最後のミリタリー少年銀次郎
70年代前半まではアニメとか特撮はまだまだ小さい子どものみるもので
たいがいの子どもはTVドラマ・コンバットとか史上最大の作戦とかいう映画でミリタリー少年に育った。
ちょうど自分が物心つく歳、70年代後半から、宇宙戦艦ヤマトだとかガンダムだとか、そういうものが子ども達の心をとらえ始めるが、それまでは、日本の少年達はミリタリー少年が多かった。
当時の少年誌、背表紙広告を見ればわかるがこんなミリタリーテイストが多く、子ども達の心をとらえワクワクさせたものだ。
今のようにまだインターネットが普及している時代ではなく、子ども達の情報媒体はほぼTVか雑誌だったから、雑誌に載っているこういう広告は、下手をすれば
「・・買わないと時代に乗り遅れる」
そんな強迫観念さえ覚えたものだ。
しかし当時の少年達はいまの子ども達のようにリッチではなかった。
月の小遣いが300円とか500円の時代である。
数千円もするピストルやエアガン、戦車を買えた子は町のヒーローになった。
今のおもちゃとはくらべものにならない完成度ではあったが、それでもズッシリと重いリアルサイズのピストルや、多少の障害物なら越えていく戦車のリモコンは子ども達に問答無用の説得力を持っていた。
しかし銀次郎の世代はそういう少年達はほぼ消えていて、ミリタリー好きの少年はクラスに一人か二人だったろう。
80年代になると、時代のせいなのか、日本には反戦ブームがわきあがる。
ミリタリーテイストの聞いた映画やTVドラマはなりをひそめ、刑事スタスキー&ハッチや、白バイ野郎ジョン&パンチがかろうじて銀次郎を始めとしたかろうじて生息しているミリタリー少年たちの心をときめかした。
しかしそのブームも過ぎると、ミリタリー > 戦争 > 右翼 とも言えるイメージが日本社会に根付き、銀次郎のようなミリタリー少年はもはや、背徳感さえ覚える存在となった。
いまこういうミリタリー少年達に高揚感を与えた広告などを見ると、いまだにワクワクする反面、日本社会という価値観がコロコロ変わる現実に、少し悲しさを覚える。
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