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2020年02月12日03:09

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巨人。もとい偉人逝く

先だって、シダックス野球部の集まりの様子が
報道陣に公開されてノムさんの近影を拝むことか出来た
少し前にバラエティ番組で居酒屋にノムさんを呼んで
かつての「お礼」を述べたいというコーナーで見て以来だから
最近の彼が衰えが激しいことは知っていたが
病気を患って以降の王貞治や長嶋茂雄と比較しても
耄碌ぶりというか老けっぷりが尋常ではなく
もはや杖や車椅子なしでは生活もままならぬという姿に
少し心配していたばかりである

しかしノムさんが「カントク」としてしか
若い人に知られていないのは仕方のないことであるが
極めて残念である
「三冠王」というのは王貞治の代名詞でもあったが
実は野村克也が戦後初の「三冠王」を先に達成しており
先駆者だったのである。
確かに所属の南海もパ・リーグで、
人気球団の巨人とは違うし、達成も一度きりの事だったが
その価値は計り知れない。
その野村は通算の打席・打数部門では捕手であるにもかかわらず
NPB歴代トップの成績である。
試合数は僅かに谷繁に最近抜かれたが、
打席・打数では1500以上引き離しており
即ちそれは常にフル出場していて
打線の上位に君臨していたことを意味する
だって1試合5打数だとして300試合分であるから
その差はキャリアハイ時の数年分の総打席に値するのである。

そんなノムさんが周囲から敬意をもって見られるようになったのは
TBSからテレビ朝日に解説を鞍替えした時に
画面に登場させた「野村スコープ」の時からではなかっただろうか
それまでも野球は人気スポーツであったが関西人の僕でさえ
南海の主催試合をテレビで拝める機会なんて殆どなかったので
野村の凄さをテレビでとはいえ生で見る機会はなかった
関西テレビは阪急東宝グループで阪急の試合ばかり。
読売テレビは巨人ばかりなのでセリーグの試合ばかり
残るは朝日放送と毎日放送だけが頼りだったが
毎日放送はたまに気まぐれに西武の試合をやってくれたりもしたが
この2局は阪神に傾注していてローカルのサンテレビ・テレビ京都と並んで
阪神の試合ばかりやるのである
公平に色んな球団の主催試合をやってくれるのがNHKだけだったが
相撲の時期やその他のスポーツの季節になると
野球がお座なりになるので
本当にノムさんの凄さを知る機会はなかったのである

ところが「野村スコープ」で投手の配球を読む彼は
キレキレに冴えていて、一瞬で彼に対して敬意を抱かずにはいられなかった
「このキャッチャーは性格からするとこうこうするけれど」
「このアウトカウントでこのボールカウントだと」
「このコースに投げるとこう、このコースに投げるとこう」
「でもこのバッターは賢いから、ここには手を出さない」
「このバッターなら手を出して内野ゴロ」
こういう解説をテレビで最初にやったのはノムさんが最初だったと思う

彼の一番の教え子の古田敦也がまさにそれを地で行く解説をする
いつだったかWBCか五輪だったかの日本代表の試合を
古田が解説していた時にあった出来事だが。。。
投手は岩隈で捕手は城島だった。
三塁手の誰だったか村田だったかな
「あー、三塁線を開けすぎですね」
「ここでは三塁線が抜かれるとヤバいから、(右打者の)外を攻めるでしょう」
「そうするとカットされるでしょう」
「内角を待たれているので、そういう時は三塁線を締めなければ」
「あー、城島君は指示できていないですね」
「(シュートピッチャーなので)岩隈君の配球も内を使う時は。。。」
と
起きてもいない出来事を延々と想定しながら
当時、乗りに乗っていた城島捕手のダメ出しをしていたのである
恐らく城島ファンが聞いたら古田を嫌いになる、そのくらいの
感じの悪い出来事であった
だが、カウントが深まったその時
ついに岩隈はその試合あまり投げていなかったシュートを
その右打者の内角に投げ込んだのである
鈍い打球音とともに三塁線を破るツーベースを打たれ
岩隈はうなだれていた
三塁手は早いゴロの打球にグラブが及ばず
呆然と外野を見守っている
不幸にも古田の指摘は的中したが彼は「ほらね」とまでは言わない
実況は「言ったとおりに」とも言わない
言えないくらいにズバリの出来事が起きてしまったのである。

