考古学者が考えるように縄文は狩猟・採集・漁労で、日々の糧を得るためにあくせくとしていたなら、縄文人は勾玉という世界にも例のない造形物を生み出すことはできなかっただろう。これまで誰も語らなかったが、縄文文明には精神性や霊性を高めるための装置が内在されていたのではないか。以下をお読みになれば、縄文人は野生動物を罠にはめて屠殺などしなかったとご理解いただけるだろう。また、縄文人は1万3千年の超長期にわたって平和を維持し、7千年もの長寿命の勾玉を生み出せた秘密の一端もご理解いただけると思う。
・「縄文は狩猟か? 〜穴が示す平和文明〜」
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・縄文平和文明の維持装置 〜瞑想穴と木柱〜
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・もう一つの縄文の瞑想穴
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・縄文は狩猟ではないことを示す遺物
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*******(以下本文)
最古とされる勾玉は縄文時代早期末頃のもので、おおよそ7000年前だ。朝鮮半島南部の遺跡から出土する勾玉は5世紀頃のものである。日本の勾玉がどのように半島に伝わったのか定かではないが、勾玉は縄文で生まれたと言ってよいだろう。勾玉が日本で生まれたことを自慢したいのではない。7000年の超長期にわたって人々を魅了し続けた勾玉を生んだ縄文文明とはいかなるものであったのか、本稿では勾玉を通じて縄文人の宇宙観と彼らの文明の真相に迫って見たい。
現在も多くの工房が様々な石で勾玉を作っているが、現代人をも惹きつける勾玉とは、一体何だろう。何故、縄文人はこのような驚異的とも言える超長寿命の造形物を作り出せたのだろうか。勾玉を生み出した縄文人の精神性や宇宙観はどのようなものだったのだろうか。
勾玉は何を象ったのか、考古学者の間で定説はない。胎児の形や動物の牙などが取りざたされている。だが、縄文文明の造形において、肉眼で見える三次元世界の存在物を象ることは稀である。縄文人は、我々が知る多くの宗教のように、崇める対象を描いたり、像を作ったりすることはなかった。また歴史時代においては傑出した精神的指導者や政治指導者の像が作られたり、描かれてきたが、縄文人はこのようなことはしなかった。この視点で縄文の遺物を見直していただきたい。これが縄文人の心性と宇宙観と縄文文明の深奥に迫るための鍵となる。1万三千年にわたって平和文明を維持した縄文人は、決して未開の民ではなく、現代人など及びもつかない深い叡智を有していたと前提して、敬意を持って縄文に接することだ。そうすれば、自ずとその深奥を垣間見せてくれるだろう。
縄文人は土偶を作って崇めたではないか、という意見があるのは承知している。ここでは詳しく私論を展開しないが、土偶は崇めたり拝んだりするためのものではなかった。流産を悲しんで、胎児を象った勾玉状の「何か」を作ったことはあったかも知れないが、これが縄文社会に広まり、時を超えて現代にまで伝わったとは考え難い。仮に動物の牙を象ったとしても同様で、普遍性は持ち得ないだろう。現代でも勾玉には神秘的な力が宿っているとされるが、それは何故だろうか。
縄文の数多の遺物を仔細に検討すると、彼らは現代最先端の物理学に通じる宇宙観を持っていたのではないかと思わされる。例えば多くの土器に描かれる渦巻き文様。物理学は極小世界から極大世界まで、万物は回転して渦を巻いていることを明らかにした。縄文人は心の眼で、すなわち直観で万物の本質を渦や回転と捉えて、根源の本質が有するエネルギーを土器に転写するために、渦巻き文様を数多く採用したのではないか。
公転するものが移動すれば螺旋となるが、縄は螺旋そのものである。繊維を縒り合わせた縄は丈夫になって様々な実用に供されるが、形状は公転しつつ移動するエネルギーである。縄文人は螺旋運動の縄のエネルギーに注目したはずだ。このエネルギーを転写したものが、縄文土器の縄目文様である。かつて日本に存在した偉大な文明に縄文と冠したのは決して偶然ではなく、何らかの必然であったと考える。縄は単なる丈夫で有効な道具ではなく深遠な意味があるのだが、これまで誰も気づかなかった。縄文人が見出したエネルギー体としての縄は、神道へと受け継がれたことは明らかである。
