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2026年08月16日02:55

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科博の先生と埼玉県へ、地学の勉強に行ったこと

あれは二十一世紀の初めごろだったと思う。
当時、私は大阪のとある工業高校で理科を受け持っていた。
夏に募集のあった研修旅行に、だめもとで出張願いを出してみた。
埼玉県の長瀞渓谷などを見て回る、一泊二日の地学巡検で、主催は東京・上野の科学博物館。
案内は全国の学校に回っていたのだと思う。
幸い出張許可が下りて、その夏の二日間の予定が決まった。

集合は朝七時ごろ、長瀞近くの駅だった。
それではさすがに早いので、往路は東京まで夜行バスのドリーム号を使った。
集まったのは各地の理科の先生たちで、そこからは科博が用意してくれたバスで移動した。

最初に見たのは、生物化石が比較的見つけやすい石灰岩の露頭だった。
とはいえ、私が見つけられたのはフズリナくらいで、そう景気のいい成果ではなかった。
河原では砂金すくいも体験したが、こちらも予想どおり、私の手元には何も残らなかった。

その一方で、科博の先生に岩石の同定を見てもらう場面は面白かった。
私が拾った石について、これは○○岩ではないかと推測を述べたところ、返ってきたのは「昔の製鉄のクズ石ですね」という答えだった。
地学の勉強のつもりが、いきなり見立て違いを突きつけられて、少し可笑しかった。

長瀞渓谷を俯瞰できる場所では、この地形がどうできたのかを教わった。
暑い日だったが、その夜は近くの宿に、理科教員が二十人ほどと科博の先生方が泊まった。
温泉に浸かりながら、湯に含まれるラドンの由来まで説明してもらったのを覚えている。
私は危うく東宝の怪獣映画の話を振りそうになったが、そこは口にチャックをした。

夕食の席では自己紹介もあった。
参加者の多くは関東圏の先生だったが、私のように大阪から来た者もいれば、九州から来ていた方もいたと思う。
名古屋から来た若い先生は、青春18きっぷで来たと言っていた。
出張旅費でそんなことができるのかと思ったら、自腹参加だという。
その熱意には感心した。

この会食のとき、関西では地震への身構えが、関東より少し強いのかもしれないと思った記憶がある。
東京で地震が起きてエレベーターが止まった事件の直後で、その受け止め方に、阪神大震災の記憶がまだ生々しかった大阪の側との違いを感じた。
その記憶から逆算すると、この研修は阪神大震災の後で、東日本大震災よりはずっと前、つまり二十一世紀初頭のことだったのだろう。

翌日は上野の科学博物館へ移動した。
そこで聞いた話の中で印象に残っているのは、全国の警察から、靴に付着した土や砂の鑑定依頼が来る。それについて、かなりの確率でどの水系のものか見当がつく、という話だった。
地学が、教室の中だけの学問ではなく、現実の捜査にもつながっているのだと知って面白かった。

私は前から気になっていた、ウラン時計などの放射年代測定で、なぜ「時計がリセットされる」のかということも尋ねた。
液相から固相になるときの鉱物の析出選択性による、という説明で、なるほどと思った。
当時すでに、シリコンを高純度で取り出す工学的な話は多少知っていたので、その説明はわりによく腑に落ちた。

帰りは新幹線だった。
アカスタ片麻岩など、岩石のお土産がいろいろ入った鞄はやたら重かった。
あの名古屋の先生は、帰りも夜行バスのつもりだと言っていた気がする。

なぜ二十年も前のことを、わざわざ今になって日記に書くのか。
そう自分に問い返してみると、答えは案外はっきりしているのかもしれない。
あのときの自分は、まだ学ぶことそのものに、かなり素直に胸を躍らせていた。
その感じを思い出したいのだろう。
ひょっとすると、『アルジャーノンに花束を』を連想しているのかもしれない。
いつまでも明晰な記憶があるとは限らないのだから。

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