僕は、野村的なことをしている古田に
完全に野村の野球が乗り移っているのだなと
その時に感じたのである
以降、古田を見ても僕は彼の中に居る野村が見える

野村が監督として名を馳せたのはまるでヤクルト時代以降のように
思われているかもしれないが
彼は南海時代の最終盤にはプレイングマネジャーとして
辣腕を振るっていた
最近だと、古田と谷繁がやっていた事が記憶に新しいところだが
偶然というかなるべくしてというか
いずれも捕手である。
野村はその実力と影響力で南海を支配し
「大親分」として慕われていた鶴岡一人の後釜に座ると
鶴岡派の選手を次々と排除し、「やりたいよう」にやり始める
結果としてリーグ優勝を達成したり
当時のプロ野球に無かった新しいシステムの導入など
(リリーフエースという概念も彼が導入した)
色々と改革を実現したが
野村沙知代という「希代の悪女」が登場して事態は一変する

ノムさんにとっては彼女は天女だったかもしれない。
それに前妻との別離の後、彼を支えたのは間違いなく沙知代であり
彼としての選択は間違っていたかどうかを外野がとやかく言う問題ではない
だが、球団やチームは彼の所有物ではなかったので
そこに立ち入る身柄不明の女の存在は
選手もマスコミも許せなかったのである
当時は伊東芳枝となのるホステスであった
チームの采配やコーチの用兵にまで口を出す愛人の存在を許したノムさんは
最終的には南海から「追放」される

今でも南海の後援会からOB会からはノムさんは爪弾きにされている
現にかつての本拠地・大阪球場があった跡地に立つ
なんばパークスという商業施設内にある南海ホークスの展示コーナーに
ノムさんに関するものは一切ない(僕が訪れたときはそうだった)
野村は愛人との関係を尊重し、南海を足蹴にして去った男なのである

もちろん、その後ヤクルトの監督、阪神の監督、楽天の監督などで
監督業で活躍したことは知られているのだろうが
南海を去って以降のロッテや西武時代のみじめな時期を
多くの人は語ろうとしない
存在価値はあったのだろうが、主戦捕手ではなくなったのであるから
選手晩年としては十分の扱いではあったと推測するが
余りにも功績が偉大であるが故に周りの受け止め方は微妙になってしまうのである
とはいえ
選手として、解説者として、指導者として
それぞれの時代を作り評価され称賛されるというのは
他に類を見ない偉人であったというしかないだろうね

でも、僕は野村沙知代が吐き気を催すほど嫌いなので
最後までノムさんを受け入れられなかったけどなぁ

■野村克也さん死去 生涯捕手貫いたノムさん最後のボヤキ
(AERA dot. - 02月11日 10:25)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=173&from=diary&id=5969004
 野球解説者の野村克也さんが11日、死去したことがわかった。84歳だった。

 現役時代は南海ホークス、 ロッテオリオンズ、西武ライオンズなどで捕手を務め、1957年に本塁打王、65年に戦後初の3冠王を獲得した。80年に引退後はヤクルト、阪神、楽天などの監督を歴任し、優勝4回、日本一に3回、数々の名選手を育てあげた。

 昨年11月、AERA.dotの取材(野村克也氏がボヤく深刻な捕手不足「みんなかっこいいポジションをやりたがる」)で、捕手の魅力についてこう説いた。

「捕手は第二監督なんだよ。守備についたら一球ごとにサインを出して、野球というドラマの脚本を書いているんだ。巨人V9のときの森祇晶とか、西武黄金時代の伊東勤とか、南海のオレとか。そういう名捕手は出ないもんかね」
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