昨日はスーパースターについて書こうと思って書き始めた日記が
気が付くと僕の全日本プロレス(旧に)対する思い入れ、みたいな内容になってしまって
自分でも、ちゃんと随筆の書けない人間だなぁと呆れていた始末
とはいえ、旧全日本プロレスの放っていた、危うくて魅力的な
プロレスの香りは「四天王プロレス」期に成熟し、その後
徐々に失われていくのである。
そもそも全日本プロレスの汗臭いプロレスの雰囲気は
ライバルの新日本の汗臭さとはちょっと違う。
上手くは言えないが、そこは「プロレスですから」という部分を
最初から割り切っている全日本と
最後まで虚勢を張りとおす新日本の違いというか
全日本が「四天王プロレス」に到達したのは皮肉にも
エースのジャンボ鶴田が肝臓疾患のために長期欠場を始めた時期である。
前述したがジャンボ鶴田率いる「正規軍」と
自分でマスクを外しておかしなことになっていたタイガーマスク2世こと
三沢光晴率いる「超世代軍」の対戦を一番の見どころとしてはいたが
あまりにもジャンボ鶴田が強すぎて
他の選手が挑みかかっていっても殆ど歯が立たない状態だったのが
徐々にではあるが勝負になりつつあっただけに
鶴田の欠場、引退、死去の一連の流れは残念でならない
85年に突如参入してきたジャパンプロレス勢は
失速しつつあった全日本に一時的な興行的な勢いをもたらし
再び、豪華外国人レスラーの参戦が実現した
リック・フレアーだの、ランディ・サベージだの
初代タイガーと死闘を繰り広げたダイナマイトキッドだの
一時期の全日本では考えられない選手が参戦し、
リングにはかつての国際色豊かな雰囲気すら醸成されていたというのに
レスリング自体は質は低下していたように思うのだ
それは、イギリス系、メキシコ系、そしてアメリカンプロレス、と
混在するスタイルに加え、明らかにジュニアヘビー戦線の選手と
どヘビー級の対戦で力量差が出るなどしていた上に
結局、馬場や鶴田が勝つためのストーリーが決着を曖昧にしていた部分が
見る側に伝わっていたからではないだろうか
結局、長州がお得意の団体潰し的な離脱をしたことで
豪華メンバーも一時的なものに留まり、再び独自路線での
試合構成を余儀なくしたことで、「正規軍と超世代軍」に収まった、
というのが僕の見立てである。
ただ、この一時的な盛り上がりによって
後の日本の興行に長く参戦する外国人選手たちとのコネクションが再び
発生し、2極体制ではなく、もう一つのストーリーを生み出していた
それが「三冠統一」である。
もうある時期からベルトの名前が「三冠統一ヘビー級ベルト」などという
一つのベルトになってしまって正体不明状態になっているが
元々はNWAインターナショナル選手権、
UNインターナショナル、PWFという三つのタイトル戦を
非常に分かりにくく全日本という一つのリングの上で取り合うような
構図だったのである。そうすることでタイトルマッチの数は増やせるし
別のタイトルマッチへのストーリーを動かしている間に
もう一つのタイトルマッチ興行が打てるという、実に底の浅い戦略を
ずっと続けていたのであるから客は統一戦を望んでいたのである
そうすることで、インターの王者はPWF戦線に参加しなくなるとか
UNの王者とインターの王者のシングルマッチはノンタイトルで、とか
拍子抜けするような番組にならずに済むのである
87年にジャパンプロレスは長州が離脱したのに次いで
団体が分裂し、再び全日本に主戦場を移すのはご存知の通り。
この一連の出来事があるために、
新日本と全日本の両方のマットに上がった選手が多々存在することになるのだが
後に新日本のエースだった武藤敬司が全日本に移籍するに至るまでは
この両者は決して交わらない存在であったことを考えると
実に画期的な出来事だったのであるが、それはまた別の話。
こうしてシングル路線は「三冠統一ヘビー級選手権」、
軍団闘争は「正規軍対超世代軍」、
それとは別に新春タッグトーナメントなど「世界タッグ選手権」
若手、前座部門などは
「あすなろ杯」「アジアタッグ」「世界ジュニアヘビー選手権」などに
収斂されていくのである。
全日本の看板興行である「チャンピオンカーニバル」は優勝すれば
三冠ヘビー級に挑戦権が得られるなどの物語があり
それなりに整えられていったのだが、その全ては
エースで四番のジャンボ鶴田の手を介して統一されていくのであるから
いよいよ見る側もつまらなくなっていくのである
唯一、ハラハラさせてくれたのが
三冠統一ヘビー級のタイトルを鶴田とハンセンが奪い合う場面、
或いはそれまで鶴龍コンビとしてタッグを組んでいた天龍が反旗を翻して
阿修羅・原(故人)と龍原タッグを結成し、最後はとうとう鶴田に勝つに至った
あのサクセスストーリーか
鳴り物入りで参戦した元横綱・輪島のレスリングは見るに耐えられず
本来ならメインカードを張らせたかっただろうに、と思うと
それも残念な光景だった
その後、若き人間魚雷テリー・ゴディが上陸すると三冠タイトルを奪取し
長く鶴田の手を離れるが、鶴田のテリー・ゴディのタイトル挑戦の道は
天龍やハンセンが寄ってたかって阻害し、挑戦権を得たハンセンが
ゴディからタイトルを奪取するなど、面白い展開にはなっていた(笑)
その結果、実力ナンバーワンと目されるのは相変わらず鶴田であった。
鶴田はオーソドックスな技に加えて、かなり高速で高角度のバックドロップを
「岩石落とし」の異名で駆使するようになると完全に無双状態に入った
加えて、ゴディから天龍、天龍から鶴田へと移植されていった
パワーボムも鶴田版は強烈だった。マットがバン!と鳴る音が違う
さて
テリー・ゴディはコーナーに相手を立たせてのラリアートから繰り返し、
最後は禁じ手だったパワーボムを繰り出してのフィニッシュムーブを持っており
並行して、タッグパートナーであるスティーブ・ウィリアムスとのタッグ戦線でも活躍する。しかし、鶴田より上手に行くことは最後までなかったようだ
当時、ジャンボと真っ向から対峙して通用していたのは
天龍とスタン・ハンセンくらいで、それでも鶴田が上手なのは明白だった
がしかし
ハンセンには伝家の宝刀「ウエスタンラリアート」があり
試合中にこれを決めれば、何秒かだけ相手をノックアウト状態にできるのである
ハンセンも試合運びは上手で見ていて面白かったが
「壊れたダンプカー」とも言われたくらいで、猪突猛進っぽい雰囲気は
しばしば出していた。
全日本は鶴田、天龍、ハンセン、ゴディで彩られていた時期はしかし、
彼らの低迷期でもあったのだが、
明らかに長州の後はハイスパート・プロレスの影響が残り
天龍の全力ファイトやハンセンの肉弾戦など
本格的な技のぶつけ合い、受け合い、という後の「全日本スタイル」の
確立される前段階であったと思う
飽くまで個人的な意見だが
試合を見ていて面白かったのはこの時期以降、と言える。
長州力、ツイッター公式マーク拒否 「さすが革命戦士」「チャンピオンベルトと同じです」の声も
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=54&from=diary&id=6057940
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