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2016年06月14日00:03

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北京の夜は更けて

神戸の港を出て3日目の夕方。
天津の夕暮れに僅かばかりの中国元と
それなりの額の日本円、
それにトーマスクックのトラベラーズチェック700ドル分を持って
殆ど着の身着のまま白タクに乗って
北京の街を目指していた。
せまっ苦しい車内には
明らかに法定積載人数をオーバーした人数の船から降りたばかりの客を乗せて
夕暮れの高速道路を走っていた。

「窓、開けてよ」
僕の後ろにいたどこの国の人か分からない顔立ちの人が
突然、声をかけてきた。
僕の座席の真横の窓は手動で開くようだった。
ほんの少しだけ、すき間を作ると勢いよく風が車内に吹き込んできて
蒸し暑かった空気がひんやりとした。
しかし、その分むせ返りそうなホコリも車内で巻き上がった。
それも暫くすると落ち着いたので、怪しい人物は
ポケットからタバコを取り出して火をつけた。

いい匂いがした。
彼は栃木県小山市出身で、本名は分からないが
「好きに呼んでくれていいよ」
と言ったので、後に「ピエール」と呼ぶことになる。

悲鳴を上げるような高音を上げて
高速道路をひたすら北西に向けて走る白タク。
120キロ程度の距離だが
せいぜい60キロ出るか出ないかの車を無理やり飛ばしている感じで
天津市街と北京の市街区では御多分に漏れず
渋滞に巻き込まれていく。

「降りろ!」
と言ったかどうかは知らないが
突然、明るい車道の真ん中で白タクは止まり
僕たちは降ろされた。
「どうすんの?」
染谷さんが僕に訪ねてくる。
「染谷さんが行く方向についていこうと思ったんだけど」
「僕は君たちがどうするか観察しながら付いていこうと思ったんだけど」
おかしなやり取りを僕と染谷さんがやっていると
さっきのピエールが声をかけてきた。
「君たちも日本人だよね?
宿のアテもないんだよね?
ナンジャンの方に行ったら、幾つかバックパッカー向けの宿があるからさ。
そっちに行こうと思うんだけど。
一緒にタクシーに乗っていかない?」
白タクから下ろされた10人ほどのうち、
ピエールと青学の二人、染谷さんと僕、京大の二人の7人がそこに取り残されていた。

煌々と輝くネオンは大型ホテルと大きな門を照らしていたが
それは「チェンメン」という門だったらしい。
翌日、その辺に行く事になるのだが、その時は知らなかった。
テレビでよく見る天安門とはちょっと違うが、赤い石で汲み上げられた橋脚のような形は
一緒で独特の威圧感があった。
高さは10階建てのビル程度の高さだっただろうか。

ピエールに言われるがまま
「ナンジャン」とやらの方に向かっていく事になったが
偶然にもそこは僕が追っている寮の友人も辿ったルートであった。
7人は、北京南站(ペイジンナンジャン)、すなわちペキン南駅と呼ばれる
北京駅から少し走ったところにある、どちらかというとバスターミナルのためにある
貨物駅付近のパックパッカー用のホテルを目指すことになった。
チャオユエンファンテンと言うらしい。

後で知ったが虎定門(フーティエンメン)という交差点を目指せば良かったらしいのだが
北京南站は、我々日本人が初めて訪れてどうにかなるような
簡単な場所ではない。
しかし、ラッキーなことに同じタクシーに乗った青学の二人は英語がペラペラ。
そして染谷さんは英語はダメだが、中国語は何とかなるという。
「チェオユエンファンテン、てのは。。。」
「あれかい?」
目の前にそびえ立つビルの屋上にあるネオンは
「僑園飯店」と書いてある。正確には簡体字で書いてあるので
分かりにくかったが、そのくらいは僕でもわかる。

