グルカを泣かせた日本軍
大戦末期、インパールで日本軍は輸送の途絶から敗戦の憂き目にあい、その後ビルマ山中では散発的な戦闘が続くのみとなった。
しかし一部のジャングルでは未だ勇猛果敢に戦う部隊も存在し、降伏を受け入れない彼らはあくまで敢闘の意思を示していた。
退路を断たれた兵は死兵となる。
死に物狂いの彼らはもっぱら夜襲を仕掛けイギリス軍を主体とした連合軍はこの夜襲に苦慮していた。
インド兵は日本軍の気配がしただけで逃げ出し、現地のビルマ山岳部隊は
「なぜイギリスの戦いに我々が」
という空気が濃厚で、戦う意思に弱かった。
イギリス兵はイギリス兵でジャングル戦に慣れておらず、ごく少数の特殊部隊SASを除いては、夜戦に対応できる部隊はほぼ存在しなかった。
苦慮したイギリス軍が最終的に白羽の矢を立てたのは勇猛として名を馳せるグルカ兵部隊だった。
彼らはまるで戦うために生まれたような民族だった。
小柄な体からどこからそんなパワーがでるのか、ジャングルを知り尽くした彼らは日本軍の夜襲にもひるまず、かえって日本軍を追い詰めることも多かった。
彼らは立派にイギリス軍の期待に応えた。
グルカには戦いに対する美学がある。
たとえ戦いの最中に味方が死んだとしても、その味方の戦いがまずかっただけであり
「・・このドジが」
といったような感情しかわかない者が多かった。
彼らにとっては味方が死ぬ以上に重要なのはただひたすら相手の首級をとることである。
野戦だから相手の顔は見えないものの、ジャングルという環境の中で彼らは水を得た魚のように日本軍と戦った。
彼らにとって死以上に怖いのは、戦いの場においておびえたり卑怯な真似をして味方から嘲笑されることだった。
しかしそのさしものグルカ兵をしても、日本軍の中で手を焼いたのは、長刀を持った兵だった。
末期の戦で弾薬を使い果たした日本軍はもっぱら銃剣か軍刀での肉弾戦に重きをおいていたが、戦っても戦っても日本軍はひるまず、負傷した戦友にも考慮せず、夜に次いでやってくる。
「日本軍は悪魔なのか」
その苦しい戦いも、いつか終わる日が来た。
ある夜、日本軍最後の突撃があった。
闇の中で見えるのは、ただただ散発的な銃火と、干戈の煌めきのみである。
あとは野獣のような咆哮。
千年とも思える長い夜がすぎて、霧があけ、朝がきた。
生き残ったグルカ兵は信じられないものをみた。
そこには食なく衣なくやせ細り骨と皮ばかりになった日本兵たちの死骸があった。
銃剣だけの兵、軍靴をはいていない兵の姿もあった。
幽鬼のような姿となってなお、つっぷしたまま軍刀を放していない兵の姿があった。
何の気なしに雑嚢を取り開けてみると、そこにはカタツムリの殻があった。そしてトカゲの干物があった。
グルカ兵たちは膝をつき泣いた。
味方の死を見ても斟酌しないジャングルの戦士たちは敵のために初めて泣いた。
日本軍はジャングルを知り尽くしたグルカ兵以上の窮状に耐え、最後の突撃にでたのである。
50年の月日が過ぎた。
この戦いを取材するべくとある日本のTV局がそのグルカ部隊の村を調べ上げ、長老の家を訪れた。
その長老の家に、日本軍の軍刀があった。
勇者の形見として神前に飾られていたのである。
「このカタナをどうかあの戦士の家に届けてほしい、ここに名前がある。」
長老が願い出るので、TV局スタッフがその刀をみたが、そこにあるのは名前ではなく、刀の銘であった。
長老はただため息をつくばかりだったという。
以上の話は自分がいろいろな証言や資料を得て作成したものだが、なにぶんもとがグルカの長老の話がもとなので、実証のしようもない。
いつかまたミャンマーにいくことがあったら、ぜひこの村を訪れてみたいと思っている。
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