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2015年03月23日08:37

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月がやさしくみていた

自分は中学時代、不登校の頃、不登校の頃、誰にも理解されなくて、一時期ずっと家出をしていた。

田舎というものはむごいものだ。

広島の孤島ともいうべき島に大阪から新しくきた銀次郎は度重なるいじめに耐えかねて、学校にいかなくなった。

そうすると、狭い街でものがなくなると

「銀次郎が盗りよったんじゃ」

ものが壊れていると

「銀次郎のせいにちがいないけん」

と言われるようになった。

しまいには祖母からも

「・・どうせ世間と違う子どもなら、まだしも不良のほうがましじゃわいのう・・・」

と言われるようになった。

この一言は効いた。

自分は浮浪児の身分であった自分を拾い上げてくれた祖母には感謝していたが、このときだけはたまらず言った。

「・・ばあちゃん、・・ほんなら、わしは、いま教室で悪い奴らがやりよる、ゼニを弱い奴からまきあげりゃあええんじゃな?」

祖母はだまってきいていた。

「・・・・」

「・・ほんなら、ほんなら、わしはわしは・・町からバイク盗んで走りまわしゃあええんじゃな?・・」

いつのまにか祖母は涙を流していた

「・・・わしはわしであるために、いじめるよりいじめられる方をえらんだんじゃ・・ばあちゃんまでそんなことをいいよるか・・」

自分は翌朝、祖母が畑にいったのを見計らって家を出た。

鍋や釜、マッチや包丁、そんなものを台車にのせながら。

ふだんから目星をつけていた農小屋があって、なにかあったらそこに住もうと思っていた。そこを目指した。

もう使われていないらしくところどころがいたんでいたが、ついて自分は有頂天になった。

人間は危機を迎えたときはただ黙って目の前の小事に没頭するしかない。

それがトイレ掃除であれ、読書であれ、ものごとに熱中することは幸せをたぐり寄せる重要なエッセンスのひとつである。

銀次郎は、いままでの過酷な浮浪児の境遇から、それを体験としてしっていた。

どんなに周囲が絶望的な状況であろうと、どんなに周囲に敵ばかりであろうと、そればかりに心が囚われていると、どんどん自分を見失ってしまう。

それよりか、すべてを忘れ、目の前の小事に夢中になってやってみることだ。

自分はまず畳を引っぺがし、陽の光をあて、小屋の戸という戸を開け放し、暗い小屋を換気させた。

それを夢中になって丸一日やると、不思議なことに陰気くさかった小屋が、一変した。

「わしはここを家にしたる・・いくところのないわしが、ここがホンマの家にできるんじゃあ」

夜になると、まつぼっくりを拾い集めて、薪に火をともした。

その日、畑からとってきたジャガイモを焼いていた。

焦げた表面を剥がし、塩をふって食べると、甘さと香りが口いっぱいに広がった。

「・・うまあ」

涙がでてきた。

火が周囲の山を幻想的に照らしだした。

空を見上げると、感動的だった。

雲から顔を出したきれいな月が浮き上がっているのである。

今までの生活が月を見る余裕さえ失わせていたが、あらためて月をみると、笑っているようで、
「耐えなさい」と言っているようで、なんともいえない表情をたたえていた。

当時、カールセーガンという宇宙科学者がいて、彼の言った言葉をそのとき思い出した。

” 私たちは星の材料でできている。”

その言葉をじっくり考えた

「・・わしには家族がおらんが、この身体も、この血も、星屑の材料と同じなんじゃそうな・・それなら、あの月が母親で、あの星屑が兄弟じゃあなあか・・そう考えると、頑張れるよの・・・この生活がいつまでつづくかわからんが、きっときっとやりぬこう」

そう考えた。

自分はあのときは月はいまだに自分に微笑んだと信じている。

眼下を見下ろすと、麦畑が風になびき月明かりに照らされて、銀の波を作っていた。

今でも自分は、月夜の晩には、空を見上げながら歩くのが好きである。

月がでていると心から落ち着くのは、この時の経験と無縁ではない。
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