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2026年09月30日02:03

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違和感の解決方法を考える

この手の話題については、再三ここの日記でも述べて来たが
理解と不理解の複雑な交錯で議論が難しくなっていると指摘してきた。

僕自身、身近に同性愛者が何人か居て、
カミングアウトに相当する行為を経ている者もあれば
ごく親しい知人にのみ知らせている人もいる。
パートナー探しにはかなり苦労しているとも聞いている。
きっと、誰にも知らせずに過ごしている人もいるのかも知れないと
日々思いながら、僕の立場は純粋な異性愛者であり、
ここではそれを前提で述べたいと思う。

まず高橋塁がどういう意図で今回カミングアウトしたのかは分からないが
本人が酷く葛藤して苦しんでいたとしたら、
それから解放されることについては喜ばしいと思う。
これまでの性的志向が偽りを装っていて、
その事実に苦しんでいたのだとしたら気の毒であるとも思う。
実は女子バレーの日本代表でも
エース格の2選手が同性愛者で交際していると公表した時にも
同じく感じた事でもあるが、少なくない違和感を覚えたのである。

LGBTQ+の話題の時にしばしば僕は言及するのだが
「それ、公表する必要ありますか」
という事である。
異性愛者であり、性的マジョリティである僕は
いちいちカミングアウトしなくても困らないが、
少数者が自認する性をわざわざ公表するのには
少なからず理由も事情もあるとは理解している。

予め、高橋塁を擁護しておくと
不意に公表したというよりは
ちゃんと周辺の理解者に充分に説明した上で行っているので、
彼自身の公表には大きな問題はないと思っているが、
世間に対する影響としては
「果たして...?」と思うという事である。

実はスポーツ選手には性の問題と言うのは
ブラックボックスと言うかタブー視されていて
性的志向(嗜好と書くと何か卑下するようなので、この文字で表現する)
のギャップは小さくない問題なのである。
ロッカーや更衣室に性的対象となる人が居る状態が、
スポーツ的に健全であると言い切れないからである。
簡単に言うと、同性愛者の存在を無条件に容認するというのは
男女が同じ更衣室で着替えているのと同義だからである。

おっと。異議が出そうだから先に補足しておくと
性的少数者に対して、そんな風に考えないで済むなら問題ないのは
僕自身よく分かっているし、そこを議論したいわけでは無い。
だが、性的多数者である異性愛者の中には、
その性の同居に性的嫌悪感を抱くという人が
一定数居てもおかしくないし、
そこに対しても同様に理解はすべきだと言っているのである。

高橋の所属するサントリーサンバーズの関係者も声明を出し、
可能な限りのバックアップはするようなことは言っているし
実は世界的に珍しい出来事でもないのであるが、
不文律として現役中にこの公表はしない事になっている。
公表すると
「ロッカーの問題」に火がついてしまうので
回避している事が多いのである。
例えば、
誰かが無策に「私はゲイ」と言った時に、
その対応に周囲が追われるというのは「何かが違う」
と多数派は感覚的に思うのである。

倫理的な感覚で言うと、伝統的宗教がそれを支配していた時代は
社会的抹殺或いは物理的抹殺の対象にもされていた事もあるくらい、
重い禁忌(タブー)だった。これは原始的な思想であるともいえる。
ただ、現在の感覚でいう「多様性の尊重」で解決しないのである。

例えば、多夫多婦性社会、極論を言うとフリーセックスの容認があれば
この問題は実にしょうもないと言えるのだが、
それはそれで法的にも倫理的にも現在もタブーであろう。
というのは、性別とは
「男」と「女」と「それ以外」なんかじゃない収まらないからである。
寝室やトイレや更衣室を同じに出来ないのは
「男」と「女」と「L」と「G」と「B」と「T」と。。。。
と分類できると考えるのが、
性的少数者の志向を尊重できる多様性社会の考え方ではないか
極論を言うと、共同ロッカーのような更衣室の作り方は
今後許されない。そうも行かないだろう。
共同浴場も温浴施設も、ああ言わば、全てが「混浴」でないと
この問題はきっと解決しないとのである。

