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2014年12月01日04:03

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モテるぜ人世録・43・カトリックの子は名乗りあう

「公式の場で、政治と宗教の話はタブー」
といわれているが、私は「投票へ行こう!」と平気で書いちゃう人である。

で、選挙近くなると、近所のバス停で待つ間、愛想の良い、人の良さそうなおばさまが、
「今日は暖かいですねえ、今年は暖冬ですかしらねえ…」
などと気さくに話しかけてきて、こちらも「ヒマな愛想良しさん」なので、
「本当に、もう師走ですねえ。カレンダーが、今朝めくったらあと1枚で…」
なんて、のどかにおしゃべりしているうちに、なぜか世相の話題に持って行かれ、

「ですからぜひ、選挙は『K明党』へ一票を…」
と、ああ、やっぱり「S価学会の人」であったか、
「申し訳ありませんが、投票は自分の意志でいたしますので、失礼…」
に、なってしまうのである。

前の団地ほどではないが、団地にはナゼか「S価学会の人」が多い。
低家賃な分お布施がひねり出せるのか、ネットワークを作りやすいのか。
私は親戚に「S価学会の人」が何人かいるけれども、
「入信」だの「投票」だの「新聞」だのと言われたことがない。
どころか20年前の結婚式は「土曜仏滅・山手カトリック教会」なのだが、
ニコニコと来てくれ、賛美歌を(正式にはカトリックでは「聖歌」といいます)歌ってくれ、
「おめでとう、お幸せにね。」
とちゃんと祝福してくれたんである。

最初から言っちゃえば、私は浄土真宗の家に生れ、途中で洗礼を受けたカトリック教徒である。(7才の時から養女縁組みが決まっていた大叔母がカトリックなので。)洗礼名は「パウラ」、しかしホンモノの「金の力にものいわせてイエズス様の十字架を掘り返したローマ皇帝のおっかさん『聖パウラ』」ではなく、新約聖書で「危険な旅しながらあちこち手紙を書きまくった『聖パウロ』の女性形」である。

しかし、結婚したら諏訪の殿様の菩提寺の檀家で、諏訪大社「上社(かみしゃ)」の氏子。
ちゃんと「御柱(おんばしら)祭」(6年に一度)には帰省するし、氏子の法被も着るし。

しかも、ドッコイ氏はボランティア活動しているうちに、いつのまにか「救世軍」の人。
ただしこれは親戚・両親にはナイショで「隠れ切支丹」なのである。
(結婚式のときに神父さんがペロッと「クリスチャン同士の結婚で…」と言ってしまい、アララ〜なのだが、お義父さん・お義母さんの態度がそれでその後変るわけでもなし。)

披露宴をした横浜中華街では、ドッコイ氏の友人「救世軍の円卓」と、神父さんと聖歌隊の人(普通はボランティアなのだが、「せめてご飯を食べていって下さい、もう時分どきですし!」)の「カトリックの円卓」があり、さらにドッコイ氏親戚筋の「諏訪大社」の円卓があり。賑やかであった。「平和的共存」とはいい物である。

ごく自然に仲良く共存しているんである、それでよろしい。

私は「女子割礼」には「そりゃないぜ!」と思い、「ジェンダー」も考えるし、民俗学としての「少年流謫」とチーマー、「少女流謫」と宝塚ファン、などについていろいろ調べ、考え、「深層心理学」も「高機能性脳の社会不適合」(女優の「大竹しのぶさん」なんかがそうです)も「現代の精神障害」も「性と精神」も「宗教学」も「宗教図像学に於ける性」なんてのも真面目に考える「学者肌」な人である。

なにしろカトリックなのにバイセクシャルなのだ、しかも「男はドッコイ氏ただひとりの貞淑な妻」であるが、こと女性に関しては「リバーシブル」で「SMもリバーシブル」という器用さで、ホントにマイノリティーである。(今度のローマ法王フランチェスコが同性愛に理解的な人でよかったよ〜!ホッ。)

ウーマンリブ闘争時代のレズビアンのお姉さま方からしたら
「この、おぞましいコウモリの腐れ変態野郎ッ!」
なのであろうが、私は私の道を行き、結果、作品を描いたり文章を書いたりしているわけで、
「それが私の『生きる』であるから、呆れるなり、放っておくなり、楽しむなり、好きにして。」というのが私のレゾン・デートルである。

地域のお年寄りの「お絵描きの会」のセンセイもやりますが。(笑・それも私の延長上)

