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2015年04月12日15:41

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綺麗な映像。だが綺麗ごとではすまない人生。その公平な視線 『博士と彼女のセオリー』

ヨーロッパ映画にはハリウッド映画と違う映像のセオリーが存在する。
光彩の強さ、豊富な自然表現の取り込み。
即興性、前衛性、難解性。まあ、いろいろだ。*1
制作がイギリス主体の本作は、そのテイストを抱く綺麗な映像が全編で展開する。
学生時代、スティーヴン(博士)とジェーンが星を見て愛を囁き、
花火があがる場面など溜め息が出る。*2

だが、それだけではすまないのだ。
本作は進行するハンディキャップをあつかう。
博士はALS *3 を発症し障害を得た。
事実だけ取り出すなら人生には介護が必要だ。
ゆえ本作は博士と結婚し、パートナーになったジェーンの物語で、
全部が綺麗なままにとはいかない。

健常者の掌が蝶のように食卓を舞うなか、博士は皿をなめるように食事する。
食道につまる異物を嚥下し、その様子が子供と親族の会話へ水を差す。
かがやく博士の業績。だが介護ばかりの自分。
その彼女のまえに聖歌隊のピアノ講師ジョナサンが現れ、双方が愛し合う。

生々しい逡巡(しゅんじゅん)。障害の過酷さ。*4
2人の最後の“選択”には眉をひそめてしまう人もいるかもしれない。
それでも映画のなかの2人は、たがいを尊重し、“よりよい”方向をとった。
選択はベストでなくベターだった。公平さと現実、前進への落し所がよい。

綺麗な映像と過酷な現実のコントラスト。
その全体像に非常に説得力をあたえているのは、
なによりエド・レッドメインのハンディキャップの演技だ。
すばらしい。*3


※1 ヨーロッパの映画監督がハリウッドに渡り、その表現をアメリカが取り込み、表現は幅は増加していく。

※2 象徴的で印象的で幻想的で、もはや現実の物事ではないようにも。でも、だからこそ、その場面が博士とジェーンのもっとも輝いて美しい季節だったとわかるのだ。映画は最後に現在から過去へと巻き戻るが、その巻き戻しが博士の研究した時間と空間、“時間順序保護仮説”をたどり印象的にうつる。

※3 筋萎縮性側索硬化症。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%8B%E8%90%8E%E7%B8%AE%E6%80%A7%E5%81%B4%E7%B4%A2%E7%A1%AC%E5%8C%96%E7%97%87。映画は一種、このALSとの戦いを描く。 

※4 “ある”ものが“なく”、“できること”が“できない”のだから、ハンディキャップはツラい。この作品はそのツラさを隠さず、やたらとハンディキャップを讃美はしない。その目線が平等だ。

※5 途中から本当にレッドメインが博士本人かのように見えてしまうぐらいに。
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