健さんに続いて、菅原文太も亡くなるとは
この年末は映画スターの身罷る時期に当たっているのか
そう言えば80前後になっていたのかと
改めて思う。
映画スターとは輝かしい時期の映像ばかりが
繰り返し写されてしまって、今のその人自身が見えなくなってしまうばかりか
亡くなってもいつまでも若々しく人々の心に刻まれてしまう。
僕だって、父親を亡くした時は現実感が無くて
かえって枕元に現れて声が聴こえたりもしたものだ。
亡くなった瞬間は病院のベッドで
乾いた皮膚の肌が一層土色をして
口をぱっくり開けて断末魔の叫びを上げたような姿になって
動かなくなってしまっていた
それをはっきり見届けて「御臨終」に立ち会ったと云うのに
僕の脳裏に浮かぶ父親は、若くて太っていた頃の
ふてぶてしい様子のままなのである。
不謹慎な事を言うと
ケーシー高峰さんや高木ブーさん
愛川欽也さんや財津一郎さん辺りも
80歳とか81歳とかで文太さんと同じ年代だ。
宍戸錠もそうだっけ。
田中邦衛は82歳でおひょいさんは79歳だよ。
伊東四朗さんで77歳だから
81歳の文太さんと云うのはそこそこの年齢だったと云うわけだ。
いつも思うのだが
晩年を穏やかに幸せに過ごせていたのならいいのにな、と。
苦しみながら最期を迎えるってのが
一番切ない話でね。
いつからが晩年で、いつまでが現役なのかは知らないけれども
ある時期からは文太さんは「永遠」の存在だったんじゃないかなぁ。
菅原文太さん死去 81歳、肝がん
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=8&from=diary&id=3165353
映画「トラック野郎」「仁義なき戦い」シリーズなどに出演した元俳優の菅原文太さんが28日午前3時、転移性肝がんによる肝不全のため死去していたことが1日、分かった。30日に福岡・太宰府天満宮で家族葬が行われた。
81歳だった。宮城県仙台市出身。菅原さんはファッションモデルを経て、58年に映画俳優として本格デビュー。渋い語り口と温かみある演技で愛され、任きょう映画などでいぶし銀の存在感を発揮した。12年11月に俳優業引退を宣言。山梨県で農業を営んでいた。
菅原さんは高校まで仙台で過ごし、上京。早大を中退した後は、180センチの長身を生かしてファッションモデルをしていた。58年に新東宝にスカウトされて映画俳優としてデビューした。吉田輝雄、高宮敬二、寺島達夫ら二枚目俳優たちと「ハンサムタワーズ」と呼ばれ、親しまれた。
広島を舞台に暴力団同士の抗争を描いた「仁義なき戦い」(73年)では、義理固い若い衆を演じた。さらに、75年に公開された「トラック野郎・御意見無用」では、愛川欽也(80)演じるヤモメのジョナサンと人情味あふれるやりとりが人気に。立て続けに大ヒットした2つのシリーズが、菅原さんを国民的な人気俳優に押し上げた。
プライベートでは、1男2女に恵まれた。俳優デビューした長男加織(かおる)さんとは、92年にビデオシネマ「ビッグ・ボス」で初共演した。加織さん主演の映像作品「デコトラ外伝 男人生夢一路」をプロデュースしたが、01年10月に加織さんを踏切事故で亡くした。その後は「表に出たくない」と、公の場に姿を現すことを嫌うようになった。07年にはぼうこうがんを患うなど、体調を崩していた。12年11月には俳優引退を宣言した。
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