愛が足りない。
最近とみに思う事である。
若い頃は自他愛を強く意識して「優しく生きよう」と心掛けていたのだが
近年はどういうわけか
「他人の事には構っていられない」
という意識が強く芽生えている。
その理由というか原因を個人的に考察してみたのだが
どうも「自分」「他人」の境界線が変わってきている事が
大きな原因のようである。
自分というか身近な存在については
範囲は大きく縮小している
自分が思ううように大切に扱える人たち、だけを
「自分」の範囲として
突き放したり、どうなってもそれは当人の問題と考える対象を
「他人」と考えているのである。
その中間に居る人たちについての扱いが幾分ぞんざいになり
どちらかというと「他人」寄りの扱いをしていると
自己分析している。
これって生活に余裕がないとか、社会が窮屈になっているとか
色んな要因が考えられるけれども
「誰にでも良い顔」をする事に耐えられなくなってきたからだと
僕自身は自己弁護しようとしている
実際、良い顔をし、良い扱いをし続けられる対象は
そこそこ維持しているのであり
その時々に付き合う相手には「不快感を覚えない程度」にしか
対応しないようにしている
僕は現在、
故郷でありルーツであり主戦場でもある関西を離れて
二度目の単身赴任で福岡に住んでいるから
いずれ帰任すれば福岡を離れて関西のどこかに戻る事になるだろうと
僕も周囲の人も想像しているだろう
だからかどうかは分からないが
特別に仲良くなりたいとも便宜を図って貰いたいとも
後年仲良くしたいとも何とも思わない
それが相手に伝わってしまっているのかもしれない
そういった事情で
福岡で心の内をさらけ出せるような相手が皆無なので
それがよく自覚されるのである
「他人」の中で四六時中過ごしていると
「もうこの人たちが全員、何かの事情で滅亡しても何も感じないな」
と悟ってしまっているのである。
これは恐ろしい事でもあり、今まで見て見ぬふりをし続けてきた真理でもあり
或いはここに骨を埋める覚悟が遂になくなった覚悟でもあり
粗末には扱われているが、
自宅に残している家族に対する強い連帯感の表れでもあるだろう
福岡に限らず、九州在住の人は
わりと簡単にその活躍の場を首都圏に求めることで知られている
福岡市は人口減少が続く我が国において
東京を除けば唯一、依然として人口が増え続けている政令指定都市である
しかも、その数は女性が圧倒していて
20代以上の未婚女性の比率は全国随一であり
恐ろしい状態である
その原因の一つが、上京組の帰郷率の低さである
女性は帰郷する事はあっても、
男性は一旦上京したらほぼ帰って来ない。
理由は様々あるが、その傾向は全国の地方都市と同じである。
福岡が違うのは、
九州全土から一旦「上京」ならぬ「上福」して
そこから更に「上京」するという経路上にある事である
福岡の街というのは、暮らしやすいがエンタテイメントに欠け
飲み食いと色恋には事欠かないが、一旦他の大都市で生活すると
退屈な事この上ない街なのである
物価は意外なほど高く、少し郊外に足を延ばせば驚くほど安いのに
「上福」組によって、都会感覚のある需要が高いため
首都圏と同じようなものが流通しており
正直なところ、「福岡だ、博多だ」といった情緒はお祭りを除けば皆無である
そりゃ、沖縄の「海ぶどう」が今や全国のどこの沖縄料理屋でも
食べられる時代である
博多でしか食べられないような料理は無くなってしまい
博多でしか味わえない情緒は失われてしまっている
その最たる例が方言である
ご当地出身の人間同士が会話する時だけ、九州の言葉丸出しで会話するが
彼らは普段は驚くほど上手に標準語で喋る
一切、訛っていないし使い分けできるのだ
福岡ですらそうなのであるから
首都圏で鹿児島弁や博多弁で喋り倒している人は居ないという事である
そこに情緒が無いと言うのである
コンビニチェーンにしても、それぞれご当地のチェーン展開があったのに
大手全国チェーンに看板が統一されつつあるわけで
実に情緒が無い
この話を先日訪れた飲み屋でしたところ、
「そんな寂しい事は言わないで欲しい」
と女性従業員に言われてしまった。
だけど、指摘に対して否定もしなければ反駁も無かった
つまりは、こちらの人も何となく感じている事なのである
「それでも、福岡は暮らしやすい」
と彼らは言う。確かにその通りなのではあるが
僕が言いたいのは「面白みに欠ける」という事なのであって
もっと正確に言えば
「刺激的な街から来た人間にとっては刺激が足りない」
という事が言いたいのである
テレビのローカル番組などでも笑いや感動のハードルが低く
刺激的なローカル番組には、この二年半で一度も出会っていない
こんな具合で
愛着が湧かない町に住む人たちには愛着が湧かない
という悪循環が僕の中には根付いてしまっているのである
果たして病んでいるのは僕の方なのか
街の方なのかは分析するには材料が足りないが
「そんなの関係なくて、個人は個人でしょ」
と言われても、
当然ながらその個人の此処彼処に「つまらない要素」が見え隠れして、
会話も長く続けられないのである
困ったものだ
仲良くなりたいと思えない、のは僕の病気なのかもしれない
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