mixiユーザー(id:6231411)

2016年07月24日17:37

587 view

慕田峪長城 is Best

北京滞在5日目。。。
連日、深夜まで大量の飲酒をしている割に
全員が二日酔いもなく元気に観光にレジャーに勤しめているのは
各自が若いからなのか、それとも現地の空気のなせる業か
はたまた飲んだ地ビールが
本当は表示しているよりもアルコール度数が低い水みたいな飲みものだったのかは
もはや確認しようもない。
翌日には、ピエールとクラッチたちが北京を離れるという事で
我々の最大の目的の一つだった万里の長城観光というものを決行することになった。

特に手続きはいらない。
地下鉄を乗り継いで、北京の正方形でいうところの「右上の角」にあたる
「東直門」という駅まで乗る。
北京南駅近くにある「僑園飯店」から、
その日は急いでいたので、タクシーで前門駅まで向かったが
それで20分程度。
そこから地下鉄で乗り換え一回で、トータルで1時間程度かかって
東直門に着いたはずだ。
その辺りは当時は道路もろくに舗装されていないど田舎で
どうなることやら、と不安を掻き立てられるような光景だが
その駅前に屯しているボロバス群、つまりそこがバスターミナルだが
その中から懐柔県というところに行くバスを探すのである。

旅慣れているはずの堀木さんが
「バスが見つからない」
と右往左往しているのだが、
僕は近くで買い食いしながら
お店の人に聞き込みをしていた。
「ワンリーダチャンチャンに行きたいのだが、
コンコンチーチャーはどれでっか?」
と関西弁で尋ねながら、色々と食べ歩いた。
肉みその挟まれただけの包子(パオズ)とか、冷やしたきゅうりとか、
アイスキャンデーとか。アイスキャンデーはさすがに高くて高級品だが
人間、不思議と買いものしながら会話すると、
知らない人にも話をしてくれるもので。

ワンリーダチャンチャンとは、「万里的長城」のことで
コンコンチーチャーとは「公共汽車」と書いて、バスのことである。
因みに「小公共汽車」と書いたらタクシーになってしまうのだが、
広東や香港では「的士」と書くので、「タクシー」で通じてしまうのだとか。
そんなことは知らずに、唯一知っている目的地の名前を連呼すると
身振り手振りと漢字で書いたメモを寄越してくれる。
それを見ると懐柔県行バス、の番号が何種類か書かれてあった。

堀木さんにそれを見せると
目の前のバスがそれらしいので
運転手に尋ねてみたら、ドンピシャだった。
あと少し気づくのが遅かったら2時間くらい後まで懐柔行のバスがなかったらしく
「ぎりぎりセーフだ!」
と堀木さんは興奮気味に何回も叫んでいた。

トロ臭いバスがさらに北へ北へと煙をまき散らしながら進んでいく間、
僕は転寝をしていたようであった。
というのも記憶がその辺りだけ、とりわけ曖昧だからである。
懐柔についたあと、そこから三輪タクシーに乗り換えて
目指す慕田峪(ムーティェンユー、ぼでんよく)長城という
知る人ぞ知る有名な観光スポットに行った辺りは鮮明だ。

懐柔についてから、7人乗りの三輪タクシーに乗って
僕と堀木さんと京大コンビと青学コンビの6人は
いよいよご当地の慕田峪に向かったわけだが
殆どが登りの道でアスファルトともコンクリートともつかない舗装が
辛うじてなされているだけの道をトロトロトロトロと
進むタクシーにイライラしていた。
どう考えても積載量オーバーなのである。

そして、遂に
ズパパン!
と大きな音がして車が止まってしまった。
「ノープロブレム!」
と運転手のじいさんは小さく呟いて心配する我々を制すると
エンジン部分を修理し始めた。
「着くのは何時になるのかねぇ。。。」
路傍の石に腰かけてタバコを吸いながら、
他の三輪タクシーが後ろから追い越していくのを眺めているしかなかった。

