八大龍王伝説
【413 アナバタツタの手紙】
〔本編〕
「バツナンダ様……」
呆然としているバツナンダにマテルが声をかけた。
「アナバタツタ様からお手紙を預かっております。これを是非、読んでいただきたい。私は既に一読しております。これを読んだからこそ、バツナンダ様――貴女様の命をお救いしようと心に決めたのです。本来であれば、主(あるじ)のトクシャカ様及びその同士のアナバタツタ様の敵。
ここに運ばれた時に、貴女の命を奪おうと考えました。しかし、それを許さなかったのがアナバタツタ様です。この手紙をお読みいただければ、次に自分がなすべきことを気づくと思います!」
このマテルの言葉は、バツナンダの心に深く突き刺さった。完全に自分の心を見透かされているのである。
これは、マテルが優れていることもあるが、バツナンダの精神状態が、ほとんど虚ろであったことも大きい。
バツナンダは、マテルから手紙を受け取ると、貪るようにそれを読んだ。
手紙の内容はこうであった。
『バツナンダ殿。貴殿がこの手紙を読んでいるということは、僕は既にこの世にいないということであろうな。貴殿の過ち――つまりウバツラ側についたことだが、それについては僕からは特に咎める気持ちはない。神だからといって、全て正しいことを行えるわけでないことは、僕は知っているからだ。
僕がマナシについたのは、今のウバツラが、先代のウバツラを殺害した現場を見たからだ。それまでは正直言って半信半疑であったのは確かだ。僕が今回のことで、一番責を問いたいのは、何を隠そう摩那斯龍王だ。
マナシが、僕とトクシャカの言うとおりにすぐに、ウバツラを殺害すれば――むろん対の呪いがあるので、実際に殺害するのは僕とトクシャカだが……、それをしていれば、八大龍王が二派に分かれて争うこともなかったのに……。
とにかく、こうなった以上、時を戻すことも、過去を書き換えることもできない。バツナンダ……、これは残った者の使命だ。お前がウバツラを倒せ! それが僕の遺言だ。僕はお前に頼むぞとは言わない。頼まれなくても、その使命はやるべきだからだ!』
「私には無理だ!」
手紙を読み終わって、バツナンダは深いため息をつき、そう呟いた。
バツナンダは、手首から上のない右手をじっと見つめていた。
それについて横にいたマテルは何も言わなかった。
マテルにアドバイスできる術はないし、それに今までトクシャカをはじめ、自分達の敵(かたき)であったバツナンダにあえて声をかけるつもりもなかったからである。
「私一人でなにができるというのだ?!」
バツナンダの絶望から発せられた言の葉であった。
「……ちなみにお伝えいたしますが、お一人ではございません……」
これにはマテルがボソッと呟いた。
「何?! 一人ではない?」
バツナンダの言の葉。
「他に誰か……?」
「はい。バツナンダ様。隣室にシャカラ様がいらっしゃいます」
「馬鹿な! シャカラも生きていたというのか?」
バツナンダはマテルに、食い付かん勢いで尋ねていた。
「……バツナンダ様。少し落ち着いてください!」
マテルが大声を出し、バツナンダを制した。
「……すまない。突然のことで、少し取り乱した。許されよ。マトル殿!」
「マテルでございます。バツナンダ様」
「すまない。マテル殿」
バツナンダが一度聞いた名前を言い間違えるとは、おそらくは生まれて初めてであろう。
それほど、今のバツナンダは冷静さとは無縁の状態だったのである。
「……それで、マテル殿」
「何でございましょう。バツナンダ様」
「シャカラと今後のことについて話をしたいのであるが……」
「……バツナンダ様。それはかなり難しいと思われます」
「どういうことですか? マテル殿」
「シャカラ様は……、意識はおありですが、魂がそこにはありません。まるで抜け殻のような状態でございます」
「?! ……どういうことだ! 生きてはいるのだろうな!」
「はい。ご存命ではいらっしゃいます。しかし、あの状態を生きていると呼んで差支えないのかどうか……。とにかく、受け答え一つも満足にできません。お身体には何の問題もございません。お心の問題だと思われます」
