自分は学校の教師と折があわなかった。
なぜか、彼らはバカだったからだ。
自分は小さい頃から毎日その日食えるかどうかが戦いで、たとえば、真夜中の2時くらいには必ず起きてとあるレストランの裏口にいかなくてはならなかった。
そこにはハムの切れっ端がビニール袋いっぱいに入っており、取りに行かなければ鮮度も落ちてしまうからだ。
包装ビニールにこびりついたハムは歯でこそぎとるように食べるとうまかった。
それにくらべて学校で対峙する教師は暖衣飽食で育ったものばかり。
自分はとある若い教師に聞いたことがある。
「・・わしはなんでこんな生活おくらなあかんねん?わしはなんで他の子とくらべてかわいがってもらえんねん?」
すると若い教師はちょっととまどいながら
「・・・自分を考えてみんといかんのじゃないかな」
と答えた。
ぜんぜん納得いかなかった。
彼らの教えることもバカバカしくてしょうがなかった。
小学校4年生の社会の道徳のときだ
「日本は悪い国で戦争をしようとした。だから負けた。」
と言われた。
宇宙戦艦ヤマトやら実際の軍艦が大好きだった自分は、海軍陸戦隊に所属していたいう祖父が密かに誇りだった。
自分は感想文をだすときに
「・・うちのじいちゃんは、そんなに悪い人の仲間なんですか?みんながみんなだまされて悪いことをやったんですか?そうとは思いません。それぞれの国にそれぞれの正しいことがあり、それぞれの人にそれぞれの思いがあります。ただ単に”悪い”といえんと思います」
と書いてだした。
すると自分はその教師から授業後に呼び出しを受けた。
中学校にあがっても、教師を尊敬することはできなかった。
学校で金銭を脅し取ったり、強姦までが起こっている学校だったのに、教師はそれら生徒は問題にしようとせず、やれ制服の首のホックが外れているとか、制帽がないとか、規定の白シューズではないとか、わけのわからないことばかりに神経を集中させていた。
ある日、高校で自分は面と教頭にいったことがある。
日教組のストで、授業を途中でやめて帰ることになったらしい。
「楽でええな、教師っちゅうもんは、情報は疑わんでええ、ただ時間に縛られて、”やれ”っちゅうことを金科玉条のごとくやっとればええんじゃからなあ」
そのときその教師は目をむいていった。
「・・あんたにそんなこと言われるいわれはなあで?」
物事というものは、数十年の月日がたってあたためて見ると、違う角度から見えたりする物だが、このことだけは未だに子供の頃と同じ思いがする。
でも物事は悲観的に見ていてもしかたがない。
自分は人生で寄り道が多かったが、それでも気づくのに遅いということはない。
自分の人生の曲がり角で、どうやってそれらを切り抜けたか、子供らにそれをおしえればよい。
自分の人生に尊敬できる大人がいなかったのなら、自分がそうなれるように努力すればよい。
自分だけは、当時いたような教師になりたくないと思う。
50になろうが、60になろうが、まだ学ぶことはたくさんあるのだ。
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