一昨年の秋、数年間単身赴任していた九州から異動となり
再び大阪勤務となった。
元々移動前に所属していたセクションに戻ったが
同じポストに数年前から先輩が座っており、
僕はライン職から外れて実質降格しての帰阪であった。
その人事を決めた上司は「そこ」を色々と気遣ってくれたが
僕は少なくとも苛立っていた。
元居たセクションでは、自分で言うのもなんだが
結構な理不尽な役回りを務め、まぁまぁの実績を挙げて居て
「そろそろ昇格を意識しているよな?」
とその人事を司る上司から尋ねられた時に僕は言い返した。
「誰も彼もが昇格したいと思っているとしたら大間違いです。
少なくとも僕は一度たりとも昇格したいとか、もっと給料が欲しいと思った事は無い。
これまでの昇格の時も最低でも一回、多い時は3回断って、
その上で『受けて欲しい』と言われて昇格しているのです。」
怪訝な表情でグラスを傾ける上司に僕は続けた。
「違うんです。
評価して貰える事も、昇格する事も嬉しくないわけじゃないんです。
ただ、僕はいい仕事がしたいだけで、そのためには現場が一番なんです。
現場から離れるくらいなら『昇格は望まない』だけなんです。」
たぶん、僕の説明は彼の予想の範疇にあったのだろう。
「分かるよ、誰だってそうだ。だけど、俺たちはサラリーマンじゃないか」
「いや、分かっていますよ。その部分は。
だから、最終的に会社のために○○してくれ、という辞令には
従ってきたのです。今回もそういう意味であれば
喜んでお受けしますよ。
だけど、僕が昇格を望んで頑張ってる、みたいに考えるのは
かなり間違っていると思います。」
このやり取りをしたことを、最近になって後悔している自分が居る。
こうして、昇格して九州に行ったものの
明らかに大阪と比べても不備が多く環境的には数段落ちる状況下で
かなり厳しいノルマを課せられる状態になったからである。
但し、現場にはこれ以上ないくらい優秀な社員が揃っており、
人間的には些か問題はあるものの、成績は順調に上がって行った。
ただ、不備が多いポジションで売り上げが良かったのは
誰も整えない不備を色んな人の手を借りて補ったからであり、
現場たちの頑張りだけでは成し得なかった事である。
無論、苦境と呼んでも差し支えない人材不足の中で
成績が維持できたのは足りない部分を僕や他の管理職が埋めたからである。
ただ、それを彼らに恩着せがましく言わなかったし、
すぐ下の管理職の男には言っておいたが
「自分たちの努力、がいつまでも通用すると思ったらいつか危機に陥る」
という事実だけは伝えておいた。
間もなく、九州に着任して1年になろうかという時、
隣の部署に居た男の身を預かって欲しいという依頼が舞い込んできた。
東京のセクションの九州駐在という名目で1名、60過ぎの男が
プラプラと曖昧な仕事をしていたのだが、そのセクションを
九州の部署に統合したいという話である。
「そのセクションについて、僕は何も知らない。
適任者は他にも居る筈。東京の所属長から何の引継ぎも無い」
と文句は言ったが、
「追々理解してくれれば良い」
と担当役員は言い捨てて去って行った。
確かに他の事業所の僕のセクションと、そのもう一つのセクションは
殆ど統合されていて、一つのグループを形成していたが
束ねるのは僕より2級も上の上級職で、
僕みたいに現場作業もするような「なんちゃって管理職」が束ねるわけにいかない。
それに
その60過ぎのポンコツ男は、元々は僕のセクションの部長を務めていた男である。
「私に任しておいてくれれば大丈夫」
と本人が言うのを
(いいや、アンタでは無理です)とは言える環境では無かった。
とは言え、
「このまま(後任を入れないまま)では破綻しますよ」
と幾度となく本人には指摘していた。
それが程なく現実のものとなった。
彼が部下になって数か月後、彼は持病が再発して
出社できない状況になった。
正確に言うと、持病の再発がショックで
押さえていたアル中が爆発して、酒無しでは働けない状態になった。
元のセクションの人間には、厳しいノルマが課せられているので
