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2018年06月04日13:56

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中国王朝史27 元朝秘史

モンゴル帝国、という響きにロマンを感じる人も多いだろう。
井上靖の「蒼き狼」や
コーエーのPCゲーム「蒼き狼と白き牝鹿」など
これを扱った作品も多くある。
僕はこのゲームで源頼朝で世界統一を目指したが
頻繁に後宮で子作りしておかないと
代替わりした時に
属国を委任していた部将や
国を継げなかった兄弟が絶対に反乱を起こすので
国王とその子弟のみで統治していくのが大変だった。
そう、義経が途中で暴れる設定なのである(笑)

さて、本題に移ろう。

★モンゴル軍団の強さ

モンゴル騎士団の強みは、
贅沢な事に騎兵一人に対して何頭もの馬を連れて移動し、
闘うたびに乗り換えるなど、潤沢な騎馬を保有し、
高い機動力と戦闘力を維持して闘っていた事にあるようだ。

そして「国」の概念も違うようだ。
モンゴル帝国は「ウルス」と呼ばれる領民団(国家)に分かれて統治され、
国土ではなく移動する軍団そのものが国であった。
加えて遊牧民族である「国民」は総じて戦闘力になり、
そのまま兵士団として闘うという、
かつて無い構成で戦争をして
移動ながら統治されていたのである。

従って、彼らの収入に関しては
総じて牧畜と掠奪に偏っており、
定住して農耕を行うことは苦手だった点は前項でも指摘した。
ところがチンギス・ハーンは、少し違った。
連戦連勝で戦いに勝つ一方で
ウイグルを始め、ムスリム勢力や契丹を服属させると
農耕地支配に必要な「現地官僚」を登用し、
それまでモンゴルにはなかった農耕収入の充実と税制改革を行い、
安定化を図ったのである。
これが広域統治を可能にした方法だったのである。

1227年、65歳で死去したチンギス・ハーンから
それらを束ねる大可汗(ハーン)の地位を引き継いだ二代皇帝・オゴタイは、
更にその領土を拡大していった。
この時、首都は和林(カラコルム)、
皇位継承を決める「クリルタイ」と呼ばれる最高決議機関を経て
即位した。43歳であった。
ありがちな皇位継承争いはチンギン・ハーンの意思が明確だったため
避けられたようである。

オゴタイは、ルーシ侵攻(1223年、1236年)では、
ドニプロ川沿岸(現在のウクライナ共和国・キエフ近郊)まで攻め入り、
ポーランド侵攻、ハンガリー侵攻などを行い
ヨーロッパ中央部まで軍を進めたが、そこでもモンゴル軍は無敵だった。
現在のポーランド西部にある「レグニツァでの戦い(1241年)」は
またの名を「ワールシュタットの戦い」と言い有名である。
モンゴル軍はヨーロッパの連合軍に対して圧勝し
いよいよウィーン目前まで軍を進めたという。

だが、この時オゴタイが急死(1241年)したため、
モンゴル軍は全軍引き上げてしまい、ウィーンは難を逃れたという。
細かく説明すると長くなってしまうのだが、
その後は第三代グユク・ハン、第四代・モンケ・ハンが統治していったが
いよいよ中華王朝としての要件の一つ、中華統一を果たすのは
南宋を攻略する1279年崖山の戦いとなるわけで
その時は第五代ハーン(皇帝)のフビライの時代になっているのである。


≪年表≫
1205年 西夏遠征(1205年-1226年)
第一次対金戦争(1211年-1215年)
西遼征服(1218年)
ホラズム・シャー朝征服(1219年-1222年)
★チンギス・カーン死去(1227年)
ルーシ侵攻(1223年〜1240年)
ヴォルガ・ブルガール侵攻(1223年)
ヴォルガ・ブルガール侵攻(1229年-1236年)
第二次対金戦争(1230年-1234年)
高麗侵攻(1231年-1273年)
南宋戦争(1235年-1279年)
ルーシ侵攻(1236年-1240年)
ポーランド侵攻(1240年-1241年)
★オゴタイ・ハーン急死(1241年12月)
★グユク・ハーン死去(1248年)
雲南・大理遠征(1253年-1254年)
★モンケ・ハーン死去(1259年)
★フビライ・ハーン即位(1260〜1294年)
樺太侵攻(1264年-1286年)
1271年 国号を「大元」と定め、新首都・大都(現在の北京)を建築開始
元寇(1274年-1281年)
ビルマ侵攻(1277年-1287年)


●「元」の時代
モンゴル帝国が国号を「大元」または「元」朝
と呼ばれる王朝に名乗り換えしたのは、1271年の事である。
この時、皇帝は第五代・フビライで、カラコルム(和林)にあった首都を
大都(現在の北京郊外)に移転し、
いよいよ中国大陸最後の詰めとなっていた「南宋」との戦争を
崖山の戦い(1279年)で下し、正式に中華王朝の定義を満たしたのである。

お気付きかどうかわからないが、
初代をチンギンハンまたはジンギスカンと呼ぶのに対し
第二代・オゴタイ以下はハーンまたはカアン(大可汗)と呼ぶのは
通常の可汗(カン)よりも偉大な功績を残した
チンギスハンに対して、より偉大な呼称を、という意味で
オゴタイが初代に対して贈った呼び名である。
それを継承したオゴタイ以下がハーン(またはカアン)と名乗っているのであり

「元」(正式な国号は大元)の初代皇帝を名乗ったフビライ以下は
中国風の諡で呼ばれたり、モンゴル風の名前で呼ばれたり
ややこしい。因みにそれで行くと゜、フビライは「世祖」と呼ばれるのである。



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