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2016年04月07日22:54

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開高健に導かれて、マーク・トウェインを読む

――さがしもとめていたものがこんなところにあった。ここに何もかもが書かれてあった。たった一日に100億円から200億円にも達するめくらむような浪費をアメリカ人はいまこの国でやっているのだが、すべては七五年前に書かれた200円たらずのこの一冊の文庫本にある。発端から結末が、細部と本質が、偶然と必然が、このドン・キホーテとガリバーが手を携えてゆく物語のなかにあった。
 『輝ける闇』より


開高健は、ヴェトナムの戦場でふと手に取ったこの本から受けた衝撃をこう書いている。
そして彼は、『輝ける闇』で7ページにわたって、この荒唐無稽な空想小説のあらすじを執拗に記述しているのだ。

マーク・トウェイン『アーサー王宮廷のコネティカットヤンキー』。
あのマーク・トウェイン、トム・ソーヤーやハックルベリー・フィンの冒険物語を、少年少女に向けていきいきと紡いでくれた、あのマーク・トウェインの作だ。
子供の頃、どういうわけかトム・ソーヤーもハックルベリーも素通りしてしまった私は、4年前、開高健に導かれて初めてマーク・トウェインに接した。
この出会い方、よかったのか、悪かったのか。


物語は、いわゆるタイムスリップものだ。
かなり早い時期のSF作品といえるだろう。

コネティカットで技師をしていたヤンキー男は、ある日ケンカで殴られ、気がつくと、伝説のアーサー王の統べる6世紀のイングランドにいた。
騎士に捕らえられ、首都キャメロットに連行された彼は、処刑寸前に、おりしもの皆既日食を利用して、あたかも自分が強力な魔法使いであるかのように振る舞い、人々の惧れとアーサー王の信頼を得る。
現代(この小説が書かれた19世紀後半)の知識と技術を駆使して、反目する魔法使いマーリンを蹴落とし、枯れた井戸を修理して「聖なる泉」を蘇らせる「奇蹟」を行った彼は、いつしか人々から”Sir Boss”と呼ばれ、唯一無二の存在として、アーサー王宮廷の旧弊の改革を進めようとする。
無実の罪で牢に入れられた人々を解放し、見所のある男たちを「人間工場」に送り込んで教育を施し、石鹸を製造して人々を風呂に入れ、新聞を発行し、電信電話網を張り巡らし、カソリックの時代にプロテスタントの教会を建て、貨幣を発行し・・・・
しかし、導入した株式相場でかの高名な騎士ラーンスロットが詐欺にあったことをきっかけに、ヤンキーは教会から破門を宣告され、一気に立場が覆る。
ヤンキーは、それまで手塩にかけて近代思想を教え育てた54人の若者と洞窟に立てこもり、鉄条網と機関銃で武装を固めて、押し寄せる5万の軍勢に対抗する――


『吉里吉里人』読書会のあとで、美味なるネパールのカレーを食べながら、一人の参加者が、この本をテーマにしてはどうかと提案してくれた。
え、あれ読んだことあるの?と私が聞くのと、もう一人が、ああ、あれは良かった!と叫ぶのがほぼ同時。
知名度の高い本ではないと思うが、これは偶然なのだろうか。
二人とも、小学生や中学生の時にこれを読んでいたというのだから驚きだ。
嗚呼、鉄を熱いうちに打ってしまうことの恐ろしさと素晴らしさよ!

日程を確定させて、いつものように本読み仲間に招待状を送ったけれど、500ページをゆうに超えるこの本が、彼らの遊び心にそう訴求できるとは思えない。
もし誰も来なくても、私たち3人だけでやりましょうね、そう話しながら反応を待っていたら、あれよあれよと人が集まり、結局7人の読書家が、この本について語るために我が家にやってきてくれた。

(この読書会は、『苦海浄土』や『吉里吉里人』『わたしの名は「紅」』など、質・量共に重たい本の方が人気なのは、どういうわけなのだろう。
我が梁山泊は、マゾヒストや修験者の溜り場と化しているのだろうか。
だとしたら、こんなに嬉しいことはない。)

参加者は、幼い頃からそれぞれにマーク・トウェインの作品に接してはいたものの、今回のように書物として向き合うということは、やはりあまりしてこなかったようだ。
あらためてテキストを読み、加えて彼の自伝、その他の作品、あるいはアーサー王伝説や、マーク・トウェインの時代のアメリカ(彼は20代の時に南北戦争を経験している)についてリサーチするという念の入った準備をして臨んでくれた。
さらにこの日の参加者の中には英米文学に造詣の深い方が何名もいて、アメリカ人にとってのマーク・トウェイン、西洋人にとってのアーサー王伝説、そしてヨーロッパの騎士物語が時代的にどのくらいの範囲を包含しているかといったことについて、いろいろな質問と意見が交わされた。
8人で読む『アーサー王宮廷のコネティカットヤンキー』は、独りで読むのとは数倍の違いをもたらしてくれるのだな。