「もう、ここからは現地は近いのだろうか?」
僕は堀木さんに訊いた。するし堀木さんは運ちゃんに同じく訊いた。

「近いけど、歩いていくには遠いみたい。タクシーでも20分程度だと」
そこで、僕は気が付いたのだ。

「近いのに、だよ。折り返してくるタクシーが一台も戻ってこないのは何故じゃ?」
堀木さんはもう一度同じように運ちゃんに訊いた。
「だいたいが往復が貸切で、現地で待って、帰りも乗せて帰るんだって」
「だったら、40分ほど手を貸してくれたら、俺たちも運んでもらえるンじゃない?」
それから、追い越していくタクシーを捕まえては
事情を説明して、現地で今のお客さんを下ろしたら
40分だけアルバイトしないか、と。
結構な値段で交渉した記憶がある。
往復7人で100元でじいさんを雇ったが
すぐ目の前との往復は70元である。
もちろん、じいさんへの払いはもう済ませてあって、
帰りまでに修理して迎えに来るように頼んである。

まったく、とんだボッタクリである。
さすがに爺さんも帰り道で悪いと思ったのか
タバコをくれたり、飲みものをご馳走してくれたり
色々と気を遣ってくれたのだけれども
我々からすると、ちゃんと宿まで戻らないといけないので
野宿するのなら爺さんのペースに付き合えるのだけれども
「懐柔県→当直門」のバスに間に合わないと大変なことになるので
慌てていたのである。

因みに「万里の長城」で
一番有名な観光スポットは
「八達嶺」(パーダーリン)と言って、
北京の市街地の正方形でいうと左上の方向に進んだ場所に
あるわけだけれども、そこまでは沢山バスが出ていて、長城のてっぺんまで
ロープウェーだ、ケーブルカーだ、と色々出ていて
行きやすくなっている大観光地なのである。
テレビドラマ「西遊記」などで写されている綺麗な万里の長城というのは
この付近の事であって
建築当時のボロボロさや、登るの大変さを味わうことができる
慕田峪長城と比べると断然後者が味わい深いのである。


舗装もされていないので歩きにくいし
長城の渡り廊下状になっている部分までの数百メートルは
実質“登山”になってしまうが
それでも長城は慕田峪長城の方がお勧めである。

興奮して登頂し、興奮して下山したのを
今でも覚えている。
この晩も、クラッチたちと別れを惜しむようにして
遅くまで飲んだ。
裸電球に照らされるだけの舗装もされていない道路に広がる屋台街だが
店が閉まるのは案外早い。
いつも深夜まで開いている店は決まっていて
そこに外国人客が集まるという悪循環が出来ていた。

外国人を相手にした犯罪が多いと聞いていたが
僕たちの前ではそれは起きなかった。
行きつけの食堂は深夜は若い女の子が給仕していて
とても愛くるしくて気立ても良かったので
みんな、どんどん注文していた。
「年齢はいくつ?」
と尋ねたら、18歳だと答えた。
「出身はどこなのか?」
と尋ねたら、かなり内陸部の方の町の名前を云い、
いわゆる「一人っ子政策」のために、
早くに家を出され、親と一緒に暮らしたことがないと言っていた。
当然だが、学校に行っていないので、筆談もできないと
「彼氏は居るのか?」
と尋ねると、厨房にいた若くて筋肉質のコックを指差した。
男も気が付いたので、こちらに呼び寄せると
興が乗ったのか、一緒に飲むことになった。

コックも出稼ぎで田舎から出てきたのだそうで
ウエートレスと近く結婚したいと
目をキラキラさせて言っていた。
そのレストランがその後どうなっていたのか、については
半年後に再び僕は、友人と妹を連れて北京を訪れた事があるので
少しだけ触れることができるが
今回は割愛することにする。


0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2016年07月>
日 月 火 水 木 金 土
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      

最近の日記

もっと見る