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2016年03月26日11:58

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〔小説〕大王と絵師(前編)


 大王と絵師(前編)


【本編】

 さすがに今回の一件は一言言わずにはいられない気持ちでいっぱいであった。
 いや、一言ですむはずはない。
 二言? 三言? いやいや数時間はぶちまけたいほど溜まりにたまっている。
 実際に大王はまれにみる温厚な性格なので、たとえ臣下の失態とはいえ、一度や二度で叱責したりする人物ではない。
 しかし、さすがに今回は三度目である。
 それも三日連続……。
 ……いや、三夜連続か?
 とにかく、後宮において、三夜連続不完全燃焼で終わったのである。
 ……特に昨夜に至っては……。
「陛下! 李向が参りました。いずれにお通しいたしましょう」
「ああ。いつものように、余の私室に呼んでくれ! そして、いつものように誰も部屋に入れないように。余は向と二人きりで話がしたい」

「大王陛下! 私めに何か御用でございますか?」
「余とお前とは、王と臣下という立場であると同時に、親友という間柄でもある。二人きりの時は、余の名の協で呼んで構わない。そのために、余は人払いをした上で、余の私室に通したのだ」
「……いつもながらの陛下のご配慮には痛み入ります。それでは、お許しをいただきましたので、協様とお呼びいたします。ところで、火急の要件とお伺いいたしましたが、どのようなことでございましょうか?」
「向! これを見よ!」
 そう言うと、大王は一枚の紙を李向の前に示した。その紙は、現在のA4サイズほどの大きさの紙で、そこには墨で一人の女性が描かれていた。
 一見するだけで息を飲むほどの美人であった。
「これは、お前が描いた絵で間違いないな?」
「はい、協様。これは私が描きました。おそらくは、孟(もう)様であったと思われますが……」
「さすがは、天才絵師! 描いた三千人の後宮の女、全てを把握しているとはな……。その通りだ。ところで、向! 余はお前の描いたこの孟の絵が気に入って、昨晩の伽に孟を指名した! しかし……」
「何か不都合でもございましたか?」
 温厚な性格の協王は、後に名君の一人として歴史にその名を刻まれるが、その王が、今の李向の落ち着いた発言には少しカチンときた。
「孟には、娘でもいるのか!」
「……何をおっしゃいます? 協様。後宮に入る女子は全て処女であるのが、大原則ではございませんか? そのお戯れは、普段の聡明な王を知る者からしても、お戯れが過ぎるのではございませんか?」
「じゃあ、この絵は何だ?! どう見ても孟本人の十代の頃の絵にしか見えないではないか?」
「いや、ですから孟様は十五とお伺いいたしておりますので、何ら間違いは……」
「あれが、十五? いくら暗がりとはいえ、五十代にしか見えなかったぞ! 最初は孟にお付きの老女かと思い、孟はどこにいるかと尋ねたら、自分がそうであると言っていたぞ! どんな手違いが起こればそうなるのだ! お前は、本当に本人を見て描いているのか?!」
「はい! 私は描く対象の方を、真剣に己が心のまなこで拝見して描いております。ゆえに私の絵には、その方の心が宿ります。それは、協様がよくご存知ではございませんか。元々、十二年前に協様とお会いしたのも、そう言った縁からではございませんでしたか?」
「うむ。確か余が十八の時、父王と共に初めて国内一の舞姫の舞を見て虜になりかけた時のことだな」
「はい。あの時、協様は舞姫を見て、夢見心地のご様子でいらっしゃいました」
「そうだ。余は舞姫の美しさに心を震えたのを覚えている。この世の中にこれほどの者がいるのかと……。天からの使者とはこのような者のことかと思ったぐらいだ。実際に父も舞姫を余の妻にするつもりで、余に舞姫の舞を見せたらしい」
「そして、協様はその夢見心地のまま、隣でその舞姫様を描いていた私の絵を拝見されたのですよね」
「ああ。向、お前の絵を見て、一瞬余は奈落の底に突き落とされた気持ちになったぞ。そこに描かれた舞姫を見て……」
「どうお感じになりました?」
「目の前の舞姫とは似ても似つかない羅刹の姿をそこに見た! 目は吊り上がり、口角もきつく跳ね上がったその絵は、確かに舞姫を描いてはいるが、全くの別人であった」
「あの時も協様は、何故そのような酷い描き方をするのかと憤慨されておりましたね。そして思わず、私に声をかけたと……、その時の私の言葉を覚えておられますか?」
