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2015年03月08日21:13

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吾唯知足のレプリカ

先日、所用があって竜安寺という寺に人生で初めて拝観する事になった。
実は、学生時代に住んでいたのも竜安寺。馴染み深い地域ではあったが
近くにある「立命館大学」の学生と同一視されるのも癪なので
近所はあまりウロウロしなかったのである(笑)

竜安寺は「京都とその周辺」が世界遺産に登録された時に
「こことここを含む」の「ここ」に入れられた歴とした世界遺産の代表格である。
実は、ここに学生時代入った事があって、その時は学生バイトで
石油ストーブを搬入すると云う仕事の用事。拝観地域では無くて事務所地域なので
どこのどの辺が観光スポットなのかは殆ど分からないまま、
サッと入ってサッと出ただけなのである。

このお寺は、日本人観光客よりも外国人観光客が多く
普通の寺よりも英語や中国語・韓国語の看板が目立つのである。
石庭という枯山水をイメージした砂利と石で出来た庭は世界的に有名で
見に行くと、その庭園を眺める縁側にズラリと外国人が並んでいる。

それともう一つ、ここの有名なスポットが
「つくばい」漢字で書くと「蹲踞」となる石で出来た手水鉢である。
この「つくばい」には
「吾唯知足」(われただたるをしる)と書かれた漢字の「くち」の部分が
四つの漢字の共用になっていて、そこが掘り下げられて鉢になっているのである。
それ自体は、過去にも目にした事はあるかも知れないが
まぁ、それはこの竜安寺の二大スポットの一つだと云う事を知っておいて貰いたいのだ。

たまたま先日は特別公開と云う事もあって
拝観料に300円を足すと、西の庭園と仏間
奥の茶室も拝観できると知って
何の気なしに僕はそこに入る事にした。

奥の庭園には昭和57年に建てられたと云う建物と
このお寺を建てた細川勝元の像が置かれていた。
因みに、細川勝元というのは室町時代末期の管領で
像が作られたのは江戸時代の話である。
勝元と言えば、応仁の乱の東軍の大将。
京都の人が言うところの
「前の戦争の時、焼けましてん」の「前の戦争」は
「第二次世界大戦」ではなく「応仁の乱」であり、
その戦乱の原因を作った張本人である。
第二次世界大戦の時は、戦争末期の本土空襲の時も
連合軍は京都と奈良には
「神社や寺が戦火で失われるのは惜しい」
と爆弾を落とさなかったと云うから
強ち間違いではないジョークであるが
その「応仁の乱」の東軍の大将が作ったのが
竜安寺なのである。

江戸時代に作られたと云う、勝元の像がどれだけ有難いのかは
少しも分からなかったが、
勝元像のある庭園を拝観した後に通った茶室の前に来た時に
衝撃を受けたのである。

「先程も目にされました『つくばい』。あれは
実は綺麗な言葉で言うところのレプリカ。複製でございます。
現在、皆様の目の前にあるのが水戸光圀公が寄進したと言われる
本物の「蹲・つくばい」でございます」
ガイドは淀みなく説明している。

それと同時に庭園を挟んで反対側の廊下から
外国人たちがレプリカだと言われている蹲をパシャパシャと
撮影している。
彼らはそれがレプリカだと知っているのか居ないのか。
そこに置いてあった立て札には「これはレプリカでございます」とは
書いて居なかったが
全く持って拝観客をバカにしている設定である。
本物のつくばいを一般公開せず、レプリカを見せておいて
たまたま特別公開している茶室を見た者にだけ
「実は、アレはレプリカで、こちにが本物」と
その説明をするのである。

気分的に憤慨させられたものの
何と言うか、およそ近代になって作られた室町末期の寺院の
作りだが、何とも落ち着いた気分にさせられる庭園と
素晴らしいロケーションに観光地である事も忘れて
ただ時間を過ごして行くばかりであった。
そぼ降る雨が小降りになるのを待って家路に就いたのだが
出来事が皮肉である事と、得られた満足感のギャップに

われ、ただ足るを知る

気分であった。
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