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2015年03月24日22:28

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”孤独は悪いことではない”

※FBより転載

先日の日本旅行と同じく、自分の所へくる個人メッセージは

”友達から阻害される” ”周囲になじめない”

これらの相談メッセージです。

なるべく返事はしたいのですが、私自身個々に時間が割けるだけの余裕がなく申し訳ないのですが返事ができないこともあります。

そのかわりといってはなんですが、ここで少し自分の考えを書きます。

自分がまず第一に思うのは、”疎外感ほど苦しいものはない” ということ。

先の日記に田舎での孤立を書きましたが、銀次郎の少年時代の田舎暮らしほど最悪なものはありませんでした。

同じ孤独なら田舎の孤独と都会の孤独は、都会の人からの注目がうすくなるぶんだけ、油でゆでられるか、湯でゆでられるかぐらいの差があります。

こちらの様子を上目遣いに観察しながら、ヒソヒソと話をする村人

もしくは嘲笑をうかべながらありもしない噂話をするクラスメイト

自分の学生時代はその地域性もあいまってそれはひどいものでした。

だから、自分にはそういう問題で自分に相談してくる人達の気持ちはよくわかる。

中学時代、自分にはとある友人がいました。

彼は学校では部活で県大会でそこそこの成績を残すほどの生徒で、勉強もトップではないものの先生からの質問にはすべて答えられる。
そんな友人がいました。

中学校時代、彼だけは自分へのいじめグループには加わらず、またいじめグループに気を遣うわけでもなく

「おおー銀次郎」

と気さくに話しかけてくる友達だったのです。

彼の名は仮にタケシとします。

そんな彼ととあるスーパーマーケットにでかけたときのこと、自転車をおりた彼は、

「銀次郎、ちょいまっとけ」

といいました。

何をするのか自分にはわかりませんでしたが、彼は5分後くらいに、学校のスポーツバックの中にたくさんお菓子や文房具、カセットテープなどをつめてきたのです。

自分は目を丸くしました。

「・・おい、タケシ、お前、大丈夫なんか?わしとちがって、お前は受験もあるんど?万が一見つかったりすりゃあ・・」

「・・へへ、大丈夫じゃわいやあ、みんなやっとることじゃけん。クラスのもんもあそこは大丈夫じゃあいうてやりよるけん」

「・・ほんじゃけどの・・」

「・・銀次郎、もうええわいや、これとっとけ、”ケルボ” いうての、最近流行っとる消せるボールペンじゃわいや」

そういうと彼は自分の胸ポケットにグイっとビニールパックに包まれたままのそのボールペンを押し込んだ。

それから数ヶ月後、自分が町を歩いている時、そのタケシの母親が町中で他の主婦と話している風景をみかけた。

タケシの母親は自分を

「・・はっ」

として表情でみたと思うと、こちらを見てヒソヒソと話をしだした。

この当時は「なんでかな?」としか思っていなかったが

後々から他の友人から話をきいた

「・・おい銀次郎、タケシの母親がの、お前がこの町にきてから、「タケシが悪いこと覚えてこまっとる、悪いこと教えよる」そういいよるぞ、気ィつけえやあ・・」

自分は心底心が冷える思いがした。

おそらくタケシは、家にもちよる分不相応な買い物を親にみとがめられたに違いない。

それで親にこっぴどく叱られたのだろう。

でも自分はタケシの心象はわかっている。彼のことだ、口がさけても

「・・・銀次郎のせいだ」

とはいわないだろう。

でも彼の弱いところは

「・・・銀次郎のせいじゃない」

とも言えない部分でもある。

だがそうであったとしても、自分はタケシを恨む気にはまったくなれなかった。

学校で孤立無援であった自分に、

「・・・銀次郎、銀次郎」

と言っておもしろがって話しかけてくれたのは彼ぐらいである。

ただこれで彼との関係は終わってしまった。

彼は自分の気持ちを察したのか、町で自分をみかけたときに

「・・銀次郎、あのの・・」

と話しかけようとしたが、自分は彼を見て、少し笑っただけでふりきった。

自分とつきあうことは、自分にとって楽しいことではあっても、彼にとっては利があるまい。

このときの寂しさぐらいたとえようのないものはなかった。

唯一学校で自分と対等のつきあいをしてくれていたタケシを切ったのである。

自分はこのときからほとんど人付き合いをせず、歴史の本や、哲学書を読むことが多くなった。

一番印象深かったのはニーチェだった。

”逃れよ、友よ、君の孤独の中へ”

ニーチェは言う。

”本当に心が純粋な者にとって、この世ほど喧騒にまみれたところはない。

蠅のような人達はよってたかって君の汚れない心を汚そうとするだろう、

だが友よ、君はそんな蠅たちを片端からたたき落とすようなハエたたきになる必要は無いのだ。

それならば友よ、その心を純粋に保ちながら、孤独を守れ。”

話は長くなりましたが、以上のように、自分はその孤独さから、中学校時代さまざまな本を読みました。

自分の殻に閉じこもっていたといっていいでしょう。

でもこの時の経験がすごく役に立った。

海の見える丘から、独り潮風に吹かれながら読書をするときの楽しみは、魂の不滅を教え、時間の悠遠を見せ、自然の不思議さを14才の銀次郎に教えたと言っても過言ではありません。

自分は思うのですが、友達が多いと言うことと、幸せの数は比例しません。

独りであれば独りであるだけ、自分の世界は持てるんです。

最後になりますが、自分に相談してくるタイのみなさん、孤独を怖れる必要なんてないんですよ。

その気になればあなたの友人は過去の歴史の中にゴマンといます。

彼らとその信念を共有できれば、あなたは決して孤独ではないのです。

あなたが自分に自信があるのなら、あなたを理解しない相手と無理矢理時間を共有する必要なんて無いと思います。

※写真は当時過ごした島から見える瀬戸内の夕陽
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