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2015年07月26日01:13

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東京裁判

 昨晩から今日にかけては、ちょっとした偶然が重なりました。
 ご覧になった人もいるかもしれませんが、昨晩は、「池上彰のニュースそうだったのか!!2時間スペシャル」という番組を見てました。
 その番組では、東京裁判も取り上げていました。
 東京裁判(極東国際軍事裁判)は、先の大戦の連合国が「戦争犯罪人」として指定した日本の指導者などを裁いた裁判ですが、裁判そのものは、中立国の判事ではなく戦勝国たる連合国の判事によって行われたり、事後法(=行為時に犯罪とされていなかった行為を罰する行為後にできた法律)によって、被告人(戦犯)の罪を問うたり、とまあ突っ込みどころ満載の茶番劇でした。
 私も20年ほど前に「東京裁判」というドキュメンタリー映画を文芸座で観たのですが、判決言渡しの場面までくると、スクリーンに向かって「ナンセンス!」と叫ぶ観客が続出したのをよく覚えています。
 それくらいいい加減な裁判の中で、ほとんど唯一とも言えるまともな法律論を展開してくれたのが、ベン・ブルース・ブレイクニー弁護士で、その様子は、上述の映画にも収録されていましたし、昨晩の番組でもオンエアされました。
 ブレイクニー弁護士は大要、次のように述べたのです。

 「戦争は犯罪ではない。戦争法規があることが戦争の合法性を示す証拠である。戦争の開始、通告、戦闘の方法、終結を決める法規も戦争自体が非合法なら全く無意味である。国際法は、国家利益追及の為に行う戦争をこれまでに非合法と見做したことはない」

 「歴史を振り返ってみても、戦争の計画、遂行が法廷において犯罪として裁かれた例はない。我々は、この裁判で新しい法律を打ち立てようとする検察側の抱負を承知している。しかし、そういう試みこそが新しくより高い法の実現を妨げるのではないか。“平和に対する罪”と名付けられた訴因は、故に当法廷より却下されねばならない」

 「国家の行為である戦争の個人責任を問うことは、法律的に誤りである。何故ならば、国際法は国家に対して適用されるものであって、個人に対してではない。個人に依る戦争行為という新しい犯罪をこの法廷で裁くのは誤りである。戦争での殺人は罪にならない。それは殺人罪ではない。戦争が合法的だからである。つまり合法的人殺しである殺人行為の正当化である。たとえ嫌悪すべき行為でも、犯罪としてその責任は問われなかった。

(以下の発言が始まると、チャーターで定められている筈の同時通訳が停止し、日本語の速記録にもこの部分のみ「以下、通訳なし」としか記載されなかった)

 キッド提督の死が真珠湾攻撃による殺人罪になるならば、我々は、広島に原爆を投下した者の名を挙げることができる。投下を計画した参謀長の名も承知している。その国の元首の名前も承知している。彼らは、殺人罪を意識していたか?してはいまい。我々もそう思う。それは彼らの戦闘行為が正義で、敵の行為が不正義だからではなく、戦争自体が犯罪ではないからである。何の罪科でいかなる証拠で戦争による殺人が違法なのか。原爆を投下した者がいる。この投下を計画し、その実行を命じ、これを黙認した者がいる。その者達が裁いているのだ。彼らも殺人者ではないか」(Wikipediaより)
https://www.youtube.com/watch?v=EFpB2oN-scU

 「一人を殺せば殺人者だが、百万人を殺せば英雄だ。殺人は数によって神聖化させられる。」というチャップリンの名言を彷彿とさせるこの巧みな論理展開は実に鋭く見事なものです(余談ですが、これくらいの法律論を展開できるだけの論客が今の与党に見当たらないのは、ある意味ラッキーなことかもしれないとまで思ってしまいます)。

 さて、私が冒頭に述べた偶然というのは、こうしたブレイクニー弁護士の主張がオンエアされた昨日は、まさに70年前、トルーマン米大統領が日本への原爆投下を指令した日であったということです。
 おそらく、流石の池上さんも気づいてなかったのではないでしょうか。

 なお、これも一種の偶然かもしれませんが、上述の「東京裁判」という映画は、本日、池袋の新文芸坐で上映されますので、興味のある方は、是非そちらへどうぞ。

 最後に悲しい話ですが、ブレイクニー弁護士はなんと日本で亡くなっています。1963年3月4日セスナ機を操縦中、伊豆半島にある天城山の山腹に激突し死亡したということです。
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