mixiユーザー(id:6231411)

2016年03月13日23:10

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そもそも論

こういう議論はしばしば行われるのであるが
そもそも伝統行事が「男女平等」によって伝統を変えてしまうと
それは伝統でなくなってしまうわけであり
平等思想が大事か伝統維持が大事かの議論は不毛であると
言いたいわけである。

何故なら、伝統も平等もどちらも大事だと言うことは
当然だからである
その伝統行事の相撲の土俵に女性を上げようというのだから
伝統を維持しようとする側からすれば
「そもそもそれが間違ってる」
平等信仰の側からすれば
「誤った伝統を早く正しく修正したい」
と、こうなるはずである。

僕は「平等」などという思想が始まったのは
特に性差について平等性を社会的に追求し始めたのは
20世紀の半ば過ぎて辺りからではないか
人類の歴史が種として200万年、文明として2万年としても
ここ50〜60年の話である。
生まれてこの方「平等ったら、平等だねえ」と言われる世代が
今、30〜40歳になろうかというこの時代であるが
それでも「平等は平等ではない」と分かっているのである。

簡単に言えば、平等ではないから「平等を追求しよう」となるのであり
真に平等というのは
能力に比例して権利が発生している事を「不平等」とは指摘しないことが必要なのである。
当然ながら
女性と男性というのは能力の志向が著しく違うので
平等足りえない事が殆ど全てなのである。
勿論、男女入れ替わっても結果が何も変わらないのであれば
権利は平等であるべきだから
どんどんと平等にすれば云いけれども
入替れないものを平等にする意味は全くないであろうと考えるわけである。

試しに、バスケットの試合をして
男女で選手を入れ替えてみれば良いだろう
結果が入れ替わるんだから、平等にしてはまずいわけである。
男子は男子、女子は女子、と区別して
同じ権利のもとに楽しむべき、と誰でも気づくことが出来るだろう。

ところが、伝統芸能の場面になると
そこで男性が女性が果たす役割が
「どうしてそうなのか」を明確にしないことが多い。
簡単に言えば、服装などがそうだ。
相撲は、神事としては伝統は重要である。
武器を隠していない証拠にマワシ一枚になるわけだが
同じことをしない女性が土俵の上に上がるのはおかしい、
という伝統を維持したい側の意見ももっともだと思うだろう

一方で、服装については伝統に由来しているのは分かったから
土俵に上がれないなどという被科学的な理由で拒むのはやめてほしい、と
思うのが感覚的なところではないだろうか

僕が昔から言っている、
金持ちも貧乏もインテリもチンピラも選挙権は同じ一票
というのはおかしくないか?という意見と根底に有るのは同質である。
或いは
納税滞納者とちゃんと納税している人とが同じ権利を有するのはおかしいのでは?と
しばしば指摘しているのと同じなのである。

伝統は変わらないから伝統なのであり
平等は「不平等だから、平等を求める」だけの話なのである。
そもそも不平等なんだから。

伝統か男女平等か それでも女性が土俵に上がれない理由
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=125&from=diary&id=3895639
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