが
目指すはビクトリーホテルである。
勝利飯店という安宿らしい。

一泊は70元か80元とこの辺では
お高めで
到着すると、まず「有没有房?」
と尋ねて、部屋の空きを確認すると
「満員だ」
と突っぱねられるのである。
夕方まで待つと部屋が空くかもしれないというので
僕と堀木さんのコンビと京大コンビは一旦別れて
僕は勝利飯店で空きを待ち、
京大コンビは別のホテルで空き部屋を探すという事になった。

その間、退屈なので
「ここにタンゲという男は泊まっているか?」
と従業員に色々と尋ねて調べてもらうことにした。
それが出来ないとここにきた意味はないのである。

意外と従業員は親切で
僕がカタコトというかほぼ関西弁のでたらめ中国語を駆使して
タンゲの所在を確かめると
宿帳を繰って探してくれたのである。
ちょうど8月何日には泊まっていたのである、
ここの消印があるエアメールを受け取ったのである、と
色々と説明したのである。

結果、僕が到着する5日ほど前に宿を離れていることが
判明した。
つまり、僕が北京でもたもたしている間に彼は
どこかへ行ってしまったのである。
そして、日本人や西洋人がたくさん書き込んでいる
宿帳に僕宛にしっかりと書いてあるのを見つけたのである。

「●●よ!親切な日本人が当面の旅費を貸してくださることになったので
僕は旅を続ける。ここからチベットに向かうことになった!あばよ!」

酷い話である。
まぁ、肩の荷が下りたというか
僕の旅が完全に観光に切り替わった瞬間でもあるのだ。
ともかく、宿は取れなかったので
京大コンビとは別れて僕だけが勝利飯店に泊まることにした。

夜ごはんは
いよいよ堀木さんとの別れの夜なので
盛大に行こうぜ!と
それだけ約束して僕たちは一旦チェックインすることにした。
7日目は車中泊だったので
8日目の事だろうかな。

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