何年先の未来まで、自分は体験できるのか。
この感覚の違いは、世界の見え方に大きく関わっている気がする。
私が子供だったころ、21世紀はまだはるかな未来だった。
いや、1986年のハレー彗星の回帰ですら、小学生のころに『キャプテンウルトラ』を見たり、関連する宇宙記事を読んだりしていた時分には、ずっと先の出来事のように思えた。
だが、次の回帰である2061年は、おそらくもう見ることはない。
同じように、かつてスピルバーグの『未知との遭遇』や逆ベクトルのエメリッヒ『インディペンデンスデイ』で描いたような夢想が、現実のものとなる未来も、私の目には届かないだろう。
人は、自分が生きて触れられる未来の長さによって、未来そのものの受け取り方が変わる。
孫の世代までは気にかかる。だが、そのさらに先となると、頭では想像できても、実感として案じるのは難しい。
もちろん、いま現に見えている範囲の不安はある。
複数の大国の指導者たちが、少しずつ穏健さと理性を失いつつあるように見えることは、十分に心配の種である。
それでもなお、その不安もまた、自分が見届けうる時間の長さの中で感じているものなのだと思う。
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