脳炎で精神病院の隔離病棟で9ヶ月過ごしたが(いるときはキツイが)出てみればすごい面白いところであった。(なにしろ私は中2で朝日文庫の「精神病院」を読んでいるのだ、うん。)

で、脱線しまくったついでに言うが、体験から言うと、「精神病院」は「S価学会」の人の折伏空間であった。
ベッド替えになると、よろしくねの名前の次ぎに「私『S価学会』よ。」と言われ、名も知らぬ知能指数の低い男の子が廻ってきて
「こ、こんな、い、いい、新聞あるんだけれど…」
と「聖○新聞」を読ませてくれるのである。おもしろかった。
外からの情報の少ない(閉鎖されたワンフロアに食堂のテレビ1台、新聞1紙、スポーツ新聞1紙きり。図書室はは別の階で、ナース・ステーション前のエレベーターの前にはロックされたガラスドアがあり、自由には行けない!)「積極的に隔離された世界」であるのだからして。

で、話を戻すと、それにしても我ながら早熟な人で、「プルトニウムの危険性」については小学校5年生で「原子力」という本の「11本目の薪」という章を読んで、もう知っていた。
エンジニアで、しかも漢文好き、荷風好き、漱石好き、文学好きの「父」と、小学校教師で小説好き映画好きの「母」の申し子であるな。その上我が家の本棚はオールフリーで、兄貴の蔵書から「毛沢東語録」から「共同幻想論」「マルキド・サド」まで18才までに読んでいるのである。「悪徳の栄え」どころか続編の「美徳の不幸」まで読んだ。

「聖書」は父の戦前の蔵書、旧仮名遣いと、修道院女子校の現代仮名遣い「共同訳」を両方読んだ。

雑誌ではでは「別コミ」と「LaLa」を購読し、「現代フランス語」ともうひとつ白水社系のフランス語月刊誌を購読し、月刊テープまで買い、さらには家で取っていた岩波書店のPR誌「図書」を読み、父の買ってくる「月刊太陽」を読み、母の取っていた「きょうの料理」も「栄養と料理」も「趣味の園芸」も「婦人の友」も読んだのである。
そして私は修道院女子校を卒業し、ユネスコの実験大学「UFO大学(仮)にめでたく合格した。

18才の私は自分の「学生時代」をそうして迎えたのだ。

しっかーし。

あまりにも小さな大学であった。「芸術」は一般合格わずか72名。

で、みんな積極的に名乗りあうのだが、不思議なことにカトリックの女の子は、お互いに分っちゃうんである。

小柄で、コロッとしたカーペンターパンツだがつぶらな瞳に両エクボの女の子が
「私、堀真由美、鎌倉女学院出身です、よろしくね。」
と笑って言う。こちらも名前と出身校を言ったら、目の色が変って
「『漆原先生』っていらっしゃらなかった!?」
「うん、中2の時の担任で、私の大好きな先生よ。」
「その方『鎌倉・雪の下教会』の信徒総代よ!」
「あら、じゃ、あなたカトリック?」
「ええ、マリア・テレジアです。あなたは?」
「パウラ。聖パウラじゃなくて、聖パウロの女性形の『パウラ』です。」
「わーカトリックの人に会えて嬉しい!現代的な『UFO』だから、いないって思ってたの。」
「私修道院女子校だから、いっぱいいたわよ。ヴェロニカに、アグネスに、クララにジャンヌ・ダルク!本当にボーイッシュな子だったわ。」
「スコラスティカ、いた?」
「いた!アポロニアもいた!歯医者のお嬢さん(聖アポロニアは歯医者の守護聖人)。でも圧倒的に多いのはマリア。」
「ホント、マリア多いよね−。マリアでしょ、マリア・ソフィアでしょ、マリア・コンチェッタにマリア・マグダレーナ…」
と数え上げていると、それまで壁にもたれて静かにうつむいていた、ほっそりと上品な、長いまつげに夢見るような穏やかな瞳、美少女とも美少年ともつかぬ、銀細工のような、羽根をどこかに隠しているような人が、フッと顔を上げ、ほほをポッと染めて、柔らかい声で
「…私、マリア・インマクラータ。宗摂子です、よろしく。」
と、はにかむように、優しく微笑むのである。

あー、やっと本題っ!

この「宗摂子さんのお子さん」こそが、次回の主人公、若手天才ギタリスト「菅沼聖隆」さんなのです!(長い前振りだったなー。)

(というわけで、つづく)
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