考えていた理屈に合わない結果で
開幕試合の結果が出てしまったので。。。
モチベーションが低下したので。。。
中国に行った時の記憶をたどる日記を書こう。
知人からの一通のSOSのエアメールを受け取って
学生寮から単身、中国に向かう僕は
神戸港から2泊3日の船旅で天津に向かった。
船上でたまたま知り合った「染谷さん」と船室で談笑したのは
まだ瀬戸内海の上だった。
旅程的には1日目の日付が変わる頃に関門海峡を潜り
日本海側に出ていき、そこから対馬海峡をまたいで
黄海〜渤海を経て天津に着くのは3日目の正午頃、と
たどたどしい日本語で艦内放送で流れたのは出港直後だった。
文字通り「静かなる海」だった瀬戸内海を過ぎると
深夜には韓国領海付近を進んでいた筈だ。
夜が更けると船は大きく揺れ始めて寝付けない人がちらほら居たようだが
僕は気にならなかったのでぐっすり眠った。
目が覚めると海面がまるで光を放つかのように
キラキラ光って眩しく揺れて
目が開けられないほどだったが
夜の間にはたくさんデッキに出ていた他の乗船客がちっとも居なくなっていた。
タバコはロビーかデッキで吸うことになっていたので
スモーカーが出港直後からデッキに屯していて
そこで何人かの日本人学生と知り合いにもなった。
初日の夜はそのうちの何人かと卓球も楽しんだし
満席の食堂で一緒に晩ご飯も食べたりしたのだが
翌朝になると彼らは全く姿を現さず、
殆どが祖国に帰る中国人の姿しか見えなくなった。
染谷さんが言った。
「みんな、酔い始めてるんだよ」
朝食を食べようと船内の食堂に行くと
昨日の晩御飯の時は
通して満席に近くて混雑していたというのに
朝食を摂る人は既に疎らになっていた。
太陽が高くなると
晴天だというのに風は強くなり
波は一段と高くなっていた。
波が高くなると、2万トンという大きな船のはずなのに
遊園地のバイキング船のように
大きく揺れ始めた。
海面がデッキ近くまで迫ってきては、今度は船底近くまで遠ざかる。
それでも船は確実に進んでいて
すぐ横にあった済州島はどんどん背後に遠ざかっていく。
向かう先の右側には島とも陸ともつかない大きな土地が見えていたのだが
今考えると危険な地域を通過していたのかもしれない。
昼頃に船の揺れはピークになった。
いよいよデッキには海水が浴びせかかるようにかかってきて
船と併走するように海面から飛び出たトビウオが何匹も
デッキに飛び込んできた。
生まれてこの方、自分の乗っている船と併走するトビウオを見たのはこの時だけで
それは眩しいほど太陽に照らされていてナイフにしか見えなかった
最初の1匹がデッキに飛び込んできたときは
刃物にしか見えなかったくらいだった。
実際、手で触ると危なかったと思う。
僕は安全ブーツを履いていたので、
それで蹴るようにして海に戻してやったのだが
やがて退屈になったので
昼食を摂るべく食堂に行ったのだが
光景は末期的だった。
誰もいないのだ。
正確にはウエイトレス5、6人だけが
ヒマそうに食堂内でうろうろしていて
僕が食堂に入ると全員がこちらを向いた。
間違いなく、彼女たちは中国人で
日本語はカタコトだったが
「もう、誰も来ないから
それとか、全部食べていいよ」
とカフェテリア式のお惣菜(全部中華料理)を指差していうのだ。
そして、僕一人が食べる食卓に
その可愛いウエイトレスたちが集まってきて
「一緒に食べましょう〜」
と言いだしたのである。
生まれてこの方、女性にちやほやされたことは一度もなく
お世辞にも格好いいとは言えない僕が
そういう風になったのは後にも先にもこの時だけなのである。
軍艦のような船とすれ違ったりもしたが
昼過ぎになると今度は様子が変わってしまう。
船は進む速度を緩やかに落とし揺れが小さくなる。
僕は再びデッキに出てタバコを吸いながら海面を見ていたのだが
恐ろしいことに気がつく
海があるところから「真っ黄色」に染まってしまうのである。
まるで線でも引いて塗ったように
そこから向こうが真っ黄色になっているのである。
「それは。。。黄海だからね」
染谷さんは当たり前のことだとでも言いたげに言った。
黄河から流れ込んできた川の水は、陸から遥か離れたところまで真っ黄色に染めるのである。
しかしその船はとことん微妙な進み方をするのである。
船の左側が黄色で、右側が普通の色、
となるように意図的に進んでいるとしか思えないくらい
微妙な進路を取るのである。
そして、遂に日も落ちようという位の時間になると
波も収まり、船内から他の乗客もぞろぞろと出てきた。
2等船室にゴミ袋みたいに転がって寝ていたはずの
他の日本人客がぞろぞろと出てきて
デッキはにわかに騒がしくなった。
中には女学生のいるグループもいて
キャッキャ言ってる横で
僕は独りでいるので何だか気分が悪かった。
つい先刻までの心地よいほどの
人気のなさと旅情が一気に奪われ
どこかの観光地にいるのと違わなくなったからである。
だが、その時の僕には自分のことで精一杯だった。
船はその翌日の正午に到着し
その日の夕方に天津から北京に移動しているはずだったので
中国に入る前の最後の夜、が迫っていた。
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