最近、せっせと認めている中国滞在記は
今から20年以上前の話である。
僕が大学生の時だから、間違いない。
そのちょっと前までは
天安門事件(第二次)が起きて、
政府が民主化運動を弾圧していたりなんか
していたのに、2000年のオリンピックが
どうにかしたら北京で開催できるんじゃないかと
勘違いしていたらしい。
1989年4月に発生した天安門事件が
一応の落ち着きを見せた時には
もう1990年になっていて
民主化運動の弾圧の中心人物だった
��小平は1997年まで存命だった。
学生たちが掲げていた民主化運動を後押ししていた
政治的中心人物である胡耀邦は謎の急死を遂げ
それまで市民たちが、公安部などに政治犯だと密告されると
色々と被害を受けていた実態の意趣返しというか
風向きの変化を示す証拠に
裏通りに異臭を感じたので覗き込むと
警察の制服を着た死体が洗濯ロープに吊るされていて
ショッキングなシーンもあった。
煉瓦でできた壁には、日本やアメリカに対する悪口が
スプレーで書かれていたりした。
僕が訪れた年、それまで流通させていた
外貨兌換券が廃止されお得な両替ができなくなっていた。
同行していた日本人の中には兌換券を持っている人がいて
どういう理由か、
「中国人が高く買ってくれる」
と言っていた。
北京滞在の6日目、
その日は天津に船で着いてから
ほぼずっと一緒に居た青学コンビの
スーさんとクラッチの二人が洛陽(ルーヤン)に向かう電車が出る日だった。
同じく、同じ宿に泊まり色々と水先案内してくれたピエールが
昆明(クンミン)に旅立つ日でもあった。
洛陽というのは
有名な竜門石窟寺院があって
まぁ、中国の史跡ロマンを追うには避けて通れない道だ。
隋の時代の都であったほか
三国志時代では曹操がいた「魏」の国の都もこの洛陽である。
本来なら、僕もここに立ち寄って壮大な石窟寺院などを眺めて
ゆっくりと時間を過ごしたいところであったが、
すっかり忘れかけていたが僕は友人を追って中国に渡ったのである。
目的地の西安に行く途中にある洛陽までしか行かない直通特急なら
1日早く北京を離れる事ができたのだが、
西安まで向かう1日を余分に北京で過ごした。
余分、でも無かったか。
しかし、とにかく。
北京で訪れたかったのに行けなかった場所は
せいぜい北京動物園と明の十三陵くらいであり
軒並み、行きたかった場所には行ったのである。
毛沢東記念館で毛沢東の冷凍遺体も見たのである。
大陸の気候は空気が乾いていて
夏といえども日本のような湿気はない。
だが、日差しは同じかそれ以上に強く、
喉は同じように乾く。
それが内陸に行けばより強くなり、
海岸に近づけばより湿気を帯びるわけだ。
天津は確かにジメッとしていたが
北京はいささか乾いていた。
20年も前の写真だから
もう本人も分からないだろうから写真を掲出したが
人数が多い方が北京での別れの写真。
人数が少ない方が西安で乗り換えて涼州に向かう
堀木さんが列車の窓から顔を出している。
お気づきあろうか
この旅行は都市間の移動は列車である。
そして、蒸気機関車がけん引する客車に乗って
旅をするのである。
それが何よりの楽しみだったのである。
当時、北京から西安までは直通特急で
約30時間である。
昼ごろに発車する列車に乗って、夕方に現地に着く感じである。
それでも退屈はしないという確信はあったのである。
その辺りは7日目に書こうと思う。
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