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2015年12月08日00:14

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情緒

 数学者の藤原正彦さんのご意見には、私は非常に共感できることが多く、エッセイなどはしばしば拝読しているのですが、最近読んだ「数学者の休憩時間」では、情緒を育てることの大切さを力説されてました。
 数学者なのに、あれっと思いますが、藤原さんによれば、数学は必ずしも(イメージ的に情緒の対極にある)論理的思考を養うものではないそうです。むしろ、理性による論理的思考に問題があることを指摘して次のように主張されます。

 論理的思考が万全でないのは、この世の中に、論理的に正しいことがごろごろあるからである。例えば少年非行について、「厳しく体罰を加えるべき」も「体罰は絶対にいけない」も「ケースバイケースで体罰を加える」も、みな論理が通っている。ユダヤ人虐殺のナチスにも、ベトナムをじゅうたん爆撃したアメリカにも、アフガニスタン侵攻のソ連にも論理はある。問題は、いくらもある正しい論理の中から、どの論理を選ぶかである。通常、この選択は情緒によってなされる。ここで論理を選ぶ、ということをもう少し詳しく考えてみよう。
 論理を繰り返し用いた結果、AからZに到達したとしよう。Zは結論である。図示すると、A→B→C→…→Zとなる。矢印が論理であるが、出発点のAは論理的帰結でないから仮説である。この出発点の仮説を選ぶのが情緒なのである。
 この情緒は、その人のそれまでの人生と深い関わりをもつ。どんな家庭に育ったか、どんな先生や友達をもったか、どんな読書をしてきたか、どんな愛を経験したか、どんな挫折を味わったか、どんな別れに出会ったか…等、ありとあらゆる体験がこの情緒を形成している。情緒の充分に発達していない人は、正しい出発点を選べないことになる。このような人が、たまたま頭が良く論理に強いと、実に危険である。出発点Aが誤っている場合、途中の論理が正しければ正しいほど、結論のZは必然的に誤ったものとなるからである。ここに論理だけに頼ることの危険と情緒の重要性がある。

 情緒という言葉は、意味が広くやや漠然としている。喜怒哀楽などの一次的情緒だけでなく、友情、勇気、愛国心、正義感など、さらにはより高次なものまで含んでいる。(「数学者の休憩時間」P117〜118)

 そして、その情緒の中でも、とくに「他人の不幸に対する敏感さ」と「なつかしさ」を重要なものとして挙げておられます。
 その上でさらに、こうも述べておられます。

 人間の理性ないし論理で、戦争を廃絶することが不可能なのは、歴史的に証明されている。現代人は、過去の人達に比べ優れた理性を持っているから、戦争を回避できる、と考えるのは傲慢以外の何ものでもなかろう。こう考えた時、核戦争から人類を守るには、地球上のあらゆる人間の、美しい情緒にたよる他に、どんな手だてもないような気がする。故郷の山河をなつかしみ、故郷の空、土、風、光を想い涙する人が、核戦争のボタンを押すとは、その人がどんな論理どんなイデオロギーの下にあろうと、私にはどうしても考えられないのである。(「数学者の休憩時間」P122〜123)

 理想論かもしれません。
 ですが、理性ないし論理にそれほど期待することができなくなった結果、人類がほとんど行き詰まり状態にある今、これほど明確で分かりやすい答えは他に見たことがないのも事実です。

 余談になりますが、現首相の父親(安倍晋太郎)は、流石に息子のことをよく見抜いて「晋三、おまえは政治家として最も大事な情がない」と言ったということです。藤原さんの主張と照らし合わせると、何やらゾッとするようなものを感じてしまいます。
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