僕はまだ40代だが、子供二人は巣立ってしまい、家内と二人暮らしが始まっている。
その家内の口から「ご飯、もう面倒くさい」「家に居て欲しくない」と
いう暴言は何度も耳にしている。
その都度、「別に嫌なら、それで良いけど。昼飯代は出してくれるんだろうね」
と言っている。
つまり家内はほぼ専業主婦であり、家事を生業としているのであり
それをしないというのだから「昼飯代は出して」という僕の主張の意味は
十二分に理解しているのである。
無論、小遣い以外のお金は家内の懐に収まるようになっており、
家内がそう望むのであればそうなるのである。
しかし、それが不満だというのならば、どうするのがベストなのかも
家内自身が考えれば良いわけであり
「面倒くさくなった」からといって、サラリーマンの僕と入れ替わる事も
相応の収入を得る事も出来ないのである。
こんな事を当人に言うと著しく機嫌を悪くするので、
絶対に本人には言わないようにしているのだが、
もし僕が「面倒くさくなった」とか「しんどくなった」などと言って
働くのを辞めたりセーブしたりする事を家内は許すだろうか。
仮に「昼御飯を作って欲しい」と言うのならば、
別に文句も言わず、僕は作るだろう。単身赴任時代は毎日自炊していたので
料理は嫌いではない。ただ、家内は習慣として昼食を用意するのが
面倒に思えただけであり、本気で作るのを辞めたいわけではないのは
僕はある程度理解している積りである。
僕の部にも高齢男性が以前に1名、現在も1名在籍していて、
自らの自由のためにかどうか、昼ご飯は自作の弁当を用意している。
個人的に生理的に合わない人物であり、僕は外食するので丁度良いのだが、
彼が自作の弁当で昼食を済ませる気持ちが理解出来ないでもない。
極めて微妙な立ち位置だという事である。
特に彼は奥さんに多大な迷惑を掛け続けてきており、
外食すると後輩や元部下と一緒に食事する事になり、
奢ったりする場面が出てくるのを避けている狙いもあるだろう。
そういう事を計算する程度の狡猾さが彼にはある事を
「元部下」の僕は十分知っている。
現在の上司からは、かつての対立関係を背景に
「仕返し」をするのはやめてやって欲しい旨の助言を貰っているが、
彼の役職者時代に現場の僕が受けた仕打ちを知らないわけではないだろう。
「必ず、仕返ししてやる」
と面前で言った事もあるので、彼はそれを記憶しているのではないか。
当然、現在はそれが可能な立ち位置となっているので
抜き身の鞭をビュンビュン振り回してはいるが彼には振るっていない。
僕は知っているのである。因果応報ではないが
理不尽な振舞いはいつか自分を苦しめることになるだろう事を。
そうなれば、家内のたまの我がままには
多少は受け止めてやる気持ちが湧いても当然だ。
それを受け止める事で、然して大きくはない家内の「揺らぎ」も
許容範囲内に留まるというものである。
些か、否、かなり過干渉の家内に育てられた子供たちはきっと
二度と我々夫婦と一緒に暮らすことは無いだろう。
折角の自由と自己判断の生活を手に入れたのである。
「自立する」とはどういうことなのか、
今、娘は嫌というほどの現実に向き合って生活しているようである。
息子は過干渉とそれへの依存が如何なるバランスで成り立っていたか、
それを思い知っているようである。
それもこれも家内の強めの一方的な愛で出来上がっているのであるが
随分と年を取ってから、それが「ありがたい」と思える日が来たら、
きっと自分も、子供たちも成熟するのだろうと思っている。
年老いた元上司は、かつては強権で傲慢が過ぎたが
今となっては時代にはマッチしておらず、実に哀れではあるが
しかしそれは幾つかの選択の果ての自分の姿の一例なのではないか、
とも思えて何だか気の毒なのである。
薄皮を剥ぐように時代は遷移して、いつか僕もついて行けなくなる。
その日はそう遠くないという事だ。
「老害」と言って嗤えないのである。
■「昼ご飯、作りたくない」妻の言葉に驚いた 退職後男性の居場所探し
(朝日新聞デジタル - 05月01日 11:26)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=7395704
定年退職は、仕事だけではなく社会とのつながりや肩書などさまざまな喪失の機会になりがちだ。女性に比べ、地域との縁が薄いことが多い男性は、身の置き場さえ見つけられないこともある。
「昼ご飯、作りたくない」。70代の男性は、妻の言葉に驚いた。60歳で定年を迎えた後、雇用延長で66歳まで働き、退職してから間もないころだった。
妻は続けた。「週に3日は外に出てほしい」。きつい話だと思ったが、けんかはしたくなかった。
コンビニで昼食用のおにぎりを二つ買い、電車へ。植物園、寺や公園のベンチなどで昼食をとった。
現役時代は昼ご飯を1人で食べることがよくあった。寂しさは感じなかった。でも、同世代の高齢者が孫を連れて一緒に食事をしている姿を見ると、うらやましく思うこともあった。
長いサラリーマン生活で、自分が暮らす街をよく知らないままだった。退職前は、県外での単身赴任が10年以上続いた。長年、夫が不在だった妻には、妻の生活のペースができてしまっていたように思う。
◇
大阪市旭区の横井英司さん(78)が退職したのは2020年春、新型コロナの感染が広がり始めたころだった。
営業マンとして50年以上、数多くの取引先と毎日話すことが生きがいだった。だが、退職したとたん、ほぼ誰とも話さなくなった。コロナ禍で外出もままならなくなった。
朝、起き上がれない。全身がだるく、気力がわかない。「営業マンにとって、予定がないことほどつらいことはない」
家に閉じこもり、「引きこもり」状態になった。
転機は半年後に訪れた。妻が体調を崩して入院、病院の指示で、区役所へ妻の介護保険の手続きに行くと、区の社会福祉協議会を案内された。
男性だけが参加できる区社協主催の高齢者大学のパンフレットに目がとまった。一緒にいた妻のケアマネジャーが背中を押し、「入学」した。
旭区に住んで約70年。初めて地元の人たちと話すようになった。「卒業」したいまも交流は続く。「男ばかりで気兼ねがなく、好きな時に参加できるのがいい」と話す。(瀬戸口和秀、島脇健史)
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