よく
私なしに、すべておこっているかのようである
という話をきくが、
私という信念の正体が魂だとするなら、それは、
形而上の大自我(主体化催眠)の反映である
したがって、
私という信念(催眠)があるとき、知覚や思考や感情がおきているようにみえるし、
恩寵により私という信念がいやされて、ないときには、それらは、おきていないように感じる
ただし、最後の人生がおわるまで、何かが、いぜんとして、おきているようには感じるだろう。
しかし、それは、流行のノンデュアリティの話のようにナチュラルスピリットから直接おきているのではない。
主体化催眠である大自我の段階からの誤創造にすぎないのである。
それでも、ナチュラルスピリットからの恩寵により、比較的平和なマルチシナリオが展開することが多いことだろう^_^
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