とりとめもないところの話だが、我が家の話である。
僕は今の家を購入して13〜14年になる。
住み始めて、最初の印象から
なんとも陰鬱な雰囲気の地域だと思っては居たが、
その理由は明白で、暫くするとそれは余り気にはならなくなっていた。
元々から町自体は古く、
江戸時代かそれより以前から開発されていた温泉街の外れにあり、
その温泉街は随分前に廃れてしまったが、
その昔は芸者街などもあった華やかな地域だったらしい。
近くには大きな工場もあったらしいが、今は影も形もない。
僕は、それまでは勤め先に近い大阪市内の都心に家族で住んで居たのだが、
休みなく鳴り響く救急車やパトカーのサイレンや、
夜中になっても子供の遊ぶ声が外から聴こえてくる環境に辟易として、
郊外の、近くにコンビニもスーパーマーケットもないような
この地域に自宅を購入して越したのである。
近くに商店がないお陰で、
夜は確実に静寂が確実に確保され、
勤め先にも電車一本で20分の距離と申し分無かった。
加えて自然も豊かで大阪にも神戸にも25分と交通の便も良かった。
自宅周辺には、昔羽振りが良かったであろう紡績会社や工業メーカーの
社員の福利厚生のために建てた保養所が乱立し、
普段はそこも人気は無いのだが
管理人たちの手によって庭も門前も手入れされていて、
驚く程落ち着いた街並みだったのである。
その周辺にある田畑を埋め立てて、
今の僕の住んでいるあたりの住宅地が出来たのだ、と
近所の老人が宣っていたのを記憶している。
そんな地域だから、
古い家が周囲にはびっしりと犇めき合い、
その隙間に僕の家のような新築住宅がちょこちょこと建っている、そんな街だ。
そんな街だから、若い家族と老人の家しかない。
その間の世代が極端に少ないのである。
前出の老人は、何時亡くなったのか全く不明だが
既に亡くなって居なくなっており、
彼の家は新築住宅が建って全く別の家族が住んで久しい。
そうなのだ。最初に感じた陰鬱は
「老人の町」が発する独特の空気からのものだったのである。
そんな静かな街の老人たちが元気だった時期の記憶がある。
坂の上にあったごみステーションを坂の下に降ろしたい、との陳情が集まった
10年くらい前の頃だろうか
陳情に際して、自治会の会合が持たれたのだが
20代は僕と家内だけ。
老人たちはボクと家内を取り囲むようにして
口々に理不尽な要求を「新参者」に突き付けようとしていた。
敬老精神が旺盛な僕だから(笑)、
大抵の体力的な問題からくる要求は引き取ったが、
「平日にゴミ掃除したい」だとか、
「農業用水池の処理」だとか、
「違法駐車の除去」だとか、
御門違いの要求は突っぱねた。
そして、新しいごみステーションの場所を決めるときに
「新参者の家の前に移す」と言い出した時は強硬に反対した。
他に適切な場所や死にスペースは山ほどあるのに、
「新参者の家の前から選びたい」と老人達が徒党を組んで言い出したのだ。
他にいくらでも捨てる場所はあるのだが
自分たちの家の近くは嫌だというのだ。
そして、野ざらしの駐車場の横に、と提案すると
「将来、息子が帰ってきたらそこに住むと思うから、ダメ」という。
我々の住む集落は田畑を埋め立てて作った住宅地なので
道路は田畑の真ん中に突き刺さるように作ってある。
つまり、至る処に「行き止まり」があるのである。
その辺りは、ごみステーションには適していたが、難点があった。
ごみ収集車が入っても引き返せないし、
その隣の家の老人の家群から「クルマが出しにくい」と言うのだ。
分からなくもない。ゴミの量が多すぎると、その脇を通るのも難しいのである。
しかし、だから「新築の家の前にごみステーションを作りたい」という理由にはならない筈だ。
「我々はそんな大量のゴミは引き受けられない」
僕は新参者組の代表として拒否した。
「アンタも何れ年を取ると、坂の上までごみを捨てに行くのは大変なのよ」
白髪で三つ編みをした老婆が古参組の中心人物らしく、こちらを諭すように言う。
だが論点がずれていた。
「それについては理解している。
だが、20世帯もの大量のゴミは引き受けられない、と言っているのだ。
10世帯以下、せめて7〜8世帯のゴミでないと我々の家の前に置いても同じ事だ」
所謂、働き手となる65歳以下の世帯主が居る世帯は5世帯で、
うち4世帯が新参者。
そこに老夫婦が世帯主の新参者が1つ加わって、
「古参15世帯 VS 新入り5世帯」の睨み合いとなった。
押し問答が続くなか、白髪三つ編みが遂に本音を言った。
「ついこないだまで、アンタたちの家は田圃だったのよ、引き受けなさいよ」
この言葉に僕はカチンと来た。
「アンタたちの家も、もう少し遡れば田圃だった筈だ。
この集まりは既得権を主張する場なのか?
