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2015年06月19日22:12

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『鴨居玲展―踊り候え』に行って来た。

梅雨空の明け休み、またぞろミュージアムへ。

東京ステーションギャラリー「北陸新幹線開業記念 没後30年・鴨居玲展―踊り候え」
【展覧会HP】http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201505_Rey_Camoy_Retrospective.html
フォト
鴨居玲という画家を初めて見知ったのは、おそらく『日曜美術館』でだったと思う。いや、細かいことはもう、実はよく覚えていないのだ。がしかし、その作品に対するインパクトはかなりあったのだろう。というのは、今年の黄金週間中、石川県立美術館を訪ねる機会があり、そこの常設展示に陳列されていた彼の代表作『1982年 私』を目にした途端、ワッ、とテレビでこの絵を見た時の記憶がフラッシュバックして、不思議な感覚に陥った。怖くて哀しい絵だと思いつつ、惹きつけられた。
それから1か月半。こんなにも早く、この作品に再会できる機会が巡って来ようとは、思いもよらぬことだった。
「北陸新幹線開業記念」と称して、先頃から北陸に関連する企画を連発してる当館。今回は、金沢出身の鴨居玲の、没後30年を記念する回顧展である。



前記の如く、これまでに何作品か、単発で、その作品を拝したことはあったが、これだけの数(※遺品一式、パレットなどを含め、展示総数は98点)をまとめて見る機会は今回が初めてだった。
作風から言って、「楽しめた」という感想は語弊がある気もするが、やっぱり「楽しめた」としておこう(;´∀`)

「第1章/初期から安井賞受賞まで」
キャリア初期はいろいろと試行錯誤してたんだなあ、というのが見て取れた。まあ当たり前のことかも知れないが。
彼独自のスタイルというより、シュルレアリズム(わしが見た感じ「似てる」と思ったのは、ポール・デルヴォーやマグリット)とか抽象画(同じく「近似」を感じたのは白髪一雄とか)といった、先行する作品・作家の影響が色濃いような印象を持った。
ただ、「新人洋画家の登竜門」という安井賞を獲った『静止した刻』あたりからは、既に「独自スタイル」の萌芽が感じられる。つまりこの頃から、虚無的で空恐ろしい印象の絵を描き始めていたというわけだ。

「第2章/スペイン・パリ時代」
71年に渡欧。先ずスペインのラ・マンチャ地方(※ドン・キホーテの舞台としても有名だ)に居を構え、そのキャリアの内でも「最良の時を過ごした」という。
それは、代表作と呼ばれるような作品が幾つか生まれ、生涯を通して取り組むテーマに巡り会えたという、画業の面でもそうだったらしいが、素朴で陽気なラテン民族との交流が、プライベートにも好影響を与えたという意味に於いても「最良の時」だったようだ。
しかし鴨居は根っからの放浪癖があったらしく、この「最愛の地」にも1年足らず滞在しただけで居を移し、以後、同じスペインのトレド、マドリード、そしてパリなどを転々とする。
77年(※奇しくもわしが生まれた年だ)に帰国するまでの6年ちょっとの間、鴨居の滞欧は続いた。
この時期の作品は、ヨーロッパで出会った「市井の人々」(酔っぱらい、おばあさん、廃兵)や「風景」(鴨居が描く風景画は「教会」のみだった。少なくとも本展に出陳のモノは)をモチーフにしたものばかり。まあ、欧州に滞在してたんだから、当然と言えば当然か。
この頃にはすっかり「独自スタイル」も板についている。
そう、洞のようにぽっかり黒穴の開いた虚ろな目と口。暗い色彩。虚無と哀愁を湛えた佇まい。。。ただ、この頃の絵にはまだ、ユーモアがあるような気がする。たとえば、目の前の蛾に驚いた様子のおっさんを描いた『蛾』、酔っぱらったおっさんが陽気に踊る様を描いた『踊り候え』、そして鴨居が心を許した数少ない人間であるらしい実母と、自身の姿を描いた『おっかさん』などからは、思わずクスリと笑ってしまうような「可笑しみ」も感じられたものだ。

