mixiユーザー(id:22841595)

2015年02月28日00:09

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真実でさえ、時と方法を選ばずに用いられてよいということはない

 タイトルは、今日(28日)、482回目の誕生日を迎えたミシェル・ド・モンテーニュの言葉です。この人は、数々の名言を残していて、私も以前こちらの日記(http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1392565186&owner_id=22841595)で使わせてもらったことがあります。
 この人の数多くの名言の中でも、今回とくにタイトルのそれを選んだのは、このところそのとおりだと実感したことが続いたためです。

 一つは例のテロ集団ISが二人の日本人を拘束し殺害したあの事件です。
 ご存知のとおり、事件そのものも酷いものですが、私が更に呆れたのは、後藤さんの殺害以前から、いわゆる自己責任論が幅を利かせていたということです。あの事件はmixiニュースでもたびたび取り上げられましたが、後藤さんの殺害前でも、自己責任論に立ったつぶやきが圧倒的多数を占め、ウンザリしました。
 考えてもみてください。
 例えば、犯罪者が逃走に失敗して瀕死の重傷を負った場合でも、まず治療のために医学的手立てを尽くして命を救った上で、初めて裁判等でその刑事責任を追及するのが法治国家の常識です。死刑になることが確実視される極悪人に対してさえそうです。
 後藤さんの殺害以前から、自己責任を云々することは、瀕死の重傷を負った犯罪者の生命が未だ危ぶまれる時点で、その刑事責任を追及するのに似ています。しかも、さらに冷酷です。後藤さんらは、少なくとも刑事事件を犯したわけではないのですから。
 私は、拘束・殺害された二人を英雄視するつもりは全くありません。二人が各方面に多大な迷惑をかけたのは真実でしょう。でも、後からいくらでも追及することができる自己責任を、後藤さん殺害以前のあの段階で主張して何になるというのでしょう?
 非常に違和感を感じた外国人は多かったはずです。なにしろ、親日家の多いアラブの人達などが彼らにとっては外国人である二人の身の上を案じ、その救出を祈っていたそのさなか、少なからぬ日本人は、一番悪いはずのISに対する怒りや憤りの意見を発するどころか、ジコセキニンとか言って、拘束されている日本人二人に冷酷な言葉を浴びせることに熱中していたわけですからね。何という無分別!
 自己責任が真実であるとしても、時と方法を選ばずに用いられていると実感せずにはいられませんでした。

 もう一つは、こちらのニュースです→http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=voice&id=3275069
 こちらのニュースに対するつぶやきも、無分別極まりないものが圧倒的多数です。平和であるからこそ営業もできる、平和を願うドームの近くで営業して何が悪い、といったおごり高ぶった屁理屈ばかりです。彼らは、アウシュビッツの隣でビヤガーデンが営業を開始しても、同じ屁理屈で無分別にもこれを歓迎するのでしょう。
 平和であるからこそ、自由に営業できるというのは真実です。でも、どんなに平和になっても、無制限に自由に営業できるということになるわけではありません。そんなこと、子供でも分かりそうなものです。だから、平和になって自由に営業できることは、原爆ドームの前でカキ船が営業していいということの理由にはなりません。むしろ、平和になって自由に営業できるようになったからこそ問題になることなのです。
 ここでも、平和であるからこそ、自由に営業できるという真実が誤った方法で用いられているわけです。

 もっとも、こうした無分別は昔から日本人の専売特許みたいなものであったらしく、ジョークまであります。そろそろ、こんなことを書くのもダルくなってきたので、最後にそれをコピペしておきます。数年前の日記にコメントを寄せてくださったマイミクさんに対するレスとして書いたものです(まだまだ今後も使えそうなところが悲しいです)。


 ご存知かもしれませんが、次のようなジョークがあります。タイタニック沈没時に、船員がどう言って各国の男性たちに救命ボートへの乗船を断念させたか、というものです。
対アメリカ人:今ここで、乗船を断念すれば、あなたは正真正銘のヒーローになれますよ。
対イギリス人:今ここで、乗船を断念すれば、あなたは正真正銘のジェントルマンになれますよ。
対フランス人:今ここで、乗船するのは、ファッショナブルな選択でないことは明らかです。
対イタリア人:今ここで、乗船するのは、モテるイイ男の選択でないことは明らかです。
対ドイツ人:今ここで、乗船するのは、規則に反しますよ。
 こうして、あらかたの男性たちの乗船を断念させた後、最後に日本人男性のところに行って、船員はこう言ったということです:皆さん乗船されないようですよ。

 別に、これによってすべてを説明しようというつもりはありませんが、ここには、日本人ないし日本社会の一側面が鋭く描かれていると思います。
 他の国々の男性たちには、それぞれヒーローになりたい、モテるイイ男でありたい等といった主体的願望(生き方の規範)があるので、それに応じた説得がなされるのに対し、日本人男性にはそのような明確な主体的願望(生き方の規範)はなく、ただ、あるのは他人との関係だけなので、他の人々がどうするかを伝えればいいというわけです。
 換言すれば、タイタニック沈没時のような時でも、周りの男性たちがそれでも乗船すると言えば、付和雷同的にそれに同意して、乗船したいと言い出しかねない無分別な国民と見られているから、こんなジョークが成り立ってしまうわけです。
 悔しいことですが、同時に、悲しいことに、これを例証するようなことは私たちの周りに幾らでもあります。例えば、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」といったことが、これくらい真実味を帯びて感じられる国はあまりないでしょう。また、「KYな人」が日本ほど忌み嫌われる国もないのではないかと思いますが、これなんかも、周りの空気を気にするあまり、言いたいことも碌に言えない鬱屈した日本社会の一側面を象徴していると思います。
 そして、このように各人の生き方の規範がない、あるいはあってもそれが非常に弱い社会で危険なのは、容易に情報操作、洗脳がしやすくなるということです。そんな空気などありもしないのに、あたかも、それがあるかのように装えば、比較的容易に国民を洗脳できてしまうということです。現に、原発について今まで国民が信じ込まされてきた多くの神話は、こうしてまかり通ってきたものだと思うのですが、どうでしょうか?
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