恐らくは、喧嘩をしたら、あるいは「そういう」競技があったら
全日本プロレスの選手は新日本プロレスの選手よりも弱かったかもしれない。
何を基準に言うのかは、まったく根拠はない。
感覚的なものであるから、実際のところとは違うかもしれない。
だが、80年後半の全日本プロレスは間違いなく
輝きを放っていた。
長州、天龍、更には輪島を迎えるなど、
新しい血によって魅力を増した全日には
その頃には大型化と“受け”の美学が根付いていた。
激しく強烈な技をギリギリまで浴びせ続け、強い方が受けきった後にフィニッシュを決める。制限時間一杯まで目を覆いたくなるような厳しい技を応酬するスタイルは、少なくとも新日本にはない激しさがあった。
のちに「カウント2.9プロレス」と揶揄されるようになるそれは
制限時間いっぱいまで厳しく激しいフィニッシュホールド級の技を際限なく
お互いに応酬し、最後は強い方が受け切って決める、というパターンが多かった。
そこに長州らのスピード重視のスタイルが加味され
喧嘩っぽいというか、マット上を蹴散らしていくようなスタイル
「ハイスパートプロレス」が輸入されるのである。
一方で、第一回のIWGP選手権に象徴されるように、
新日は“ハッタリ”と“ブチアゲ”更には“抗争”の図式で盛り上げる
ストーリー性を重視した、ケンカともレスリングともつかないショー
の延長戦上にプロレスを置いた。
スター選手も多かったが、味付けするだけに見合った選手がいてこそである。
ここで大きな路線の違いが再び生まれたと言っていい。
80年代後半は新日本プロレスは「闘魂三銃士」で売り出していた時代である。
だが、それまでは初代タイガーマスク離脱で空けた穴から
長州ら維新軍の離脱、前田日明らによるUWFの離脱、長州軍の復帰と
ストーリーは迷走しており
84年に起きた最初の2つの事件は
決定的に両団体に大きな革命をもたらした、と言えるであろう。
猪木らの主導により
異種格闘技路線で話題とレスラーの地位獲得に存在感を求めていた新日は、
佐山サトル、藤原喜明、前田明らが離脱。
しかし簡単には猪木に続くカリスマは産み出せず、
対抗軸の見えない藤波世代
まだキャリアを確立できない「闘魂三銃士」では
物足りない事この上なかった。
正直、足りないものがあった、と僕は感じている。
結果的に新日が生き残れたのは
辛うじて長州を金で呼び戻してニュー維新軍と本隊の抗争という
古臭い画を描いたからでは無かっただろうか。
半月板を損傷し、糖尿まで発症した猪木には
連日のメーンを張るまでのエースを張る力は残っておらず、
そこで新たなスターを作り出す必要があった。
それが促成栽培も良いところの「闘魂三銃士」だったのである。
この頃には新日マットにはガチンコの勝負は微塵も残っていない。
誰がいつ頃どうやって勝つかは全て子供でも予想できるお粗末さが
目立つようになっていた。
興行とはそういうものかも知れない。
近年になってプロレスの内幕が暴露された、と思う人も多いかも知れないが
年間200日ものカードを彼らは生活の為に消化するのだ。
全ては「怪我をせず」「相手にも怪我をさせず」「観客を興奮させる」か、
が重要なのであって、
目の前の相手とは“順調に予定を消化”させるパートナーなのだ。
つまり有形無形の示し合わせの上で技を応酬するのである。
新日はそれが露骨でちょっとした衝突で決着がつく癖に
明らかにヒットしていない技で勝負が決まるのが目に余ると感じていた。
だから、僕はこの頃から「全日と違って、新日は肉がぶつかってない」と感じ、
新日を観なくなるのである。
勿論、一流のパフォーマーであり常人離れした強さの存在は
きちんと感じて居て、新日レスラーにもリスペクトは感じていたが、
「ちゃんとそれを見せてくれていない」と不信を抱いたのである。
それに対して全日マットには、かなり激しいプロレスが展開され始めていた。
皮肉なことに長州らジャパンプロレス勢が持ち込んだ
破壊的な短期決戦タイプのプロレスと
言い方は悪いが相手の技を制限時間いっぱいまで受けるタイプのプロレスが
いい具合に混ざり合って
激しく長くぶつかり合うスタイルには説得力があった。
それには当然、試合終盤まで繰り出さないという「お約束」に基づいた
「必殺技」があったのである。
日本では禁じられていたという「パワーボム」が、
テリー・ゴディのフィニッシュとして定着すると、
これを天龍と鶴田が競うように使い始め、
ポピュラーな技としてしまっていた事が代表的な例である。
契機は馬場の第一線からの撤退だったと思われる。
外国人選手すら遠慮がちに闘っていた馬場が
タッグマッチ以外ではタイトル戦線から離れた事で、
(馬場に遠慮することなく)より激しく危険な技が導入される事になったのだ。
小兵レスラーはこれにより、タッグパートナーとしてか、かなり扱いの低いジュニアヘビー戦線、或いは前座試合に流れて行く。
ヘビー級の肉と肉の激突が本種本流の見世物になっていくのである。
殴る、蹴る、投げるに
アマレスや柔道、空手、相撲などの要素を加えた
いわゆる「古典的な」プロレスは一部を除いて集約されていくことになったのだ。
“古典的”の表現は余り聞こえはよろしくないが、
1つの形としては現在にも受け継がれる。
だから決して否定的な表現で云うのではない。
本来の「プロレスとは何か」の答えは、これそのものを指すからだ。
そして我々が懐くファンタジーとは、
この古典的プロレスにあることを、ここでは忘れてはならない。
骨折した箇所に「痛み止めの注射とテーピング」で強行出場…
などという話を我々は真に受けていてはここでは議論にならないからだ。
また別の人は言う。それ(古典的=クラシック)が「ジャンボ鶴田」であり
ジャンボ鶴田、天龍源一郎、長州力らが展開した説得力を超えるために展開されたのが
「四天王プロレス」だったのではないかと。
その前夜を上記3人が構築していったのではないかと
僕は考えている。
全日本であるから、看板のシリーズは「世界タッグ」や「三冠ヘビー」であったが
通して「対抗軸」として活躍していた外国人選手たちに
プロレスラーとしての「説得力」は見せつけられても
本当の意味で日本人レスラーたちが説得力を持っていたか?と
問い返すと、上記三人がどうにか捻り出していただけだったのではなかっただろうか
後続のレスラーたちにとって幸福だったのは
或いは不幸だったのは、彼ら三人がとても良いお手本になった、と
言う点である。
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