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2022年04月24日16:42

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ツツジ御開帳

疲労が蓄積していた上に、出張も重なって
(どっちが先や)
日記の更新が滞ってしまっていた。
人間忙しいと考える余裕もなくなるのね、と実感しながらの
このひと月ほどであった。

警戒はしていたが、部下に「感染者」が出たので
部下の仕事と自分の仕事でアップアップしていたのだが
うちの部員は殆どが使い物にならないのでそれに苦労したと言って良い。
優秀ではないとは言っていないが、こういう事態の時に実に頼りにならないのである。

今まで使っていたWebサイトを更新するので、
マニュアルをもらって配布したのだが
見事に使いこなせない。僕ともう一名だけがどうにか運用しているが
そういうのは部下の方が出来る前提で導入するんじゃないのか
百歩譲って、僕が教わってから、部下に教えるでも構わないのだが
僕は一度だけしか教わらないので、
それを部下にそれぞれ教え込む工程になるのだが
一度教えても全く理解していない。それで何回も始動する羽目になる。
提出する書類は不備だらけで遂に僕は役員会で口頭で補足説明する羽目になった。

出張中のゴルフ場で視察ラウンド中に背広に着替えて
オンラインで役員会に顔を出すのである。
ゴルフ場の支配人にはその時間帯に休憩を入れてもらい
その合間に済ませるのである。

ゴルフ場にはツツジが咲き乱れ
天気も良く最高のコンディションだったが
今一つ気分が晴れないのだ。

しかし「つつじ」の季節になると
武田信玄を思い出すのだが
それは甲府にある信玄の居城が
別名を「躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)」というからである。

ところで時代劇などに登場する信玄は配下の武将に
「おやかたさま」と呼ばれる事が殆どである。
幼かった時の僕はこれを「親方様」だと思い込んでいたのだが
室町時代に「屋形」号を名乗る制度が誕生し、
名門守護大名などに与えられた「呼び名」なのである。
だから、源氏出身の名門武田家の当主である武田信玄は
「お屋形様」と呼ばれていたのだと、父親に教えてもらった。

そこで引っかかったのが「館」はどこへ行ったのか?という点であった。
のちに「館」に住む人を「お屋形様」と呼んだのだろう、と
勝手に推測したのだが、本当は違う気がしたのである。
殆どの「お屋形様」は「館」に住んでいないからである。
甲府の城は元々政庁として機能していた館が「城」として機能する、
中世時代からの伝統的な「平城」に
山側に戦時対応するための山城が増築されたいわばハイブリッド城であり
言い換えれば「古城」を増築した城なのである。
その時代から続く名門はそうは多くなく、武田家はその超名門だったのである。

因みに家督を簒奪した形ではあるが、越後の長尾景虎も
後に名門上杉家の嫡流となって名門の仲間入りをするが、
上杉家はもっとレアで名門の「公方様」である。

信玄は名門故に将軍家である足利家を盛り立てながら
覇権を握ろうと目論んでいたが南の今川、東の北条といった
有力大名と結んでから西の織田家を平らげようとしたのが
タイミング的には遅かったのかも知れない。
あまりにも上杉家との戦いで時間を費やしすぎてしまったのである。

余談だが、武田信玄が何故、利益の薄い「川中島の戦い」に
エネルギーを投じたか、というと
現在の長野市にある善光寺を失う事を許せなかったからだと言われている。
現に、信玄は甲斐善光寺を建立し、本尊を一時的に避難させるなど
献身的に善光寺を戦火から守っている。

その善光寺の御本尊の拝仏用レプリカである前立本尊の御開帳は
7年に一度しかないのだが、去年はコロナで延期され、
今年「御開帳」である。

ゴルフ場でツツジを眺めながら武田信玄の事を考えるのは
些か集中力を欠いた頂けない行為ではあるが
ちゃんとOBしたら「フォアー」と叫ぶことは忘れない。

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