だったら、坂の上に置きっぱなしにするんだな。それが既得権だ。」
三つ編みは苦々しげに睨み返すが、両者とも問題は解決しないので終われない。
新参者の住居は地域の端に一塊になっており、
生活道路に面して居たが、古参組の主に占める辺りは
本来なら通り抜けられる道路をコンクリートブロックなどを積み上げて封鎖し、
奥の方に車の出入りが出来ないように封じてあるのだ。
それにより、市道である筈の自宅前には家庭菜園だのプランターだの、
明らかにはみ出した路上駐車だのしたい放題にしているのだ。
彼ら自身かその親世代かは分からないが、
かつて周りが畑や田圃だった時代はそれで良かったかも知れないが、
地主が自宅の前の土地を売れば、
彼らの既得権であるそれらごと、根刮ぎ失われるのである。
彼らが最も嫌がるのは、その「通せんぼ」を解除されることである。
「市の民生委員に陳情しても構いませんが、
バリケードを取れ、という話もワンセットにさせてもらう」
更に僕は追い打ちを掛けた。
「ゴミで通行の邪魔になる云々は、
ごみステーションの班が通常の倍になる20世帯も固まっているからだ。
半分に割れば通行可能だ」
老人たちが次に困るのは、役員の仕事をすることである。
しかし、自治会の班を割れば
若手の新参者組は片方に集まってしまい、
彼らが「高齢だから」という理由で拒否していた各種の役員や当番は
もうひとつの古参組の中からも出さねばならなくなる。
「アンタらが道路を封鎖するから、
古い地域に新しい住人が来ないのだ。
若い住民が来ないから、全員が高齢者になって問題は解決しない」
三つ編みは今にも噛み付きそうな顔をして、黙って睨んでいるままだ。
「役員の件はアイデアがあるが、ごみの件は譲りませんよ。
人の家の前をを“元田圃だから”なんて理由で
ゴミ捨て場にしようという人たちにに配慮なんて、一切する積もりはない!」
僕が言い切ると、その場はお開きとなった。
思えば若かったと思う。
結局、これまで通り役員のローテーションには古参組が入らないように
一つの班のA組、B組という分け方を採用し、
「1ーA班」「1ーB班」というごみステーションだけ違う分け方を採用した。
つまり、自治会の班は変わらず一つのままだが、
ゴミの班だけが分かれるというものだ。
三つ編み老婆の失言から
周りの老人たちも多少は
“これまで”の問題を認めざるを得ないと感じたようである。
こうしてごみステーションは2つに分かれて、坂の上から下に移動した。
新参者の班は老夫婦の家の前に置くことにして、
老夫婦には役員のみならずごみ当番からも除外して折り合い、
もう一ヶ所は行き止まり近くの独居老人宅前に決まった。
世帯数が半分になったので、交通の邪魔にはならない。
漸く平和が戻ったのだ。
ごみステーション騒ぎから数年後、
僕は転勤の為にその家を離れて、名古屋に行くことになった。
そしてまた数年後、名古屋から大阪に再び異動で戻ることになり、
「老人の町」に帰る事になった。
隣に住んでいた老夫婦の家の前が
変わらず我が家のごみステーションだったが、
老夫婦のご主人は知らぬ間に病死し、
奥さんは近くに住む息子夫婦と同居を始めたので空き家に。
三つ編みは姿が見えず、自宅には表札がかかったままで人気が全く無い。
三つ編みが捨てていた方のごみステーションを提供していた独居老人は
死んでしまったようで空き家。
隣家は入院して不在か死亡して不在かばかりで、
元から役員を回していた比較的若手の老人と新参者組だけになっていた。
また、夜中に救急車が近くに停まった。
誰かが倒れたのかも知れない。
先月は自宅裏の老人宅から息子さんが再婚で転出し、
遂にその老人は独りになるため、老人ホームに移る事を決意したらしい。
小さな子供と若い夫婦だけになると、夜は静かになるのである。
十数年前と比べても、何軒か建て替えしただけだが、
まるで誰も居なくなったかのように人気が無く、
夜の静寂は一層静まり返って無気味な程である。
誰かが積み上げたコンクリートブロックは未だに積み上げられたままで、
行き止まりは沢山ある。
主の帰りを待っている古い軽自動車には埃が被っている。
一度棲み家を離れた老人が、自宅に戻るなんてことはちょっと考えにくい。
僕にしてみても、
20代に購入した今の我が家が“終の棲家”になるとも考えにくい。
白髪三つ編みの婆さんが、
今も生きているなら打ち捨てられたあの家は今後どうなるのだろうか。
知る由もない事だ。
僕が求めた静かな街、ってこんなんだっただろうか。
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