「第3章/帰国後の神戸時代」
帰国後の作品からはしかし、滞欧時には少なからずあったユーモアのようなモノがどんどん感じられなくなってゆく。画家自身がマンネリズムを恐れ(?)、新たなモチーフや作風に挑んだもののうまくいかず、焦燥感を募らせて、、、というエピソードを知って鑑賞してるから、そう見えるのだろうか?
確かに、新たに挑んだという「裸婦のテーマ」には、イイなと思える作品は見当たらなかった。ただ、『月に叫ぶ』『酔って候』『海の人』など、かつてのテーマを発展させたような作品には、少なからず素晴らしいと思える作品があったのは確か。
まあ、外野の人間だから気楽にこんなこと言えるんだろうが、別に、新しいテーマに取り組む必要はなかったんじゃないか? 従来のテーマをそのまま突きつめて、新たな段階に昇華させるような方法は採れなかったのか? と、ついつい思ってしまう。
で、裸婦などの新テーマがうまくいかなかったあと、最終段階として、ほとんど病的なまでに執着して描き続けたのが「自画像」だったらしい。
個人的に、1か月半ぶりの再会となった『1982年 私』は、その代表作。今回の再見では、「こんなにデカい作品だったけ?」と、先ずそのサイズにちょっと驚いた。存在感のある作品だった。真っ白なカンヴァスの前に、絵筆も持たず腰掛ける虚ろな顔の《私》。その周りを取り巻く不気味な人々はみな、鴨居がこれまでに描き続けてきた画題の《登場人物たち》である。
やっぱり空恐ろしさを感じる絵だった。が、途轍もなく惹きつけられる絵であったのも確か。
しかし一連の自画像作品からはやはり、「自死」という結末へ向けての「病的なモノ」がジュクジュクと滲み出てる印象を受けた(・_・;)

「第4章/デッサン」
デッサンがまた意外に面白かった。
彼の場合、デッサンの時点で既に「作品」として成立してるような印象のモノが多く、特に『踊り候え』や『おっかさん』は、ここから発展させていったのであろう完成作品より、寧ろデッサンの方が好きだったくらい。
「1枚の絵を描くのに、100枚のデッサンを自らに課した」という鴨居の、まさに面目躍如たる素晴らしい作品が揃ってたように思う。



で、この鑑賞中ずっと考えていたのは、同じ「(自らの暗部)抉り出し系」の画家だと思うんだが、なぜ鴨居玲の絵には好感が持てて、フランシス・ベーコンの絵には嫌悪感や拒絶感ばかり持ってしまうのか? ということだった。
答えは、(まだ)わからない。
ただ、やっぱり同じような系統で、同じような画題を扱ってても、画風や何やに「好き嫌い」があるのは確かで、言ってしまえば、鴨居の絵は「好き」、ベーコンは「嫌い」なんだけど、じゃあそういう「個人的な好悪」は、どのように生じ、どのように形成されてくるのだろうか? と。汲めども尽きぬ謎である。

あと、残念だった点をひとつ。
今回も「ガラスの反射」である(-_-;)
特に冒頭の方にあった作品は、(おそらく)低反射ガラスですらない、普通のガラスパネルが額縁に取り付けられており、ライティングが明るめで、しかも鴨居の絵の色調が全体に暗いため、ガラスへの背景の映り込みが甚だしく、鑑賞に大いに差し障ると感じた。
こればっかりは所蔵者の意向もあるだろうから、なかなか難しいのかも知れないが、頑張って交渉して、ベストの環境で観れるよう展示して欲しいと思った次第。せっかくの機会なんだからm(__)m

しかし全体としては、きょうもまた素晴らしい鑑賞体験が出来ました♪
満足満足♪
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