「……心の問題! シャカラの身に何が起きたのだ!」
「はい」
マテルは一旦、躊躇したが、意を決し話続けた。
「状況はバツナンダ様のそれに非常に良く似ておられます。バツナンダ様は、味方と思われたウバツラ様に殺されかけ、敵であるはずのアナバタツタ様によって救われ、そのせいでアナバタツタ様が亡くなられました。それと同じことが、第三龍王シャカラ様と第七龍王マナシ様との間でも起こったのでございます」
マテルはその状況を、バツナンダに聞かせる。
それは想像を絶する驚愕の事実であった。
地上の世界の時間で龍王暦一〇五八年――或は聖皇暦二年の一一月日。
天界の暦でいうと光獅子一〇五三〇ノ日。
この日から始まった第三龍王シャカラと第七龍王マナシとの最終決戦といえる白兵戦は容易に決着がつかなかった。
確かにこの戦い、マナシの圧倒的優位から始まった戦いであったが、シャカラがマナシの主力の武器である黒魔法の杖と白魔法の魔道の書を封じたことによって剣と戦斧による純粋な白兵戦に持ち込んだのである。
この時点でシャカラは勝利を確信したが、それは楽観的な発想であった。
マナシの剣技のレベルが想像以上に高かったからである。
シャカラは戦斧の扱いは超一流である。むろん、人の域ではなく神の域においてである。
極技、或は極芸の極みというべきレベルの高さである。技の龍王と呼ばれるのも、そのあたりの理由に起因する。
そのシャカラに対して、マナシは五分以上のレベルで白兵戦を展開しているのである。
「貴女の剣技のレベルがそんなに高いとは思いませんでした。これはもう少し本気で挑んだ方が良かったかな?」
シャカラが軽口をたたく。しかし、その軽口とは裏腹に、シャカラの中には焦りが隠せなかった。
“白兵戦にさえ持ち込めば勝てる”
そう考えたシャカラの思惑が根底から崩れ去ったのである。
シャカラの長斧は、彼自身の身長と同じ長さで一七〇センチメートル。
その武器が有効に働くのは、剣よりやや長い八十センチメートル程度の距離。
白兵戦といっても少し剣の有効攻撃距離より長い。
マナシの持っている剣では有効攻撃距離が五十センチメートルであろう。
つまり、マナシをシャカラ自身の懐にいれなければ、負ける要素は皆無であり、シャカラにはそれができる絶対的な自信があった。
しかしながら、マナシの剣技はシャカラの予想をはるかに上回り、しばしばシャカラの長斧の有効攻撃距離の内側に踏み込んでくるのである。
それでも、剣(つるぎ)系の武器だけで戦いを展開するのであれば、シャカラにやはり分はある。
マナシは剣での決着は望んでおらず、自身の杖と魔道書が復活するまでの時間稼ぎである。
当然、シャカラもそれは理解して、果断のない攻めを展開している。
マナシが守りに徹してなお、剣技では勝てるとふんだシャカラであったが、その思惑は見事に外れた。
マナシの剣技がシャカラの予想を超えていたといえばそれまでであるが……。
〔参考 用語集〕
(龍王名)
難陀(ナンダ)龍王(ジュリス王国を建国した第一龍王とその継承神の総称)
跋難陀(バツナンダ)龍王(フルーメス王国を建国した第二龍王とその継承神の総称)
沙伽羅(シャカラ)龍王(ゴンク帝國を建国した第三龍王とその継承神の総称)
和修吉(ワシュウキツ)龍王(クルックス共和国を建国した第四龍王とその継承神の総称)
徳叉迦(トクシャカ)龍王(ミケルクスド國を建国した第五龍王とその継承神の総称)
阿那婆達多(アナバタツタ)龍王(カルガス國を建国した第六龍王とその継承神の総称)
摩那斯(マナシ)龍王(バルナート帝國を建国した第七龍王とその継承神の総称)
優鉢羅(ウバツラ)龍王(ソルトルムンク聖王国を建国した第八龍王とその継承神の総称)
(神名・人名等)
マテル(第五龍王トクシャカに仕える天界の者)
(武器名)
黒魔法の杖(マナシの左手に持たれた杖。あらゆる黒魔法が行使できる)
白魔法の書(マナシの右手に持たれた書。あらゆる白魔法が行使できる)
長斧(シャカラの得物の一つ。文字通り長い柄のついた戦斧)
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