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2024年05月23日01:15

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人は死して何を残す

脚本家の小山内女史が亡くなられたと聞いて、
職場で「あの、金八さんの」と呟くと
「え、誰?」と同僚が尋ねてきた。
極めて残念なことだが、時間の経過と世相の移り変わりは残酷なことだと
重ねて寂しい思いをしたのでここに認める。

本記の見出しにもあるように、代表作に大河ドラマの「徳川家康」があり、
僕は「金八世代」というよりは、「家康世代」である。
滝田栄主演のこの大河ドラマについては繰り返しこの欄でも触れてきたが
名作と言えば名作、大河ドラマは所詮フィクション、を
再確認できると言えばそれまでの歴史ドラマである。
小山内氏がこの作品で強調している「平和を望む家康像」は
どうしても僕の胸の内には収まらない。
家康はやはり生き馬の目を抜く戦国時代末期を生き抜き、
その後続く、徳川幕府の長期政権を打ち立てた希代の戦略家であり
我が国を代表する「独裁者」の一人だと考えているからだ。

無論、歴史を語るにおいて「独裁者」が正しい肩書にならない事は
十二分に承知しているが徳川幕府がもたらした政治は間違いなく
独裁政治であり、そのシステムを構築したのは彼である。
だとすると、戦国末期からとった彼の行動が
「真の平和主義者」のそれではない事は揺るぎのない事実であり、
彼女の描く人間ドラマには避けられない創作の部分で
大きく変更があると感じざるを得ないのである。

テレビ放映時には僕はまだ幼く小学生だったが、
「これのどこが平和の追求だ」
と違和感を強く感じて、家康が嫌いになったのは今も鮮明である。
因みに、この作品で織田信長を演じた役所広司が大好きになり、
豪快な「鬼作佐」を好演した長門裕之の事も気に入った。
また、主役の滝田栄は「料理バンザイ」という別番組のキャスターをしていて
既にファンであったため、怪しい家康を演じていても嫌いにはならなかった。
という複雑な心境も申し添えておこう。
面白いのが、信長と家康をつなぐ重要人物の一人である豊臣秀吉を
「金八先生」で主演を務めていた武田鉄矢が演じており、
小山内色が強く感じられた作品だった事も興味深かった。

この作品を契機に日本の歴史に興味を持ち始めたのであり、
小山内女史の僕に与えた影響は少なからずといった所だが
「大河ドラマ」の脚色に強い不信感を植え付けたのも事実で、
歴史上「無かった」とされる部分まで堂々とドラマでは
「あった」として登場するので、国民に悪影響を与えるよなぁ、と
当時から感じていたのである。

近年は幕末ドラマが好きになったので後年の大河ドラマなども
楽しんだりはしているが、正直なところ、
リアリティが過ぎる作品や、反対にリアリティが欠けて興ざめする事が増えた。
そう考えると、かつての緩いフィクション感が漂う小山内作品は
「楽しかったのになぁ」などと身勝手に振り返る自分も居るのである。

小山内作品の家康で掘り下げて描かれたのは、
元の本拠地であった岡崎城に住まう正妻の築山殿が
謀反を企んだという事件の件である。
築山殿との間にもうけた嫡男の信康と築山殿を
結果的に家康が殺してしまうのであるが、
当時としては「特段の事」とは言えず、しかし謎が多い事件だと言える。
小山内ドラマでは池上季実子演じる築山殿を
些か偏執的な女性として描いていたが、僕の見立てでは違う。
恐らく愛妾が出来て以降の家康は政略結婚で得た正室の築山殿を
疎ましく感じるようになり、一方で嫡男の信康の行状も
落ち着かない状態が続いていたものと思われる。
後世に残される文献のすべては、家康の存命中の出来事は
家康にとって不都合なものは殆ど全てが排除されている筈であり、
どの史料に論拠を置いても「家康の心変わり」とは描かれない。
その後幕府が260年も続いたことを鑑みれば当然である。

長男は「信」康、次男は「秀」忠。
つまり、信長と秀吉から偏諱したかどうかは知らないが
時のパートナー(最大勢力や為政者ではない)との関係を重視した事は間違いない。
事実、今川家の属国であった岡崎松平家の嫡男であった家康が
「元康」と当初名乗っていたのは、従属していた今川家の
今川義元から偏諱を受けての事であり、
義元が桶狭間で打ち取られると、忽ち今川家から独立し
「家康」と名乗り、旧今川領の遠江に侵攻したのである。
引馬城が後の浜松城であり、家康の新しい居城となった事は
余りにも有名な事実である。この時に結んだ織田と徳川の
「清州同盟」が、家康のその時の時流としての判断が正しかった事を
証明している。
嫡男・信康と織田家の姫との婚姻をその証として存在していたのである。

これが破綻するわけであり、
信長からすると娘の婿を処分するわけであるから
「余程の政治的理由」が無い限り、軍事同盟における危機でもあるわけだ。
小山内が描きたかったのはしかし、平和主義の家康であり、
やや狂気的なヒーローである信長であったはずだから、そこは
家康の決断としてではなく、信長の強要として描くべきだったところを
家康と築山殿の不和ドラマで信康を処分するという形にしてしまったのである。

これは飽くまで私見である。しかし、大河ドラマとはそういうものである。
狂言回しの役割を、実在の南光坊天海の荒唐無稽な立ち回りに託したり、
全く架空の熊野若宮という役に石坂浩二を配し、別役まで回して
説明役を彼に任せるのが特徴になってしまった。
かなり難しい戦国期の複雑な軍事的駆け引きは石坂浩二が
上手い事、穴埋めしてくれるのである。
その分、深い人間ドラマにエネルギーを割くことが出来た訳であるから
ある意味大河ドラマという尺に限りがある制作体制で
作品を作り上げた訳で、これは大仕事だったと思われるのだ。

いずれにしても大往生だった小山内先生の
作品はこうやって見た人間の心に深く刻まれて
残っているわけである。
これは凄い事だと改めて思うのである。
戦国ドラマはまぁ、アレだけど。
僕が歴史好きになったのは間違いなく小山内版の徳川家康のお陰である。



■小山内美江子さん死去、94歳=「金八先生」、大河ドラマ「家康」の脚本家
(時事通信社 - 05月10日 19:01)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=7857012
 TBS系ドラマ「3年B組金八先生」やNHK大河ドラマ「徳川家康」などを手掛けた脚本家の小山内美江子(おさない・みえこ、本名笹平美江子=ささひら・みえこ)さんが2日、老衰のため死去した。94歳だった。横浜市出身。葬儀は近親者で済ませた。長男で俳優の利重剛さんが自身のホームページで公表した。

 鶴見高等女学校(現鶴見大付属高校)卒業後の1951年、映画スクリプター(記録係)となり、62年に脚本家デビュー。79年から始まった「3年B組金八先生」シリーズは、中学生の妊娠や校内暴力などの問題をリアルに描き、大きな話題となった。他の作品に、NHKの大河ドラマ「翔(と)ぶが如(ごと)く」や連続テレビ小説「マー姉ちゃん」「本日も晴天なり」など。

 90年に起きたイラクによるクウェート侵攻をきっかけに難民救援など国際的なボランティア活動を開始。NPO法人「JHP・学校をつくる会」の代表を務め、カンボジアでの学校建設や教育支援にも力を注いだ。 
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