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2014年12月28日02:54

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若さゆえ〜

決してコラムの粗探しが趣味と云うわけではないが
こういう本質に迫る議論には積極的に参加したい。
僕は「表裏」論者であり、一つの理屈にはその反対の意味もあると考え
尚且つ、「逆もまた真なり」を見出すところに言葉遊びの妙がある、と
考える立場である。

「努力は報われる」は基本的に「報われない」から言われている言葉なのである。
但し、「報われた努力」は「努力したから報われたのだ」と解釈される事が
多いのであり、「努力したから、報われた」と本来なら考えねばならないだろう。

今年は娘が受験生なので、しばしば小言を言ったものだが
「努力したって、受験に成功するとは限らないのだ」
と何度も言った。だから、受験勉強などやめて、ダラダラしろ、
そうすれば確実に志望校に行く事は無いだろう。
この方が理屈に合っている筈だけれども、どうする?
とこう言ったのだ。
大概、こう言うと娘はぶんむくれて自室に戻ってしまうのだが
「努力したからと言って、志望校に合格するとは限らない」
というのは真理である。何故なら、受験とは自己完結しない
周囲との相対的な評価によって結果が測られるからである。

つまり、ライバル5人で4つの椅子取りゲームをする時に
君はどういう努力(工夫)をすれば勝てるのか?を問われているわけであり
残りのライバル4人と同じように努力しても勝ちに繋がる行動とは
言い難いわけである。

スポーツになるともっとシビアである。
「甲子園に行く!」
と心に決めて何年間も努力したとしても
その夢がかなうのは一つの都道府県に1校(夏の場合)だけであり、
ベンチ入りになると16人だけが夢が叶うだけである。
つまり、休みも勉学も捨てて毎日野球に打ち込んでいる、
同じ県に居る何千人もの高校球児たちは
ひょっとしたら信じられないような努力をしていたとしても
涙を呑んでいるわけである。
しかし、報われていないわけではない。
夢は叶っていなくとも、何らかの形で返ってくることが
「報われる」の真意なのである。
そこのところを勘違いしないで貰いたいのだ。

さっきの受験の話もそうだが
受験には失敗しても「報われない」とは限らない。
仮に高校がダメでも大学、
大学がダメでも国家資格などで
いわゆる詰め込み学習の積み重ねであっても
その後に活かす事は幾らでも出来るのである。

そして、ここからが重要だが
いつ、それが報謝されるのか
どのタイミングで何をもって評価するのか、で考え方が変わるものである。

失敗から学ぶ、というのも大切であるし
挫折感を知るのも重要だが
それは一般論。
どういう努力をしたかによって、どういう報われ方をするのかという
傾向も好意的な解釈の方向性も
本当は最初から全部決まっているのである。

そもそも、何のために努力するのかと云うと
「可能性に対する挑戦」であり
より高度な自分、より高度な環境を求めて
努力しているのではないか。
ただ、それが手に入るかどうかが分からないだけなのである。

「可能性」なんだから。
手に入らなかったとしても、それも結果の一つであり
考え込むよりは次へのアプローチを淡々と開始できる人間の方が
強いとは思うのだ。
真顔でこういう事を知人にいうと笑われるので
普段はこういう事は言わないけれども、目標が次々と現れて
深く考えずに必要な努力が何なのか、どうすれば良いのか、が
パッパッと浮かぶ人間に僕はなりたいと
40を過ぎてもいつも思う。

誰かの不機嫌を恐れる様な生き方しか
ここ最近はしてこなかったのだけれども
それでも、競争事は全て誰かを蹴落とさないといけないのだとしたら
人生の大部分は競争ではないか
勝つ事もあれば、負ける事もある
それでも闘い続けられる悦びと云うものを
感じて立ち止まらずに生きていきたいと

そういう風にしか、努力と云うものの価値を
受け止めていないのだけれどもなぁ

娘にこんな話してもなぁ(笑)

「努力は報われるは間違い」とわかり努力が怖い
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=116&from=diary&id=3204475
「努力は報われる」という風潮がある。一方で、どんなに努力しても報われない経験をした人もいるのでは? 教えて!gooでも「努力が怖い」という意見が寄せられた。

「『努力は報われる』が間違いだとわかってこれから先どうするか」

小学校〜大学まで13年間野球をした質問者さん。考えられる限り練習したものの、結果は惨憺たるもの。これから野球以外に新しいことを始めるつもりだが、努力が怖くもあるよう。「結果が出なくても得られるもの」と、全力で頑張るアドバイスが欲しいとのことだ。

■プラスもマイナスも大きな糧

13年間の野球生活で得られるものは、かなり多いだろう。体力はもちろん、炎天下や極寒の中での練習で培われた根性、試合の最後まで諦めない粘り強さ、先輩や後輩との人間関係…と、野球以外でも役立つ経験が多い。一方で、「うまくいかなかった経験」も重要だ。

「悲しさ、悔しさ、惨めさを得ています」(dsdnaさん)

惨めで悔しい思いをしたことがない人は、挫折やトラブルに弱く、機転も利きにくい。つらい経験をしたからこそ、逆境でも踏ん張り、新たな道を切り開けるものだ。自分と同じような状況の人に、優しくもなれる。マイナスな経験も、次に始めるものの大きな糧となっているのだ。

■失敗したからホンモノに出会える

全力で努力することや失敗が怖くて、最初から諦めてしまう人もいるのではないだろうか?

as3724さんは、今回の失敗は人生においては極めて重要な収穫という。その理由を「自分に向いているか否か、この道でセンスがあるか否かを、主体的に賢明に判断できるからです」と続ける。
「野球を全力でやったからこそ、『無意味な頑張り』を客観的に避けて、『この道ならイケる』ことを肌で感じ、実践することが出来るからです。それは、あなたが一度野球に没頭し、跳ね返れなければ、決して得られなかった感覚です」

質問者さんと同じように最初の就職で努力するも失敗したkanto-iさんは、「私は、その努力があったからこそ、今本当に心から好きでやり続けたい事に出会えた」という。

何もしないで家にこもっていくら考えても、自分についてはよくわからない。様々な経験や失敗を重ね、いろいろなタイプの人と出会うことで、徐々に自分が分かるものだ。同時に「自分にとってのホンモノ」を見極める目も養える。
一方で失敗を恐れていれば、いつまで経っても自分に合うものにも人にも出会えない。筆者が最近気付いたのは、「日常の小さな傷から逃げていると、後から大きな傷がやってくる」法則。歳をとってからの後悔は、何倍も痛いものだ。本当に怖いのはどっちか、改めて考えたい。

宮野茉莉子

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