「あれだろ」
僕は、そのホテルに駆け込んで
番台みたいなところに座っている姉さんに
「泊まりたいけど、部屋はあるのか?」
と日本語で喋りかけた。
勿論、彼女は日本語はダメだ。
カタコトの中国語でヨウメイヨウファン?
つまり漢字で書くと「有没有房?」と尋ねたのだが
それで返された中国語も英語も分からないので会話が成立しないのだ。

「パスポート出せって言ってんじゃない?」
遅れて辿り着いた青学の二人が助太刀してくれてやっと会話がつながった。
もう一台のタクシーの分と全部で7名止まりたいということ、
全員、日本人であるということを伝えると
今夜中には泊められるように支度するから、暫く待っておれ、と姉ちゃんは言う。
Tシャツにトレパンの姉ちゃんだが
番台とはいえ、ホテルの窓口役をやるくらいだから
落ち着いてこなれた印象だ。
こっちもリュック一つという軽装も軽装だが
外国人客が泊まるようなホテルが
薄汚い上に、番台で姉ちゃん一人が捌いている辺りが
いかにも発展途上国を旅行している感じがして
やっと雰囲気が出てきたというものだ。

「おお!部屋あるじゃん!ラッキー」
遅れてきたピエールが加わると一気に賑やかになる。
「全員、下にある青星食堂に居るから、部屋の準備できたら呼んでよ」
と姉ちゃんに言うと、
「OK!」
と姉ちゃんは快活に答えた。

僕たちはやっと空腹を満たすべく
ホテルの外に出て同じ建物の一階にある
青星食堂と書いてある食堂に入った。

記念すべき、中国での最初の食事である。
ビールは瓶ビールでも1本1元〜4元。
つまり、当時の日本円にして12円〜50円だ。
とにかく、路地裏の食堂は安くて旨いのである。
7人はやっと、そこで
自己紹介をしたり、何で中国に来たのか、とか
凄く大事なことを話し始めるのである。

殆ど全員が自分だけ日本人で
相手は中国人か別のアジア人かもと思っていたくらいで
ピエールが一番怪しく
京大生二人が一番日本人ぽかった。

登場人物は
栃木県小山市出身の、パーマ屋の息子であるピエール。
25歳でバツイチで、3歳の子供が居るらしい。
中国は2度目で、前回訪れた昆明に今回も向かうらしい。
典型的なドラッグ目的の旅人であった。

そして染谷さん
彼は山形大学を卒業している岩手県人で
よくは分からないが北京にある専門学校に留学していて
夏休みの間は日本でリゾートバイトをして学費を稼いで
秋が近づくと学校に帰る、という生活をここ数年送っているらしい。
目的地は涼州らしい。

青学の二人、はクラッチとスーさんで。
二人共、就職が決まって来年から社会人だという。
神奈川県出身のクラッチと徳島県出身のスーさんで
年が近いからなのか、僕たちは「タメ口」で会話していた。
目的地は洛陽らしい。

京大の二人の名前は、もう忘れた。
文系で大学院の博士課程だといっていたから
やはり来年卒業だったのだろう。
だとするとストレートでも20代中盤にはなったと思うのだが
自己紹介ではあまりその辺には触れない。
北京を離れたら、すぐに上海に向かって帰国するらしい。
時間がないのだと言っていた。

最後に僕が、実は最年少で二十歳だった。
京都市内の私大に通っていたのだが
金も実力もそのメンバーでは最低の状態で
単身、中国に乗り込んでいた。
目的地は西安。

今思うと向う見ずなことをやっていたもんだと思うが
せめて、ガイドブックでも。。。というその
ガイドブックが無かったことが、彼らとの繋がりが命綱となるもんだから
僕としては必死だったのだ。

意外と7人は気が合ったもんだから
夜遅くまで、安い地ビールを煽って
一頻り盛り上がった。
「明日、朝は10時にまたここでな!」
とピエールは大声で言った。
僕たち学生軍団は中国元が残り少ない。

続く
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