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2017年11月19日20:33

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尊王攘夷的な話

先の日記でも触れた幕末期の話だが
その幕末から明治維新の過程は
歴史好きには堪らないワンシーンである。
特に熱心なファンがいる時期の一つであると認識しているが
これに異論はあるまい。

しかし、一般人にはと言うか
余程のツワモノ以外は正確に把握できて居ない。
色々と方向転換が激しく難しい部分でもあるからだ。
この時期の象徴的な出来事が

タイセーホーカン
ソンノージョーイ
サッチョードーメイ
クロフネライコー
とかであり、
人物や出来事の個別の単位から歴史を遡る事は出来る人は居ると思うが、
歴史の詳細や潮流を語るにはいちいち背景が複雑である一方で、
スーパースターも多数居るのでそこに囚われがちなのも特徴である。

西郷どん=西郷隆盛は、元々は薩摩藩士だったが
活躍する内に藩主の島津久光に左遷されるなど流転の人生を送り、
明治維新を果たした後は新政府に反逆し、
西南戦争を起こしたが敗れ非業の死を遂げるのだ。
ざっくり言えばそうなのだ。
ここに違和感がある。
彼は政治的敗者であるというのに、
彼は歴史上の英雄として扱われているのだ。

何かのテレビ番組で林修が高らかに叫んでいたが、
我々の知る「歴史」とは
そもそも(政治的)闘いの勝者による記録であり、
敗者の歴史はしばしば埋もれ行く存在だ、という傾向がある。
ところが西郷どんは紛れもない新政府への反逆者であり敗者でありながら、
死後に明治天皇から特に名誉回復が計らわれたお陰で
国内に沢山銅像が建てられたり祀られたりしているわけだ。

西南戦争とは
明治天皇を頂点とする「新政府軍」と
西郷隆盛率いる薩摩藩を中心とした九州の残党士族が激突した戦いである。
ここで西郷は政府軍=官軍と戦い敗れ死んだのである。
背景含め詳細は別の機会にするが、明らかな政府に対する反乱であり
政府から見て「賊軍」の将である。

他にも“敗者の礼賛”はしばしば行われるが、
西郷だけではなく幕末の志士は敗者を褒め称える事が多いのだ。
幕末期のややこしい部分が影響しているのだろう。
加えて、判官贔屓という部分も関係しているだろうか

いずれにしても、明治維新は大政奉還という、
武士政権、実質的には征夷大将軍を中心とする幕府政治が終り、
天皇を中心とした新政府が政治を行う新体制に移行する、という
大事件が大きなポイントになっている。

その大政奉還とは、徳川世襲の第十五代将軍・徳川慶喜が
天皇に政権を還した、という事件である。
徳川家の世襲だけでも260年続けられていたので
徳川幕府の終焉というだけでも大事件なのだが、
途中に紆余曲折を経はしたが
鎌倉幕府以来12世紀末から700年弱の間続いた武家政治の終焉、とみると
さらに大事である。

武家政権が続く間、天皇を中心とした“朝廷”は
政務を行う場ではなく儀式を行う場に成り下がっていたわけであるから
それが天皇に戻るのだとしたら大事ではあるのだが
厳密に言うと
征夷大将軍を頂点とした武家による政治体制
すなわち、幕府政治が終わっただけ、なのである。

この時、忘れてはならないのは、
暗殺された疑惑すら持たれている孝明天皇という幕末の天皇の存在である。
間違いなく最重要人物の1人である。

大政奉還は行われたのは1867年の11月だったが、
この孝明天皇が1月に死んだ後、
儀式を経て明治天皇の治世に移る期間の出来事である。
孝明天皇はこの年の1月に“天然痘”“で急死したのである。

だから、この時代のキーワードの一つ「尊皇攘夷」の
「尊皇」とは、
孝明天皇を尊重しない幕府は不敬であり、身勝手な政治を執っている。
だから国が乱れ危機が迫るのだ、という意味で倒幕運動の原点にあるコピーである。

「攘夷」とは
幕府に開国を迫る列強、アメリカ、ロシア、フランス、オランダ、イギリスなど
積極的に植民地政策を進めようとする諸外国を排除しようという考え方で、
本来は「尊皇」とはまったく別の意味である。
しかし、当の孝明天皇がゴリゴリの攘夷論者であったため、
尊皇=攘夷となり「尊皇攘夷」がワンセットになったのである。

ね?孝明天皇って重要人物でしょ
しかし、幕末ロマン的な話にはさっぱり登場しないのである。
ここが苦しいところであるが
天皇はいかんせん偉いから、
語られても表舞台に登場しないのである
誰かが代理で何事もするわけで
ヒーローの要素を欠いているのかもしれない。
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