独り言だし、度量の小さい人間の独り言になるから
アレだけど。
今日が東日本大震災からちょうど6年の日ということで
色々と防災のイベントというか訓練めいたものが
ここかしこに。
僕の勤め先でも「無事の確認」という
厚生労働省が定めたのかなBCP対策の一環としての
取り組みが行われていて
僕のような営業職はお休みの日だが、色々と報告作業が
求められている。
いや、結構なことだし僕も厭わずそこには参加したわけであるが
未曽有の大災害をもたらした都市直下型大地震の阪神大震災があった
1/17に何かやったっけ?
聴いたことない震度の「震度7」を記録した
昨年の熊本大地震の4/14にそういう大規模な防災訓練とかやるだろうか
結局は首都圏の人間が首都圏における問題を
首都圏の感覚で是非を求めて地方における大規模災害に対しての云々
今回でいえば当該地区の福島であったり東北地区の問題と首都圏の
セットで位しか考えていないのがありありと感じられて
大事なことだが不快感でいっぱいだ。
言い方は悪いが、関西人も「阪神淡路大震災」は一昔前の出来事、くらいに
忘れ去ろうとしている。いや、あったことは覚えていたり知っていても
東日本大震災や熊本地震の方が「知ってる事」の上位になりつつあるのだ。
東日本大震災のあった日、僕は名古屋で勤務していて
会社の事務所で来客の応対をしていた。
お客は富山から来ていて、当日はそのあと大阪に移動する予定だった。
「お話は分かりましたから、富山に戻るか今すぐ大阪に移動するか判断してください」
とお客を送り出したあと、連絡のつかない東京や大阪の職場に連絡を取ろうとして忙殺されたことを覚えている。
名古屋の事務所のビルも長時間大きく揺れたが
震源が関東方面で揺れ方が尋常でないことから「大地震」で
その後、様々な仕事の上での支障が出ることは予測されたので
近在の得意先に翌日以降の営業予定などの確認もした。
その場で、自分が出来る事をするのが
BCP対策の第何段階なのかは知らないが
生存確認等々はその時そのタイミングに出来る事じゃない。
日々、上司が部下を部下が上司と非常時に有効な連絡を
とり続ける事だろうと思うのだ。
それは、実家が阪神地区に今もあり、
当時京都に下宿していて被災した阪神淡路大震災の時に
色々と学んだことであって
首都圏が麻痺しつつあるときに、地方都市が「すべきこと」とは
全く違うのである。
何が腹立たしいかと言えば、
地方都市が未曾有の大震災の時に、他の地方都市や首都圏の人間が
すべきことや出来る事について
本当に直視しているかどうかが甚だ怪しい時に
3.11を何かの目印にしている事である。
分かっている人は分かっているだろうが
3/11は地震があった日であると同時に
津波の災害があり
原発事故があった日なのである。
地震というより津波、原発である。
熊本や阪神淡路とならび
被災人口は少ないものの甚大な被害を出したのが
新潟中越地震である。
この地震からももう12年あまり経過しているはずだ。
秋口だったと思う。首都圏でもかなり色んな影響があったはずだが
どうだろうか
この日を何か防災のメルクマールに定めた活動をしているだろうか
今となっては全く「他人事」だろう?
この春に東京に戻る異動が予定されている僕の上司も
3年ほどの大阪勤務を経て東京に戻るわけだが
阪神淡路大震災については
「大変だったことは覚えている」程度の認識しかない。
少なくとも大阪や神戸の町は3年ほどは震災の爪痕を目にしないで
生活することなど出来なかった。
ブルーテントが張られた屋根が電車の車窓から見えた。
電気もガスも「まだや」という場所がいつまでも残っていた。
止まったままの時計や「あの日」のままのガラクタやごみは放置されていて。
当時抱いた、「首都圏の人は他人事にしか思っていない」という不信感は
今も拭えないし、東日本大震災を通じてその思いはさらに強くなった。
いや、良いのだ。
僕が言いたいのは、身の回りの事で出来ることをすることと
「あっちの時は、こっちはこう、こっちの事はあっちはこう」
というバランス感覚というか広い目というか
そういうのを養っていかないといけないんじゃないか
会社の仕事ではあるが
毎年僕が手掛けるイベントが幾つかある。
毎年、収支が怪しくて(笑)赤字だったり黒字だったりである。
それらには直近の大震災に対する
災害支援金を集めるチャリティコーナーを設けている
初年度は多い時は100万円を超える義捐金が集まるが
1年を超え、もっと時間が経過すると金額は激減していく。
お金の多寡じゃなくて、
「誰にもそういうことがある」意識づけの為にやっているのだが
その東京から来た上司がチャリティ売り上げの一部を
その赤字イベントの運営費の一部に回せないか、と
言い出した時に
「人間て、浅ましい。
首都圏の人間の地方から地方への義捐金を見る感覚って
のど元過ぎれば何とやら」
と感じて悲しくなった。
因みに、僕はその上司を今も尊敬していて
人間的にも出来た人物だと思っているのだけれども
完璧な人間だとは思っていないし
起きた出来事は自然に感じたことの一つだと思って悪くは考えていない
「人間って、その程度の生き物」
と感じたことに対して悲しく感じているのである。
もちろん、首都圏に対する敵対心というよりは
「3.11のインパクトがもたらす(首都圏の人への)影響」
としては今日の出来事も悪くは受け止めていない。
本気で、誰かが誰かを助けようという事なんて
欲深い人や競争の中に居る人に求めてはいけないのかな。。。
だとしたら僕たちは何を目指して生きていけばよいのかな
と考えるばかり。
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