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2016年02月13日16:53

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🟣 🍓 幸せ比べ

「はい、虹です」
受話器を取ってそう応えると、電話をかけてきた相手の女性はややためらいがちに聞いてきた。
「あのう…ムラタ スミさん(仮名)のお宅でしょうか?」
母の名前だった。

母は去年亡くなっている。私はほんの少しばかり警戒して聞き返した。
「ムラタ スミは私の母ですが、どういった御用でしょうか?」
「あ、実はお母様のお友達のことで…」そう言われてすぐにピンときた。

母には長年付き合ってきた未婚で一人暮らしの、シモカワさんという親友がいた。
彼女は60代のとき、お年寄り用の施設に自分の意思で入った。

その施設に会いに行って帰ってきた、まだ元気だった頃の母は呆れ、憤慨していた。
「一生懸命老後のために蓄えていた自分のお金も施設に管理され、月に決められた金額しか渡して貰えないんだって」と。

認知症の初期の頃、母はその友達に会いに行きたいと言いだしたことがあった。
その時、市の名前は知っていても住所も覚えていなければ、その施設の名前も覚えていないのに、母は「行けばわかる」と言い張った。

それならとネットで調べて、数カ所ある施設の電話を片っ端からかけて問い合わせようとしたら、のっけから個人情報保護法の壁に阻まれて「そういう人がここに入所しているかどうかということにはお答えできません」の一点張りだった。

他の施設も推して知るべしと思い、母に諦めさせた。
結局あちらから連絡があるまでこちらは待つことしかできなかったが、どういうわけか全く連絡はなく、そのうち母も認知症の症状が進んで彼女の名前を口にすることはなくなっていった。

そんなことを思い出しながら聞いた。
「もしかしたら亡くなられたんですか!?」
「いえ、ご存命ですが認知症で…」

会ってもわからないとは思うけど、できれば母に会わせたい。
そういう趣旨だった。

そこで私は母がすでに亡くなっていることを告げ、6年前の施設の応対を軽く責めた。
もちろん電話で対応された方がその施設の方だったかどうかはわからないのだが。

ところがシモカワさんも「その頃から認知症の兆しがあった」という。
連絡がなかったのはそのせいだったのか!
なんということだろう。仲が良かった二人がほぼ同じ頃、認知症になっていたとは!

どんなに仲が良くても人間、友達に不満や見栄や嫉妬が芽生える時はある。

二人がまだ若く元気だった頃、シモカワさんは母が長男を亡くし辛い思いをしたり、妹の離婚で悩んだりするのを見て
「私は子供がいなくて良かったわ。なんの心配もなくて幸せだ」と言って母を悔しがらせたことがあった。

けれど天涯孤独の身の彼女にそう言わせしめたのは、母が無意識のうちに親バカで、子供自慢や孫自慢もしたからに違いないのだ。

「自分は幸せだ。こんないいとこに住めて」
シモカワさんは新しく快適にできている施設での生活を、会いにきた母にそう言ったとか。

母から間接的に聞かされるシモカワさんの話は、親友でありながら母と「幸せ自慢」「幸せ比べ」をしているようで、そんな二人はいささか滑稽だったが、認知症という着地点は同じだったんだな…

そう思いながら電話を終えた後しばらく私はぼんやりした。
そしてシモカワさんの名前がすぐ出てこなかったことを思い出し、かすかにゾッとした。

彼女の名前はもう6年以上口にしていない。
最後に会ったのだってもう20年近く前だ。
だから…
だから…

それは無理もない。
無理もないことだと思いたい。

でも…
やっぱり私の着地点もそこなのかな…
だとしたら私もたっぷり味わっておかなきゃ。
今の幸せの味を。
そう思った。
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