「むろんだ。『私は描くお方の表面的なものだけを描いているのではありません。己が心の眼で見た結果でございます』と……。余はさすがにその場ではその言葉を信じられなかったので、すぐに確かめてみた」
「そこが協様の聡明なところでございます。また、その実行力も名君と言われるゆえんでございましょう」
「世辞はいい。とにかく、次の日に余は舞姫ご用達の衣装を作る商人に頼み、一団の一人に扮して、舞姫の元を訪れた。そして、そこはまさに修羅場だったのを覚えている。
 舞姫は、商人の衣装をぼろくそにけなし、無理難題を言い連ね、衣装の料金を安く値切ったうえ、次の衣装の採寸をした余に対して――少し舞姫の身体に触れたことを理由に――、激しく叱責し、はては足で土下座をしている余の頭を踏みにじった。
 その時の、余を見下している舞姫の顔。特にその目や口は、向の描いた舞姫そのものだったのだ。衝撃的ではあったが、余が向、お前を友人として遇し、後宮の絵師にと、父に口利きをするきっかけとなったのだから忘れるわけがない」
「そうでした。それで、お話を元に戻しますが、孟様はおいくつでございましたか?」
「本人には何度確認しても、十五と言い張る。結局、らちがあかなくて……」
 大王は、ボソッと呟いた。
「そしてどうされました? 孟様を罵倒して追い払いましたか?」
「それは、さすがに気が引けた。しかし、抱く気持ちにもなれないので、余が急な腹痛を訴えて、その場から退室した」
「さすがは協様。そこまでお人のことを慮れる王を拝見したことがございません。昨日はかなりお疲れで、ありもしないものをご覧になったのでしょう。或は、魔の者の影響かしれませんが、後日改めて孟様にお会いになれば、絵のとおりということがお分かりになると思います」
 絵師は自信満々であった。
「しかし、昨日の孟だけではない。ここ三日間、お前の絵の中で最も気に入った三人を指名したが、いずれも違い過ぎた。一日目の亮は、確かにお前の絵の通りに綺麗ではあったが、目鼻立ちがきつ過ぎて、品性に欠けた印象を受けた。最後まで抱いたが、言葉遣いや仕草が下品であった。二日目の満は、部屋がほとんど真っ暗な状態であったのだが……。確か満は全身の絵になっていたと思うが……」
「その通りでございます。満様の魅力はあの細身の身体でございます。私はそれを十二分に表現いたしました次第です」
「いや、満の形は違った!」
 協王は憮然と言い放った。
「どういうことでございますか?」
「いくら真っ暗とは言え、身体を触れば分かる。あれは、細身の身体ではない! 細身の肉体に両の手であまるほどの贅肉がつかめるか! 間違いなく、絵の満の二倍の体積を感じた! 結局、二日目は触れただけで、それ以上はしなかった! 最も三日目は、触れもしなかったが……」
「協様は理想が高いのでいらっしゃいます」
「何?!」
 絵師の言葉に王は意外そうな顔をした。
「協様は、大帝国の王でいらっしゃいます。その後宮の女と言えば、国内は言うに及ばず属国からの女の中で、セレクトされた最上級でございます。そして、今回協様が選ばれました亮様、満様そして孟様は、私の目から見ましても、最近召し抱えられた方々のうちの五指に入るレベルでございます。それらの方がお気に召されないということは、協様の理想が限りなく高すぎるということでしょう。
 もしかしたら、協様のお相手は地上にはいらっしゃらないのかもしれません。しかし、後宮には三千人の宮女がおられます。何人かは協様のお目にかなうのではありましょう。まあ、ご多忙な協様が三千人全てとお目通りはかないません。そのための絵師でございます。協様の代わりに、私が吟味して絵におさめましょう。
 私の絵は、心の目で見たものも絵の中に表現いたします。故に第一印象と若干異なる感覚になるかもしれませんが……。まあ、ゆるゆるとお気に召す方をお探し下さればよろしいと思います。……それで、他にご用事はございますか? 協様」
「……いや特には……。呼び立てて済まなかった」
 これで王と絵師の会見は終わった。
 王からしてみれば、怒りをうまく逸らされた気持ちで、いたたまれなくなり、このまま馬を駆りに馬場へと向かった。
 その後何人か、絵師の絵の中で気に入った宮女を抱いたが、やはり絵と自分の目で見た宮女のギャップを感じずにはいられなかった。それも全て絵よりも劣っている印象を。
 しかし、元々政治などにも精力的に取り組む協王は、多忙の中にしばしば深夜まで書を読みふけることもあり、いつしか後宮には週に一度程度しか通わなくなっていた。

