≪年表13≫
1368年 元代末、紅巾党から出た朱元璋が南京で即位し「明」朝を興す
1368年 「明」が北伐を行い、「元」朝は北走しモンゴルに撤退、以降は「北元」として区別する
1421年 首都を南京から北京に移す
1449年 英宗がオイラートに親征するも逆に捕らえられる
1450年 無条件で解放された英宗が明に帰還
1500年〜 倭寇が密貿易商人らと沿岸部を荒らす(後期倭寇)
1572年 万暦帝即位。「明」は好景気に
1592年〜 「秀吉の唐入り」教科書では「文禄・慶長の役」と習う朝鮮侵攻
1593年
〜1610年 女真族のヌルハチがモンゴル族を統一し「後金」を建国
1616年 ヌルハチが明に向けて挙兵する
1626年 ヌルハチ死去、後をホンタイジが継ぐ
1644年 李自成の乱が起き、明が滅亡する
直ぐ様、李自成を後金の順治帝が討ち、北京に乗り込む
首都を北京に置き、国号も「清」と改める
1661年 第4代の康熙帝が即位する。
「清」朝が中華帝国の要件を満たすのは康熙帝の時代。
●中国のイメージ
本稿の冒頭から、「中国」といっても
人によって抱くイメージや概念が区々なのではないか?
と指摘した上で書き始めているのだが、
僕自身が言う「中国」の原型は「宋(北宋)」の時代の中国であり、
また目にする具体的な中国の原型は「清」の時代だと認識している。
例えば、中国人の頭髪で「辮髪」というスタイルがあるのだが、
これは実は「満洲人」の風習で漢人はこれを強いられた経緯を持つ。
女性の三つ編みお下げ髪(両把頭、りゃんぱーとう)や
旗袍(チーパオ、いわゆるチャイナドレス)も、
実は満州族の文化風習に基づくものである。
逆に「纏足(てんそく)」は、唐代に始まる漢民族サイドの文化で、
女真族にはない風習だったため、清代には再三“禁止令”が出されたという。
食べ物に関しては逆に文化融合が進む結果となり、
近現代の中華料理のフルコースを意味する「満漢全席」というのは、
文字通り満洲料理と漢人料理の全てを網羅した料理である。
だが、何日もかけて食べる何百皿もの山海の珍味を集め贅を極めたその料理の
正式なレシピは現代に残されておらず、
西太后らが楽しんだという「本当の満漢全席」は不明なのだという。余談でした。
軍事的には、少なくともチンギス・ハンの時世では
「世界最強」だったモンゴル騎馬軍団だが、
緩やかに発展していた火兵器に爆裂型の「砲」が用いられるようになると、
音に弱い馬を使った戦術はやや後退する。
結果的には遊牧民族系の女真が中国を制覇するのだが
明代以降は「騎馬+鉄砲」の騎兵が登場し、
より高い戦力の部隊が活躍するが
その維持は軽騎兵時代よりも苦労することになる。
特に攻城戦となると弩兵や砲兵の方が強くなるので
戦い方にも変容が訪れることになる。
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