このアル中の仕事を振るわけには行かなかった。
僕は九州事業所の大ボスである「局長」に申し入れた。
「僕はこのまま、ここに骨を埋めろと言われれば
それはそれでも構わないが、家賃は会社に持ってもらいたい。
会社が僕にその家賃を払えないと言うのなら、最大4年しか居られない」
普段は冗談めいた言い方しかしない僕が、突然言い出すのだから
局長も面食らっていた。
「いったい、何の話だ」
「(アル中の)あの人の代役を僕が務める事には異論はありません」
「それは助かっている。感謝している」
「だけど、特殊性の高い作業が多いこの仕事を誰かに引き継がねばなりません」
「それはそうだな」
「しかし、現在の水準のノルマが引き下げられないのだとしたら
どちらも破綻しますよ」
「言っている意味は分かるが、それとお前の家賃がどう関係する」
局長は事の次第が分かっていない。
既に九州に赴任して1年半が経過していたのだが、
アル中の持病とはガンであり、余命宣告されているものだった。
在職中に死亡する懸念もある水準であり職場復帰の期待は薄い、と
診断される事により、入院または通院のための休職状態が長期化する事は
明々白々であった。
元々彼がしていた仕事を誰かに引き継ぐ必要があったのである。
それを僕が一時的にとは引き受けたものの、それを受け渡す相手が居ないのである。
解決方法は2つ。
この仕事を持ったまま、大阪の当該セクションに僕が異動すると同時に
この仕事の所管を大阪に移す。
或いは僕が九州に残っていられる期間が1年以上ある状態で
彼の後任となる現場社員を配属させる。
「しかしな。これ以上、社員は配属させられんのだ。」
まるで他人事のように言い放つ局長。
「僕が残るという選択肢もありますが、
その時は家賃は払ってもらう交渉をして下さい」
「お前は大袈裟だ。」
「違うんです。この問題は上司である貴方か、
副局長のあの人が引き取るしかないんです」
実は、この両者とも頭の回転は速い癖に
機械には滅法弱く、やや旧式の人間である。
これを補っている中年の平社員連中からは怨嗟の声が飛び交っていた。
僕はそれを何とか支える立場であったから、尚更危機感を高めていたのである。
「ズバリ、貴方方にはこの仕事は引き取れないと思うのです」
「1年以内に補充人員をお願いしたい」
「僕は言いましたよ。それ以外に解決法はありません」
「或いは、現在の仕事を廃止するか」
割と強めに提言して、僕は以来口をつぐんだ。
それから殆ど休みなく、2つのセクションの仕事をこなして1年。
ボロボロにはならなかったが、ちょうどコロナ騒ぎが始まり
仕事は劇的に停滞した。
正確には停滞したが急激な業務のオンライン化の作業で
てんてこ舞いになった。
何しろ部下は「それを整えるのが上司の仕事」と言って何もしない。
というより、苦境になっても売り上げを作る事は彼らの仕事であり
そこは充分に頑張っていたので、何かが足りないというわけでは無い。
それまでも不満たらたらだった部下たちだが、
流石に2つの部署を急に面倒見なければならない
僕が前よりも至らない事に対しては大人しくしている。
ただ、元々至らなかった事に対しての不満をぶつけることが出来ないせいか
苛立ちが充満しているのも事実だった。
コロナ禍が始まった春、僕はそれまで患っていた副鼻腔炎が悪化して
咳が止まらなくなった。正しくは逆流性食道炎を発症して
声が出にくくなっていた。
副鼻腔炎からの片頭痛と、逆流性食道炎による喉の不調のダブルパンチは
不眠を呼び、毎日睡眠不足になっていた。
体力的にはかなり厳しい状態だったが仕事だけは何とか。
補充人員のリミットはまだ来ていなかったが
新規採用の人が春以外の時期に急に入る筈もなく
危機感を募らせていた夏、僕は大阪に戻るように人事が出た。
「但し、ライン管理職ではなく、前のセクションに戻る」
余命宣告を受けていたアル中男はまだ自宅で治療中だったが
コロナ禍の中で重篤な既往症を抱える状態では出勤は望めない。
従って、僕に代わってアル中の男のものだった仕事をする人間は居ない。
「後任も居ないのに、どうするんです」
「引き継いでもらう」