本作のSF小説としての側面については、もっとしつっこい議論をしてもよかったかもしれない。
主人公が、実在の人物のいた実際の過去ではなく、あえて伝説のアーサー王の世界へタイムスリップする物語であることは、なにゆえの仕掛けなのか。
そして、主人公が現代の知識を駆使して発明した諸々について、たとえばロビンソン・クルーソーが無人島で行ったかの如き具体的な描写は、なんと一つとして出てこないのはどういうわけか。
手始めに陸軍士官学校ができ、気がつくとマッチ工場が稼動し、自転車が登場し、港には蒸気船が浮かんでいるのである!
「ヤボな疑問は持っちゃいけない」というのが、この日の愉快な合言葉となったけれど、それは単純に作者のサービス精神ゆえだったのだろうか。
アーサー王伝説で御馴染みの絶対的魔術師マーリンへのオマージュか、逆にそうした利便性崇拝へのあてこすりであったという見方は穿ちすぎだろうか。
マーク・トウェインのどこまでも楽天的な語り口と、毒気の少ない健康的な皮肉(アイルランド人スウィフトの『ガリヴァー旅行記』とのなんたる違い!)は、陽気なアメリカ人気質への好感とあいまって、この小説を実に愉しい読みものにしている、この上なく陰惨な最終場面を除いては。

冒頭に記したように、開高健はこの長大な小説を著書の中で細かく紹介しているけれど、あらためてその部分を読み返してみると、引用部分の比重のバランスの異様さに驚かされる。
(一人がわざわざその部分を一枚の資料に作って全員に配ってくれた。)
彼の引く『ヤンキー』は、全体の粗筋は踏まえているものの、物語の最後の洞窟での凄絶な攻防戦の描写に、その大部分が割かれているのだ。
これを読んで、この小説がユーモアに満ちた健康な楽観主義を主軸に書かれていようとは、誰にも想像できないだろう。
中世イングランドにおけるヤンキーを描写するマーク・トウェインの視線は、ヴェトナムに踏み込んだ現代のヤンキーを見つめる開高にとって、深刻な変容をともなって『輝ける闇』の重要な一部に昇華した、と言えないだろうか。

それまでのユーモアたっぷりの描写から一転、身の毛もよだつ最終場面には、参加者の中からも違和感を感じるという声がいくつもあがった。
トウェインの書きたかった真髄は、やはりこのカタストロフなのか、それともこれは、タイムスリップものの宿命というべき破綻の最初の例にしか過ぎないのか。

とはいえやはり、第一にこの小説は、様々な寓意を孕むとは言いながらも、そこかしこでどうにも笑いを抑えることができない傑作ユーモア小説だ。
聖なる泉のそばで奇妙な苦行に励む修行者の身体をミシンにつなげ、その身体運動を利用して一日10枚のシャツを製造し、騎士には甲冑とシルクハット姿で石鹸の看板広告を背負って諸国を歩かせ、カウボーイよろしく投げ縄で馬上の騎士との決闘に勝利する。
ヤンキーの後を歩きながら絶望的にノンストップなお喋りを続けるヒロインが、「サンデー、ところで君はいくつなんだい?」と聞かれたとたんに、奇跡のように沈黙する。
そして、これは諷刺小説ではあるものの、現代から見ると愚かにみえる中世の人々を、主人公は「彼らには充分な知性がありながら、知識が備わっていないだけなのだ」とあくまで理性的で優しい考えを捨てない。
アーサー王とともにお忍びで諸国を巡る旅に出たヤンキーは、天然痘に冒され人々から見放された家族に出会うが、今まさに死んでゆく子供を抱いて王が梯子を降りてくる場面は、この小説の中で最も美しく、最も悲しい。
かと思うと、貧しい巡礼たちが、さらに悲惨な奴隷たちが主人に鞭打たれるさまを見て、その鞭の扱いの巧さに感嘆し、奴隷の存在は歯牙にもかけないというブラックユーモアも各所に散りばめる。
この多面体小説の、どこが一番輝いて見えるか、どの部分が記憶に焼き付けられるかは、人それぞれだと思う。


こうして、いつものように時間が経ち、暗くなってからは、手土産に頂いたスパイシーな極上ワイン(ちゃんとデキャンティングしたら、ガリシア人エドゥアルドにもらったハモンセラーノと相性ぴったり)や、洒落を利かせて持参くださったサントリーの缶コーヒー”BOSS”(ああ、これは思いつかなかった!)、世の中には美味しいものも存在するんだと初めて知ったチキンナゲットなどなど、せっかくイングランドが舞台なのに、美味しいものばかり食卓に上がって、期待ハズレも甚だしい豪華な晩餐となった。感謝、感謝。


この作品をどう読むか。
どう楽しむか。
アメリカ人の魂といわれ、今も多くの人に読まれ語られ続けるマーク・トウェインの、トム・ソーヤーでもハックルベリーでもない、抱腹絶倒のち呆然とせざるをえないこの小説を友人とともに改めて読み返して、もう一度頭を抱え、なんて素敵な時間を持つことができたことか。



『輝ける闇』読書会のもよう
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