派手な出来事が多い「元」代が
次の中国統一王朝である。
●チンギスハーンの登場
世界史を学ぶとき、絶対に避けられない幾つかの出来事がある。
その中の一つが恐らく領土にして歴史上最大を誇った
「大蒙古帝国」の存在である。
呼び方は色々ある。「モンゴル帝国」「元」「大元ウルス」「蒙古帝国」などなど
色んな分類方法や時期や識別方法に沿って
使い分けられているがどれも同じ王朝の事である。
後に中国王朝としての「元(大元)」と名乗った「モンゴル帝国」であるが、
最大版図を残した時期は、まだ中国の統一王朝ではなかった。
「南宋」が存続していたからだ。
しかし、チンギス・ハンを祖とする「モンゴル帝国」は
東は中国北部から西はロシアやヨーロッパにまで及び
ユーラシア大陸の大半を勢力下においたのである。
因みに「彼」は、モンゴル部を統一した時(1206年)に
チンギス・ハンと名乗り始めたが、若い頃はテムジンと呼ばれていた。
「ハン」とは、モンゴル内陸部の部族における長の称号であり
在命時は「チンギスハン」と呼ばれていたものだが
後にその功績が他に比類ないものであったため、普通の呼称と区別する為に
「大ハーン(大可汗)」(またはカーン)とモンゴル帝国内で敬称したのが
色々な呼び方に繋がっている。
とりわけ世界に進出した二代・オゴタイが名乗り始めたことににより、
世界各国の色んな地域の呼び方の癖と混在して
分かりにくくなっているのだが。。。。
それはさておき
彼、チンギス・ハンの出身は「ボルギジン氏」という一族であり、
因みに現在もその末裔は中国やモンゴルで生活している。
さて、突如現れた世界帝国に「なぜ?」は多くあるだろう。
どうして彼らが短期間に「世界の半分」を征服できたかと言うと、
騎馬軍団で圧倒的な機動力を駆使した、というのが一つある。
過去の戦争に於いては、「騎馬兵」は存在しても、
彼らのような純粋な「騎馬兵団」は存在しなかったからと言われている。
それまでの軍団の主力であり大部分はやはり「歩兵」であり、
そのごく一部の兵士のみが騎馬兵、
というのが世界の主流だったのに対し、
元が遊牧民族である「モンゴル帝国」軍は
大部分の兵士が馬にそのまま乗り、
そこから矢を射る“騎射”に長けた騎兵が多く存在し、
他国の歩兵騎士団を圧倒していたのである。
歩兵騎士団の場合は、そのまま制圧した土地に駐屯し
そこに根付いていくのであるが
騎馬軍団の場合は、多数の牧草地が必要なため
攻める事は可能でも、駐屯する機能が低いため
それまでも幾度となく他国の領土を侵した遊牧民族系国家も
戦力を維持する為に優秀な馬の産地と牧草地から離れられないため
元の土地に帰還していたのである。
また、騎馬隊の性質が違った事も挙げられる。
欧州ではこの騎士と、騎馬に鎧を装備した「重装騎兵」は存在したが、
モンゴル軍の場合は、重く武装はしないが機動力と数に勝る「軽騎兵」を主力とし
後に戦争に火器が重点的に持ち込まれるまでは「世界最強」だったのである。
中華帝国の中でも世界帝国を形成した「唐」代は兵力が高かったと言われるが
有力な馬の産地を領土に保有し、
騎兵団が他の王朝より優秀だったからだと言われている。
その後もモンゴルやイスラム圏は騎兵の供給源として
強力な軍事力の背景となったが、
いずれも広域統治に長けた民族ではなく、
この点が問題である事はモンゴル帝国も例外ではなかった。
続きは後述する。
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