アメリカは憧れの国だった。
昔々の話だが。
テレビから伺えるアメリカの生活は団塊の世代のみならず、日本人にため息をつかせたと思う。
冷蔵庫、洗濯機、掃除機は母親たちに。
ベッドやネグルジェ、パーティなどがある生活は子供だった我々に。
大きな車、大きな家は父親たちに。
子供だった私など、金髪碧眼の白人は黄色人種よりはるかに美しく感じたし、優秀に感じた。
それほど敗戦というのは子供にもコンプレックスを植え付けたものだ。
でも日本が豊かになり、海外に行けるようになってみたら、日本はとてもいい国だということを実感する。日本の文化も決して西洋に劣らない。
昔の妙なコンプレックスが恥ずかしいほどだ。
けれど無学だった故か、母にはいつまでもアメリカは憧れの国だった。
そして私が海外旅行に出かけるたびに「何故アメリカに行かないんだ?」と不思議がった。
母を連れてハワイに行ったことがあるけれど、母にとってハワイは本当のアメリカではなかったらしい。
もっとも私たち夫婦が好んで出かけた外国は「秘境」 のくくりに入る国も多く、モンゴル、ネパール、カムチャツカ、ボルネオ、マダガスカルと「どこにあるのか?」と聞かれる国が多かったせいもある。
少しでも若い時じゃないと体力的に辛い途上国を優先した結果なのだが、いよいよもう若くはないからと、ついに4月、アメリカに行くことにした。
旅行代理店にそれを申し込んでおいたら先日電話があった。
「あのう、念のためにお聞きしますが…」
「はい、なんでしょう?」
「この2~3年の間にイランとかシリアとか、そう言った中東への渡航歴はありませんよね?もしあったら入国できないんですが…」
は?
驚きながらも私は即答した。
「ありません」
そして唸った。
アメリカはテロ対策にここまでしなければならないのかと。
そう言えば今年の正月明けにグアムに行ったら空港のチェックはとても厳しくて、両手の指一本一本の指紋をとられた上、目の虹彩認識までされた。
かつて憧れた大国アメリカ。
そのアメリカは今、大国故のリスクをかかえて我々が思っている以上に大きな悲鳴をあげているのかもしれない。
でも、もし母が生きていたら、それでもアメリカはきっとまだ母の憧れの国だっただろう。
私もアメリカが憧れの国のままだったら。
そしたら4月の旅行がもっと楽しみだったのに。
そう思わずにはいられない。
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