 さて、協王の支配する國は大帝国であり、その帝国の周りには多くの国々が存在していた。
 協王とその父王の二代に渡る精力的な外交政策が功を奏し、帝国の力は他国を凌駕するものとなり、周辺国は競って帝国の機嫌を伺い、或いは属国となっていった。
 その協の時代より百年程度遡る時代に、帝国の北方に騎馬民族の国家が存在しており、帝国にとって大いなる脅威であった。
 この騎馬民族国家は、しばしば帝国の国境を突破し、最盛期には帝国の帝都に肉薄するほどの力を有していた。
 しかしそれも過去の話。
 もともと騎馬民族国家の国力は、帝国の国力の十分の一程度であり、それを騎馬民族の圧倒的な戦闘力が補っていたのであるが、今では、その騎馬戦法或いは騎馬の集団運用なども帝国に研究され、ほぼ軍隊の力に差は無くなっていた。
 そこに、協王による、卓越した表の外交と裏の調略のいわゆる『軍隊を用いない戦争』が功を奏し、騎馬民族国家は三人の兄弟で、國を三分して相争う状況になったのである。
 この騎馬民族国家のうち、末の三男が帝国と手を組んで、一番国力を有していた長男の國を滅ぼした。
 長男は先王が正式な後継者に選んだ者であり、当然三男の行為への國内外の非難は無視できないものとなり、さらに長男の國を滅ぼしたとはいえ、三男自身の國も自国の兵の大半を失い、一気に国力を失った。
 そして、まだ長男は滅ぼしたとはいえ、次男の國が残っている。騎馬民族国家の三男は、帝国とのさらなる強固な同盟を望まざるを得ない状態であった。事実上の帝国への属国化である。
 この筋書きはほぼ帝国の協王が描いたものであり、北方の騎馬民族国家全ての併呑も数年の後には完了する状態にまで着手していた。
 そのような時、騎馬民族の三男の王が、帝国の協王と会談をした。
 その会談の中で騎馬の三男の王は、協王と義兄弟の契りを結びたいと申し出た。
 衰退する事実の前で少しでも自らの存在を誇示したい三男の足掻きともとれるこの申し入れに、協王は二つ返事で快諾した。
 協王からすれば、そのような契約などいつでも一方的に破棄できるものであるし、むしろ義兄弟という関係を結べば、そのまま騎馬民族国家の併呑の理屈も立ちやすいはずである。
 むろん協王が兄で、騎馬の三男が弟である。
 そして、その義兄弟の契りを結んだ会談の席で、騎馬の三男王は、帝国の王族を妃に迎えたい旨を申し出た。
 この三男王の厚顔ぶりには、さすがの協王も鼻白んだが、三千人の後宮の宮女を一人下賜すれば事足りると思いなおし、これも笑顔で快諾した。

 その会談の夜。協王は数名の重臣と図った結果、宮女の中で一番の醜女(しこめ)を三男王に下賜することと決定した。
 身の程をわきまえない三男王への意趣返しもあるが、その協王の行為に対して、三男王が不平や不満をもらしたり、その醜女を粗略に扱ったりしたら、三男王を攻める大義名分が出来る。
 もしかしたら、明日その場で宮女の下賜を拒むかもしれない。
 そうなったら、騎馬国家の併呑は少なくとも二年は早まる。
 そのような協王の深慮遠謀を含めての決定事項であった。
 重臣とこれらを決めたのち、協王はその後夜を徹して、三千人の宮女の絵を吟味した。
 絵が完成した折に一見したきり、一度も見ていない最もランクが低い三百の絵を、協王は再び見たのである。
 それは、セレクトされた宮女たちとはいえ、見るに堪えないものばかりであった。
 協王からすれば、なぜそのような女たちを宮女として召し抱えているかは、理解しがたいものであったが、召し抱える家臣の美の価値観は多様であるし、容姿より何らかの秀でた能力があるものも選んでいるのであろうと、無理やり思い込み、その三百の絵を吟味していった。
 しかしそれにそれほどの時間は必要なかった。
 三百の中に一人だけ抜きに出るぐらいの醜い女がいたのである。
 名前は弁。
 宮女として迎え入れられた時が十三で、既に十年が経過している。
 とにかく、その場で家臣に命じ、明日、弁を三男王に下賜する旨を伝え、協王は眠りについた。

(後編に続く)

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