●中唐、晩唐のざっくり
「安史の乱」で「唐」朝は大きくかき乱れ、
「堂々たる世界国家」から「中国の王朝」にまで後退してしまった
とはいえ、
やはり当時の世界最大級の王朝であったことは間違いない。
「吐蕃(とばん)」は当初は唐に服属していたチベット王朝である。
これが西域を中心に拡大し、
また西域のトゥルク系民族も唐に服属しないものが現れるなどして
シルクロード下の唐の支配力は地に落ちてしまった。
唐の西域経営は勢いの低下は明らかだったが、
9世紀には再び吐蕃と結ぶなどして
「晩唐期」までは辛うじて中華王朝の面目を保っていた。
また、玄奘三蔵の「大唐西域記」などで知られているように
積極的に仏教を取り入れているように思われるかもしれないが、
西域経営に進出しているように
広域に交易を行っていたので
比較的オープンに異教徒の活動も認められていた。
現在の西安にも多く、異教徒の教会や宗教施設の跡が残されている
★律令制度と貴族政治
また西晋時代に確立したとされる律令制度も唐代を通じて安定し、
科挙による登用も積極的に行った。
但し、唐代では貴族政治を行っていたため、
本来の身分を問わない登用で誕生した役人にも
「科挙出身者」と「貴族」では差別化が図られていたようだ。
★あの大運河のお陰
商業は大発展した。
あの悪名名高い「隋」の煬帝が建築した大運河は、
結果的に唐の商業を発達させ
大いに市民経済を活性化させた。
その結果、富裕層の商人たちと貴族層で逆転現象が発生するなどし、
唐代をもって一旦貴族は没落して貴族政治は終焉するのである。
★シルクロード
また、この頃積極的に生産されていた「絹」は
シルクロードを通じて大いに輸出され
「シルクロード」の名の由来もそこである。
また茶の生産も積極的に行われ
喫茶の習慣も普及し始めたのは唐代である。
★軽騎兵
また、軍隊は基本的に強く
馬に軽装備を付けて高い機動力を誇る騎兵が
主力の歩兵を援け
多くの対外戦争で優位を保っていた。
同様に騎兵が強いアッバース朝に敗れたのが象徴的である。
★白村江の戦い
663年に百済・日本連合軍を
新羅との連合軍で打ち破った「白村江の戦い」は
日本と中国の王朝が交戦した記録として双方に記録されている。
この時、日本の朝鮮半島における権益は
悉く喪失し、また
直後に発生した壬申の乱などで
日本は対外戦争を行う余力はなくなるのである。
★遣唐使
但し、戦後処理が上手く行ったのか、
戦後も両国は再三使節を贈り合っており
戦前・戦後と頻繁に遣唐使が送られた記録が残っている。
当時の日本国内でも王朝が二つあったのではないか、と考える事もできる。
つまり、邪馬台国九州説の九州政権と
近畿におけるヤマト政権の並立である。
但し、朝鮮半島から侵攻してきた騎馬民族が
ヤマト政権の支配者層を占めていると考えると
九州の邪馬台国が当時も現存していたとは考えにくい。
など諸説考えられる。
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