局長の言い分は以下の通りである。
僕よりも優秀な後任の管理職「部長」なら出来るのではないか。
「部長」にも出来ない場合は大阪の当該セクションに移管したら良い。
その下交渉は大阪の「局長」とも済ませてある。
僕の処遇はその当該セクションではなく元のセクションにしたのは「配慮」だ。
僕は全てを「的外れ」だと唾棄するように否定した上で
引き継ぎ日程を提示した。
1週間後、一月後からやってもらいたい内容をまとめて会議しようと。
その結果、僕の仕事を「部長」が
引き継ぐことは不可能である事が判明した。
「局長」と「副局長」にも手に余る事も。
即時、出来る範囲の仕事を彼らに引き受けてもらうと同時に
大阪の当該セクションに引き継いでもらう交渉を開始した。
全国規模の事業を九州だけ「ギブアップ」するわけに行かないからである。
大阪の当該部署もこれをしぶしぶ承諾し、事業移管の計画は軟着陸の方向になった。
事実上の降格処分と同じ待遇で大阪に帰還した僕だが
ほぼ毎日九州時代の業務の手当てで電話が鳴り続ける。
元居た部署で新しく振り当てられた仕事は昼寝していても出来る内容である。
何故なら、僕こそが
その部での在籍が最も長くその仕事を良く知る人間だからである。
元々、そこのライン幹部だったのだから。
毎日、定時出社定時退社しても暇を持て余すばかりである。
「後進の指導。。。と言ってもねぇ」
若手は一人も居ない。配属予定のアルバイトは春から社員登用らしい。
ある日、大阪の「局長」を呼び出してぶっちゃけた話をする事にした。
「不満、になんか受け止めてませんよ」
「お前、先読みして話を始めるなよ」
僕を九州に送り出した張本人だから、
僕が何を言うか分かっていると思ったのだが、制止されてしまった。
僕は停滞していたプロジェクト3つを後輩のライン幹部の手助けとして
実現した自負があるので、堂々と主張する積りだった。
「このまま、このポジションで頑張ってくれ、というのなら
その積りで社業に貢献すべく頑張りますよ。ただ…」
「ただ?」
「いえ、元居た部署に戻して下さったのはどういう配慮か分かりませんが、
ろくに引き継ぎも無しでも務まりますから、楽で助かってますよ。
それに、割に合わない管理職特有の面倒くさい業務から解放されて、
せいせいしています。
しかし、隣の部署に僕は九州の業務を引き継いだのです。
そのまま、あの部に入れれば良かったじゃないですか。
まさかとは思いますが、『あの部』に近々異動なんて無いでしょうね?」
局長は絶句した。
「俺がこれから言う事は独り言だ」
「はい」
「さっきお前が示唆したようなことを俺は考えている」
「やっぱり」
「お前は賢いのか、生意気なのか、先にそれを言ってしまったから、
俺はハイともイイエとも言えないのだけれども、
俺はお前のその後もちゃんと考えているから。」
「いえ、僕はこれ以上属人的な仕事を増やして良いのかどうかを尋ねたかっただけですから」
「その言い方、ダメだぞ」
僕は九州の「局長」にも同じように言ったが、意に介した感じではなかった。
もし、何か仕事で瑕疵が起きるようなら「あなたの(人事の)せいだ」と
ほぼ言ったのと同様だったのだが、大阪の「局長」にも響いていなかった。
春になり、果たして僕は隣の部署の「部長」として
またライン幹部に就任した。悪い予測は当たるものである。
業務のイロハから先輩だが部下の男に頭を下げて教えてもらう日々が始まった。
まぁ、休みも無くなるし勝手も分からないが、
コロナ禍特有の必要以上の忙しさと収益効率の低下は覚悟のうえである。
これが去年の話である。
そして、僕は成年性の喘息を発症し、日増しに体調が悪化していくのだが
それはまた別の機会に述べるとしよう。
今のセクションの仕事は計画して準備して、当日が近づいた時に
コロナが来ると全部中止するなど「ちゃぶ台をひっくり返す」ようなことをして
関係者から罵られて、その電話対応などをしたりしなかったりする部署である。
つづく
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