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2018年06月05日18:04

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中国王朝史28 末子相続

中華王朝史をつらつらと書いてきたのだが
「元」朝は正確にはモンゴル王朝である。
現在のモンゴルに相当する国であることは周知の事実である。
従って、歴史を取り扱うに当たってその存在は、
極めて異常であり特殊である。
政治体制一つとっても、
その他の異民族王朝は殆ど「中国風」に同化したのに対して
「元」朝はその呼び名は中国風に改めても
中身はモンゴルのそれを維持したからである。

●末子相続
先にボルジギン家の系図を示しておく

●チンギスハン
↓                 
長男 ジョチ   
次男 チャガタイ 
三男 オゴタイ(二代皇帝)
四男 トゥルイ

(ジョチ)
↓
バトゥ
シバン
トゥカテムル

(チャガタイ)
↓
色々

(オゴタイ)
↓
グユク(三代皇帝)
カシン

(トゥルイ)
↓
長男 モンケ(四代皇帝)
三男 クビライ(五代皇帝)
五男 フレグ(イル・ハン朝の皇帝)
六男 アリクブカ(五代皇帝)

 モンゴルの相続は「末子相続」である。
これは子供が育って一人前になると
次々と分け前を渡して独立させていき、
最後に残った子供が親からのものを受け継ぐという仕組みである。
これだと、多分に家父長の意向が明確に相続されるので
相続争いが起きにくい仕組みの一つだと言われている。

 しかも「末子」とは言っているが、
幼すぎたり、「コイツにしてはいけない」と思ったら
継がせなければ良いだけであり、
必ずしも末弟が相続するわけではない。
親元から独立する直前の子供、
或いは最後まで親の面倒を看たものが相続する流れというだけであり、
日本の家庭でもしばしばみられるケースである。

マンガ「北斗の拳」では、
「一子相伝」の掟に従いで末弟のケンシロウが北斗神拳の継承者となったが、
これに不満を感じた兄たちが反発し継承者争いが起きた。
これは「長子相続」の伝統の中で末弟に相続させたからであり、
長兄ではなく優秀な弟に相続をさせようとした時にトラブルが発生するのである。

しかし「末子相続」の場合は、
予め上から兄弟順に財産分与が為されている上で
末子に後継ぎさせるのである。
そうなると兄王たちに不満がある場合は、
弟皇帝に従わず独立したりする場合も出て来るが、
基本的には先に独立しているわけであり、
親族関係で連帯する領邦が横に広がり「覇を争う相手」にまではなりにくい。


その理屈で言えば、
本来ならチンギス・ハンの後継者は三男のオゴタイではなく
四男のトゥルイが相続すべき、となるはずであった。
事実、チンギス・ハンはボルジギン家では長兄であり、
その末弟・テムゲ=オッチギンはチンギス・ハンの死後に
帝位を伺うような動きをしている。

しかし、武勇に優れ人望も厚かったというトゥルイ自身は、
生前のチンギス・ハンの意志に沿って帝位には就かず、
チンギス・ハンの軍団をそのまま受け継いだ上で
最高意思決定機関「クリルタイ」を司る最高貴族として君臨し、
二代皇帝になる第三兄のオゴタイを援けた。
これも「末子相続」の文化の中で、
家父長の意志が明確な状態で相続が為されるメリットであろう

但し、トゥルイの子は
それぞれ四代皇帝のモンケ・ハーン、
五代皇帝のフビライ・ハーンとなるなど、
遡っての「末子相続」という「トラブルの一因」になりかねない結果となっている。
フビライは正当なクリルタイで選出された弟・アリクブカを追い落とし「アリクブカの乱」
五代皇帝の座を奪っている。

僕はフビライは相当に悪どい印象しかもっていない(笑)
フビライは日本にも1274年、1281年と侵略を試みた事は
「元寇」として我々の国の歴史にも刻まれている。

 チンギス・ハンの長子であるジョチは父に先んじて病没したが、
ジョチの次男・バトゥは
モンゴル帝国内で大きな力(ジョチ・ウルスを継承した)を持ち、
オゴタイ家と折が悪かったこともあり、
後に独立国のキプチャク・ハン国を作った。
これも「アリクブカの乱」の際に
フビライではなくアリクブカを支持していたからだ。
同様に、ジョチの五男・シバンがウズベク・ハン国、
十三男・トゥカテムルがカザン・ハン国、キエフ・ハン国などを作った。

こんな具合にどんどんと相続する度に
分家が分国を作って大帝国は分割統治されていくのである。
これは末子相続のデメリットかも知れない。

 第二代オゴタイ以降は、
オゴタイ家の子・グユクが三代皇帝となり、
四代はグユクの子が。。。となるべきところだが、
発言権の強かったジョチの子・バトゥが開催したクリルタイにより、
チンギス・ハンの末子トゥルイの長子・モンケ・ハーンが皇帝位を継承する事となった。
このモンケの在位期間は短く、暗殺説もある。

モンケ・ハーンの後継者は、
クリルタイでは末子「アリクブカ」で一致していたのだが、
モンケ・ハーンと対立していたフビライも別のクリルタイを開催し
自ら皇帝を称し、アリクブカと帝位を争う事になった。(アリクブカの乱、1260〜64年)
従ってモンゴル皇帝位は、第五代は当初はアリクブカであったが、
フビライがこの争いに勝利し「こっちが正統だ」と名乗り直したのである。
この時、アリクブカを支持していたオゴタイ家、チャガタイ家は
それぞれ大ハーン=モンゴル皇帝の勢力下から離れて独立。
またフビライは自分の勢力の中心を中国に置いていたため、
「大元」なんて名前の中華風国号を名乗る王朝を建国する事になったのである。



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