勾玉の形状は回転を始めた渦の一部であり、エネルギー生成の瞬間を表したものと言えるのではないか。生成されたばかりのエネルギーだから歪みはなく、完璧に調和がとれている。もちろん縄文人はこれを肉眼で見たのではなく、霊性が高い人が直観で観抜いたか、あるいは高次元からイメージが伝えられたに違いない。非常に優れた誰か一人が万物の根源を「観る」ことができたなら、霊性が高い他の人も同様に観ることができるようになる。このような現象はあらゆる分野で生じる。原初のエネルギー生成を表現した勾玉は特別なエネルギーを有していた。それゆえ勾玉は縄文社会に広まって後代へと伝え継がれた。
勾玉の形状がこのようなものだとすれば、穴は紐を通すためのものではなく、回転で物質やエネルギーが生じる、まさにその一点を表現したものに他ならない。もし飾りとして紐を通すためなら、穴は末端部でも構わない。ぶら下げて安定するし、単なる飾り物として見れば不自然とはいえないだろう。
原初のエネルギーあるいは万物創生を表現している勾玉は、道教の陰陽太極図と通底性がある。太極図は万物の根源である陰陽の気の原理を表現している。白と黒の点は「陰中の陽」と「陽中の陰」を表すが、勾玉の穴と同じく気が生成する原点とも言える。勾玉を前と後ろから見れば一方は左回転で他方は右回転となる。つまり、勾玉は一個で左右の回転、すなわち陰陽の二極を表現している。
道教の始祖を老子とすれば、その成立は2600年前。太極図の起源は、一説では5000年前に遡れるとする。太極図が河図洛書に由来するとすれば2200年前くらいである。勾玉が縄文に出現したのは7000年ほど前である。古さを競って自慢するのは無益なことと考えるが、今後我々が解明しなけれはならないことの一つは、縄文文明の海外への伝播であると考える。1万3千年の超長期にわたって栄えた縄文平和文明が日本列島内に閉じ込められていたとは思えない。大規模ではないだろうが、海外と何らかの交流はあったはずである。現段階で物的証拠となるものは何もないが、縄文の勾玉とその宇宙観は大陸に渡って太極図となり道教の礎となった、との仮説を留保しておこう。
考古学者は勾玉を「祭祀に使用したのだろう」との決まり文句で片付ける。だが彼らは縄文の「祭祀」がいかなるものであったか知らない。そもそも祭祀に意味づけをする縄文の宗教がいかなるものか不明なのだ。考古学者が推測するのは文献や伝承などに記された祭祀か、あるいは現代の宗教が執り行う祭祀だが、これらを縄文人が執り行っていたかどうかは全く分からない。祭祀に必要不可欠ではないが、ほぼ付きものと言ってよい祭壇が、縄文遺跡から全く見つかっていないことを考古学者はどのように説明するのだろうか。
縄文人は様々な石で勾玉を作ったが、最も珍重したのは翡翠の勾玉であった。翡翠は成功と繁栄を導く象徴とされるが、縄文人はこのような現世的ご利益を目的に翡翠を求めたのではないはずだ。翡翠は調和と徳も象徴している。超長期の平和文明を維持した縄文人は、人々の調和、人と自然の調和、地界と天界の調和を願って翡翠を求めたはずだ。個人レベルでは徳の涵養や霊性の向上も目的としただろう。もちろん、縄文人は翡翠以外の勾玉にも同様の効力を求めた。
勾玉は、万物創生の初源を表した形状であるが故に、形そのものが調和をもたらす神秘的なエネルギーを有するのだろう。縄文社会で勾玉を作った人は、精密な加工技術と、勾玉にエネルギーを付与することができる高い霊性を兼ね備えた人だったはずだ。あくまでも推測だが、勾玉を身につけた人は決して「特別な地位の人」ではなく、何らかの理由で勾玉のエネルギーを必要とした人だったに違いない。多分、勾玉を首にかけてハートチャクラを活性化させたはずである。
後代にも霊性が高い多くの人が勾玉の調和がとれた神秘的なエネルギーを直観で観抜いたが故に、勾玉は7千年の超長期にわたって人々を魅了し続けた。勾玉の「魔除けの力」が単なる俗信なら、数十年か数百年で消え果てたことだろう。
本稿では縄文文明の本質を理解するためのキーワードとして勾玉から「調和」を導き出した。実は勾玉のみならず、縄文の多くの遺物や遺構にも調和を見て取れるのだが、これについては稿を改めて論じたい。
(了)
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