mixiユーザー(id:6231411)

2016年10月14日22:42

388 view

電通の臨検に思う

電通の新入社員が過重労働が原因で鬱病を発症し、自殺した事件で俄に周囲が騒がしい。
本日は漸く厚生労働省も動きだし、異例の臨検を行った。
いわゆる「抜き打ち検査」である。

末端マスコミの末端部署の末端中間管理職の立場、
即ちマスコミの“正体”である電通の影響が然程大きくない僕の立場でさえ、
この騒がれ方は今までにないものを感じる。
mixiのニュースにもこの件については配信されていないのが不思議である。

旧来型の労働を強いりかねない体育会系気質が未だに強くある
世界最大級の広告代理店「電通」では、
僕が過去に実際に聞いてきたエピソードと比べれば、
月に残業が80時間だろうが100時間だろうが“少しも驚かない”数字ではある
どこかの大学の教授がそれを述べてブログが炎上したようだが
僕の父親世代は週休1日が当たり前で
僕が働きだしたころは土曜は「半ドン」が世間の当り前だった。

もちろん、亡くなった去年当時24歳の彼女には
耐えられない次元の過酷な事実であり、
当世の労働環境では“許されない”事実である事も僕には分かっている。
会社の御用組合でしかない労働組合ではあったが、
足かけ4年近くそこの副委員長や委員長など役員を務めた経験から言っても、
それが事実であれば“是正”を要求する労働問題として
間違いなく“団体交渉”の対象になるだろう。
況してや、死人が出たとあらば会社を揺るがす大事件である、と普通なら考えるはずだ。

だが、世間的な肌感覚として労使協定の範囲内、
更には労働基準法の範囲内で収まる業務で企業が成り立っているか?と問えば、
それは一体何割が該当するだろうか。
そもそも、会社とは何だ、労働とは何だ、経営とは何だ、の定義を闘わさねばこの議論に終りは来ないことは明らかなのだが、
世の中が何事も公平では無いのと同じように、
ルールで定められるほどに労働環境は平らかでは無いわけで、
身体や心までも蝕んだり傷付いたりしなければ
到底果たせないような“仕事”で世の中は成り立っていて、
方や「週休2日以上あり、定時出勤定時退社」を完遂して高給取りの企業と、
働けど働けど薄給の上に休みもろくに与えられない社員を経営者がこき使うだけの企業が当たり前のように併存している事を、
我々労働者は知らない筈は無い。よーく知っているからだ。

先般も知人との会話で話題に挙がったのが、
学校教師の部活動顧問という労働について、である。
恥ずかしながら、僕の娘は中学生のころは
社会人として働いている僕より休日が少なかった。
土曜も日曜も部活動に明け暮れているのに、
顧問の教師が一人しか居ないと聞いた時は呆れて娘に説教したものだ。

「(お前たちのせいで)先生が倒れたらどうするんだ」

当の子供たちは
辛くても、それは労働ではないし
いざとなれば休むことは出来るが、
顧問教師は休めないのである。
部活動には管理監督者が要るからだ。

いや、僕の中学生時代は
担当顧問以外の教師が突然現れて
「今日は(顧問に代わって)私が代行するから」
と平然と言ってのけ、
朝に顔を見てから、終了の報告まで一度も生徒には関わらない事もしばしばあったものだ。
つまり交代制で顧問をしていたが、実際には管理監督などしない。
その間に生徒にけが人が出てもきっと、隠蔽するか責任逃れするかしか
思いつかないような時代だったのである。

娘は、中学から高校に進学した先でも部活動を続けたが、
とうとうある日、顧問の教師たちが連名で部員たちに“嘆願書”を提出した。

「どうか、月4日の完全休日が取れる練習日程を組んで下さい。」

要約したら、そういう内容だったらしい。
それが世間の学校教師の中ではごく一部かも知れないが、
一度部活動に関わってしまった人達の実態である。

これを聞いて
「ぬるい」とか「そのくらいはやって欲しい」と感じる人もあるかも知れないが、
そうでない人も多いと思う。
学生にとって部活動というのは青春時代を形成する一大イベントだからである。
だが、そう感じる人とそうではない人の違いを詰めるような
この問題の解決に解釈の多様性について許容する必要はない。