度々僕が言及している「キャスター・セメンヤー問題」でも
似た主張をしてきたが
最終的に「女性のためのスポーツ」が維持できなくなる、
懸念が生じるのである。
高橋の問題とは別で性的志向ではなく身体的な問題なので
少し別の議論だが、同じ考え方で解決は必要だと思っている。
全ての競技が「男女混合、無差別級」とするのが、
究極的には最も平等である事は揺るぎない。
だって、セメンヤーのようなアンドロギュヌスが女子競技に出ると
「女子記録」は突然、全て塗り替えられ2度と辿り着けない記録になる。
そしてそれが無意味になるのが女子スポーツの行きつく果てなのである。
さらにフィジカルコンタクトがあるスポーツでの
男女の対格差や骨格差は性差を覆し難いものがあるわけで
性転換後の性別を容認すればサッカーやラグビーでは
或いはバスケットボールなども競技性自体が崩壊する懸念もある。
或いは、未だにフローレンス・ジョイナーの短距離走世界記録が示すように
彼女には男性ホルモンが異常分泌されていたのではないか、という疑念は
今も晴れていない。彼女には女性にしては
かなり濃い髭が生えていたという証言があるからである。

この問題の複雑なところは
競技団体ごとに議論させると、結論が分かれてしまう事も関係している。
競技施設の特性なども関係する。
であるから、解決を図ろうとする人たちと、
実際にそこに触れるマジョリティたちの感覚差も見逃せない。
近年は女子便所の清掃員に男性も混じるようになったとはいえ、
やはり女性の中からは「気持ち悪い」という声は絶えない。
嫌だと思ったらハラスメント?という時代にだ。
多様性の容認を強要するばかりに、
嫌がる彼女たちの意思は踏み躙られるわけだ。
違うハラスメントが生じている。

例を挙げると生々しいので嫌なのだが、
「女性ロッカーにレズビアンが混じる」
「男性ロッカーにゲイが混じる」
「女性浴場にバイセクシャルが混じる」
「男性浴場に性転換した“女性”が混じる」
どこまでが容認されるだろうか。
性的少数派を多数派が受け入れる事は、
思想的には受け入れられたとしても、物理的には簡単ではないのである。

各種問題の解決方法は幾つもあるにはあるが
結局は、男性自身が「私は男性だから」、
女性自身が「私は女性だから」という考えに固執するのを
かなり控えめにしないといけないという事から始めないといけないのでは
ないだろうか
それも年長者が、年少者に好例が示せるくらいに当たり前に。

話は戻るが
現在バレー界はかつての人気を取り戻しつつあり
かなりの注目度があると言えるだろう。
今回の件は何も問題が無い、
こうすりゃ良いんだろう?くらいの軽さで
彼ら彼女らの姿が世間から見て「好例」となる決着が望まれる。

とは言え
人の性的嗜好とは我儘であり
淫靡であり、陰惨であり、
「秘め事」と呼ぶに相応しい隠匿性の高い意識である。
誰も何も悪くないのに
気持ち悪いと感じる事も事実なら
あるがままに好きなようにしたいという気持ちも事実である。
それを良い方向に導けというのも無理難題かも知れない。
「仲良くしろ」と言われても仲良くしたくない人とは
仲良くはなれないのは自然だ。
男性が男性らしさを、女性が女性らしさを喪うと
そこで惹かれ合う者によって子孫繁栄を図ってきた我々人類は
そのうちきっと滅亡してしまう。

僕はもう現役ではないけれど
フリーセックス社会を提唱したい。
個人的な事とは言え、
高橋がプロアスリートという有名人という立場であらば
公表する以上はその後の出来事に対して
幾ばくか負うものもあるだろうと思うので
今後の動向も注目したい。

【バレー】高橋塁が同性愛者とカミングアウト 弟藍との対話きっかけ「認めることができた」
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=8&from=diary&id=8967873

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