即ち、娘のように未成年の、
管理監督が必要な生徒達が“部活動”をするためには
管理監督業務を全うするための労働力を確保する必要がそもそもあるからだ。
それは学校側がである。

つまり、部があり、施設や資材が調い、部員が居たとしても、
それを学校が管理監督する労働力を確保しないと「部活動は出来ない」
という根本的な環境の確保が、義務として存在するのだ。

特に、生徒の自主性を重んじる風潮があったとしても、
尚更のこと「働く人」の事情を彼ら生徒も学び知り実践せねばなるまい。
無償で“青春の一頁”が彩られる権利が彼ら生徒に在るわけではないのだ。

娘たち部員と顧問教師達は、お互いに尊重し合うばかりに、
当事者間で解決を図ろうとするのは大きな誤りで、
その根本的な学校側の義務について直視していないのである。

僕が娘に再び諭すように言うたのは、その点である。

「顧問の頭数と昼間の業務内容次第で、
最初から1ヶ月に出来る部活動の最大時間は決まっている。
そういう社会のルールがある事を学ぶのも学生時代の“教育の一環”ではないか」

以前にも「学校教師は聖職足るか」を述べた時、
“全人格労働”を強いられる問題や
モンスターペアレントの多発化、
或いは部活動の顧問の実質ボランティア化問題などに触れた上で、

聖職者が教師を務めるしか無い、

という何とも解決をみない結論に至ったわけだが、
彼らの仕事は、一般の労働者感覚では務まらない事と
「教職は聖職者たれ」の真意は「勉学を教えるだけでなく、ものの善悪や道徳観、職業観や社会通念を養う立場」であることから、

「小学校、中学、高校、大学と16年も学校に通った挙げ句、勤め先も学校」の20代前半の人間に、本当に社会の何たるかが教えられるようなイメージは持てない、と
云う意味から述べたのである。

事実、彼らが自分達の権利を行使するために、
児童や生徒に不備が及ぶことはタブー視されているのではないか。
つまりはそこに「教師が滅私奉公を求められる件」の一因があるのだ。
お構いなしに休みを確保し、自分が不在の間の顧問業の代理を他人にカバーしてもらい
学期中に突然妊娠して産休、更に育休を消化しても
教員足る指導力が維持され
体力的にも維持されるかと言えばそうではないだろう?
或いは、男性教師が堂々と育休消化できるのだろうか
そこまで「やり通せる」のならこんな問題には発展していない。
「時間内で、目的を達成しなさい」
と生徒に指導して、その通り運営できるのであれば「学校なんて必要ないくらいだからである。
そうはならないからこその「学び舎」である。

話は元に戻るが
経済活動を行う企業の中ではこれは通用しない。
客から求められるサービスを果たすために
“1ヶ月の所定労働時間を遵守するため”に仕事は投げ出せない。
しかも、人手が足りないからと言って補充する余力が会社にはない、
といった状況下では確実に過重労働が行われる事になるのである。

或いは、仕事を発注する側が労基法に準拠した労働を果たすために、
そこからの受注先が過重労働を強いられる、
なんて構造は解消し得ないのである。違うだろうか。

客商売があり、そこから利潤を得ようとする限りは
労基法遵守の概念は残念ながら二の次だ。
加えて、経営者の一部と目される管理職や自営業者は
その保護も薄い。
自発的に世間では“ブラック”と呼ばれる勤務形態に身を投じている人も多いのではないだろうか。
営業職の気概が「そこに仕事がある限り」で支えられているのなら、
貪欲に労働を自らに課して過重労働状態が常態化しているのが現実である。

電通の擁護をするつもりは毛頭無いが
「お客に求められる以上のサービス」をやり抜く、という
社風がある限り、今回の事件はやり過ごしてしまいたい、という思いが
どこか働いていたのではないかと推測する。
それは企業間の過酷な競争の中で起きたある種の
「王者・電通の矜持」だったのではないかと思う。

機会があれば、続きをどこかで述べたい。


0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2016年10月>
日 月 火 水 木 金 土
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     

最近の日記

もっと見る